映画『すずめの戸締まり』評価・ネタバレ感想! 震災への目線とジブリ的世界観、そしてそれらのちぐはぐさ

 

すずめの戸締まり

 

2016年に公開された『君の名は。』が記録的なヒットを打ち立てたことで、一躍トップアニメ監督に躍り出た新海誠監督。そんな新海監督の最新作は、東日本大震災を題材にした『すずめの戸締まり』。九州の田舎で暮らすすずめという少女が、閉じ師の草太と出会い、椅子になった草太を元の体に戻すため、そして何より地震から人々を守るために旅を続けるロードムービー

私自身は、『君の名は。』から新海誠作品に触れた所謂ミーハーで、正直監督のことをそこまで理解しているとは言えない。『君の名は。』を観た時の感想は、「日本人が好きそう」という非常に淡白なものだった。あまり面白いとは思えなかったというか、RADWIMPSが重要な場面で流れ、こちら側の感情を刺激してくる演出が鼻につくとさえ思っていた。

『天気の子』の時には、監督のやり方がわかっていたからこそ、音楽には特に何も感じなかった。むしろ物語について、大衆映画に望まれているであろうハッピーエンドから遠い結末をしたその勇気に素直に感動した。大切な人を優先し東京を犠牲にしてしまうオタク向けなエンドに、ちょっと監督を好きになれた気がしていた。

 

 

天気の子

天気の子

  • 醍醐虎汰朗
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とはいえ別に観返すほどではなかったのだが、『すずめの戸締まり』を鑑賞するにあたってこの2作だけもう一度観たところ、どちらでもボロボロ泣いてしまった。正直、粗はある。ツッコミどころを挙げろと言われればそれこそいくらでもできるのだけれど、それ以上にエモーショナルな部分が何かを訴えかけてくるようで、言葉にできない感情が馬鹿みたいにあふれ出してしまった。普段はあまりしないのだが、これは映画に備えなければならないと思い、公開日2日前に小説版を買い、徹夜で読みふけった。

 

その感想としては、「ん?」というか…。本当にこれで大丈夫なのだろうかという不安が強いものだった。心情描写は直接的な表現ばかり。それでいて情景描写は、まるで下請けの制作会社の絵描きさんに指示を出すかのような細やかさで描かれていた。もしかしたら新海監督の文章が自分に合わないだけかもしれない。映画を観ないことにはまだわからない…と、期待と不安半々で映画を観に行ったわけだが、正直泣いた。

 

 

 

 

震災の話題は10年以上が経過した今でも、どこかタブーな印象がある。扱うだけで不謹慎と言われてしまうような難しささえ横たわっている。そんな中で日本中の映画館で多ければ1日20回以上も上映されるレベルまで上り詰めた新海監督が、震災を題材にした映画を公開するというのは、非常に大きな意義があるようにも感じられた。私自身は被災者でもないし、知人が巻き込まれたというわけでもない。ニュースでしか震災を知らない人間ではあるものの、それでも新海監督の訴えかけは強く響いた。

 

ただ同時に「めちゃくちゃ変な映画じゃない?」という印象も抱いてしまったのが本音である。重要な要素が至る所に散りばめられていて、新海監督が震災にまつわる映画を作った覚悟は並大抵のものではなかったことはよくわかる。だが、そこに気を取られるあまり、どうしても物語における没入感であったり、世界観の説明であったりが、明らかに欠落しているような印象も受けてしまった。だが、その歪さがとても愛しくなる映画でもある。そして何より、絵とアニメーションの美しさだけで、すっかり心を奪われてしまうのだ。

 

 

「戸締まり」というのは非常に消極的な印象があると思う。何かにつけてポジティブなのは「開く」ことだ。「心を開く」という言葉があるように、「開く」はポジ、「閉じれ宇」はネガなイメージを内包している。劇中ですずめと草太が行う戸締まりは、日本を地震から救うためのもの。廃墟や忘れ去られた土地にある「後ろ戸」が開くと、巨大なミミズが現れ、天へと向かっていき、それが倒れた時、大きな地震が起こる。『すずめの戸締まり』の世界では、地震とはそういう仕組みを持つものであるらしい。

 

その地震が起きるのを防ぐために、日本各地の「後ろ戸」を閉めて回っているのが閉じ師の草太。すずめはそんな彼と出会い、要石という大切な石を解き放ってしまったことに責任を感じ、共に旅を続けることになる。彼女は行く先々でミミズを見つけ、椅子になってしまった草太と共に戸締まりを行い、街を救っていく。

 

九州から徐々に北上し、東京へ。そして最後には故郷の東北へ。

女子高生が数日間でやるには明らかに度を越えているロードムービー。しかし特典やパンフレットのインタビューを読むと、新海監督は「場所を悼む」物語を作りたいという思いからこの作品の制作に取り掛かったとのこと。廃墟などの忘れ去られた土地に対して、人々の思いを乗せ、扉を閉めることで鎮魂の意を表すようなそのような映画を目指していたのだろう。実際「戸締まり」のためには、そこに住んでいた人々の営みを思い描くシークエンスが重要らしく、それはどの「戸締まり」でもしっかりと描かれていた。すずめがその土地の人々と交流し、戯れ、学び、「戸締まり」の際に彼らの過去の生活に思いを馳せる。

 

この繰り返しというパターンが続くので、観ているこちらとしても非常にテンポを掴みやすい。日常パートのドタバタ感は、RADWIMPSが流れなくても楽しいものになっていた。ただ反面、一つ一つの描写や人との交流が非常に薄っぺらくも感じてしまう。それはすずめの各地の滞在時間が1日に満たないということもあるだろう。だが何より、すずめが交流で得たものというのが具体的に伝わってこないのだ。例えば愛媛で出会った同い年の少女、千果。すずめは彼女が落としてしまった大量のみかんを拾ったことで感謝され、旅館である彼の実家のお手伝いをすることになる。千果は「彼氏とかいたことある?」と話を振ってくれるなど、陽気なキャラクター。だが、本当にそれだけ…それだけなのである。

 

確かに、決して埋没してしまうようなキャラクター性ではないし、新海監督ヒロインっぽい明るさも持ち合わせている。だが、千果との交流がすずめに何をもたらしてくれたのか…。それがあまり伝わってこない。しかし冷酷にもミミズは現れ、すずめと草太は急いで廃墟と化した学校に現れた後ろ戸へと向かい、「戸締まり」を遂行する。後から、「私が前に通ってた学校なんだよね」と千果が言う。きっとそこで彼氏と出会ったり、いろいろな経験に恵まれていたはずだ。それらを言葉だけで描写してしまうのは、「場所を悼む」というテーマにおいて、非常にもったいなかったのではないかとも思う。

 

ここが具体的に描かれ、その場所が人々にとって大切な土地であった頃の記憶を鮮明に思い描いてこそ、「場所を悼む」目的を持つ「戸締まり」が効いてくるような気がするのだ。このさらっとした感じこそが人々が「場所を悼んでいない」ということなのかもしれないが、廃墟に生まれる後ろ戸から土地を脅かす存在が生まれるのだから、もっとその土地を当人達が痛むような描写があってもよいのではないかと思う。特に兵庫では遊園地に後ろ戸が生まれるわけだし、もっとその思い出を語ったり、そこが過去にいかに素敵な場所だったかを描写したり。新海監督の言う「場所を悼む」というメッセージはとても素敵なものだし、そこから「扉を閉める」という発想もすごく面白い。だからこそ、その肝心な点に焦点が合わず、主人公のすずめの物語としてそうしたテーマ性が吸収されてしまうことが、非常に残念でもあった。

 

そして、「戸締まり」について。扉を閉めるためのロードムービーではあるものの、すずめや草太の描写からして、クライマックスには「扉を開ける」=「心を開く」ような流れがくることは予想できた。また、「椅子になる」というコミカルな草太の境遇も、現状から「立ち上がる」ために用意された舞台装置であるのではないかとすぐに気付く。

そしてこの2つの要素は、要石となってしまった草太をすずめが救うという形で、一気に消化された。その時のカタルシスと言ったらない。要石となり、未来を奪われてしまった草太の、閉ざされてしまった扉をすずめが開き、椅子に座ったままの彼に手を差し伸べる。三脚の喋る椅子というコミカルさが、見事にテーマに昇華されている上に演出としても申し分なく、こちらの期待値にも違わない素晴らしいシーンだった。

ただ…この映画、心情描写が非常に…浅く感じてしまうのも勿体ない点である。新海監督はすずめと草太の関係を、「恋人というよりは戦友」と称している。実際共に戸締まりをする中で、そういった関係性が強調されているようにも思う。ただ、結局のところすずめは草太に対しかなり恋心を抱いているように見える。というか、そう思わないとわざわざ親代わりの叔母にほぼ何も伝えず貯金をはたいて家出をする理由が全く分からなくなってしまう。

 

「好きだから」の一言で片付けられそうな理由付けでもあるのだが、それにしては描写が弱く、監督も「恋愛」とまでは言っていない。要石を自分が抜いた責任感もないわけではないだろうが…それにしても、少女が家出まがいのことをする理由にはどうにも満たない気がしてしまう。すずめと草太の関係性を軸に物語が進んでいくのに、その関係性や思いがはっきりしていないのだ。ファンタジーだしフィクションなんだからと違和感を無理やり押さえつけることもできるが、こうしたキャラクターが動く必然性みたいなものは、どうしても欲しかったところ。

すずめが等身大の女子高生として描かれている上に、彼女の成長の物語でもあるからこそ、心情をしっかりとこちら側とリンクさせてくれるような、そんな納得のいく理由が欲しかった。

 

次に、世界観である。

私が『すずめの戸締まり』を観て最初に思ったのは「ジブリっぽいな」ということであった。正直ジブリ作品をそれほど観ているわけではないのだけれど、ファンタジー色の強さがジブリのそれっぽく、もっと言うとミミズの映像表現と、変身する猫・ダイジンがいかにもそれっぽい。後はちょっとこじ付けだが、草太がハウルに似ている。

 

後ろ戸から出現し地震を起こすミミズから土地を救うため、各地の後ろ戸を閉めて周っている閉じ師。この設定は非常に独特で、とても面白いと思う。だが、要石という存在がこの映画の設定を複雑にする。本作の冒頭ですずめが拾った要石は猫の形となり、すずめに好かれようとあれこれちょっかいを出す。同時に「キライ」と言ってのけた草太を椅子の姿に変え(正確には椅子に魂を閉じ込める?)、中盤で要石の役割ごと草太に託していたことが明かされる。

それを自覚した草太は教師になる夢を諦め、日本を救うために要石としての役割を果たすことを決意する。ダイジンはとにかく可愛い声で喋り、時折ホラーの怪物のような不気味な声を発する謎の存在。すずめ以外には、人の姿で見えることもあるらしい。このダイジンのせいですずめの物語が始まる、言わば映画の起爆剤なわけだが、正直言って、わけがわからない存在なのだ。

 

元々はミミズを封じる要石の1つで、それがすずめに封印を解かれたことで猫の姿で自由に動くようになり、すずめに好かれたい一心でちょっかいを出し、草太を椅子に変えてしまう。その後はすずめを過去に入った後ろ戸へ案内するために放浪を続けるわけだが…。行動こそ理解できるものの、そこにどのような意味合いがあったのかは、全く説明されず、にぎやかしという役割以上のものを見出すことができなかった。

確かに映画に猫が出てくることで物語は明るくなるし、変身して少女を助ける役割はかっこいい。だが、「気まぐれ」で済ませてしまうにはあまりに行動が入り組んでいる。すずめに好かれたかったというようなことは何となくわかるが、好かれてどうなろうとしていたのかまでは読み取れない。ミミズ周りの設定は非常にシンプルなのだが、このダイジンなる存在が設定を複雑化しているように思えてならないのだ。

 

考察するほどのヒントが与えられているわけでもなく、草太を要石にした理由もよく分からない。最初は役目から解放されたかったみたいな心情があるのかと思ったが、どうやらそういうわけでもないらしい。というか、そもそも役割を草太に移せるというのもどういうことなのだろう。

まして草太の物語は「椅子にされ、要石にされ、教師という夢を諦めざるを得なくなる」というところに旨味があるはずなのに、その理由がふわふわしているのは非常にもどかしい。彼の「世界を救うために自分を犠牲にする。でも悲しい」という心情がほとんど一瞬の心理描写に任されているのも残念。そもそもダイジンがあっさりと要石の役割を自分に戻すのがアリなら、草太も要石になる前に戻る方法を模索できたのでは、と思ってしまう。この辺り、詰めが甘かったのか、それとも敢えて説明を省いたのかはわからないが、この解像度の低さは物語のメッセージ性を著しく削いでいるような気がしてならない。

 

と、残念な点を列挙してしまったのだけれど、それにも勝るレベルのテーマや訴えが強く伝わってくる映画だったのも確かである。

簡単に言うと、全12話の1クールアニメの特別総集編、みたいな趣なのだ。「こことここの間にカットされた描写あるよね?」とか、「何話の部分が入ってないじゃん!」とか、そういう「欠落感」がこの『すずめの戸締まり』には存在している。どこか駆け足で進む物語に、何となく違和感を抱いてしまうのだ。

いろいろ考えてみたのだが、結果的には「ちぐはぐ」なのだと思う。

 

ロードムービーとしてのすずめの成長譚

・すずめと草太の恋愛とも少し違う奇妙な関係性

・戸締まりを行い、各地を救っていくヒーロー性及びアクション性

・現地の人々との交流で生まれるすずめの学び

東日本大震災への目線

 

その一つ一つがとても素晴らしいものなのだけれど、それらがうまくかみ合っていないというか。いろいろ盛り込みすぎたことで、勢いも理解難も生まれてしまったという、非常に評価に困る作品なのだと感じた。

 

だが、過去2作でも災害を描いてきた監督が、現実の災害である東日本大震災を題材に、「喪失と向き合う」ことを映画にしたというのは非常に好きなところ。インタビューを読むと理解度も深まり、余計にこの映画のことが忘れられなくなってしまう。

土地に住んでいた人々の思いがミミズを鎮めるというプロットもすごく好きだし、後ろ戸を閉める際の「お返しします!」というアクションシーンのカッコよさだけで満腹になれる。あのカットは『NARUTO』の螺旋丸にも通ずるような動きで、まあとにかくかっこいい。それに松村北斗の声もすごく合っていて、ジャニーズにあまり詳しくはないのだけれど、感心させられた。特に切迫している時の声の出し方が上手い。

 

一つ一つ良いところを挙げるとキリがなくなってしまう。

反対に、悪いところを挙げてもキリがなくなってしまう。

だがテーマは非常に自分好みで、世界観にも惹かれるものがあった。あわよくば、それこそ全12話のテレビアニメで観てみたいところである。

 

アニメーション表現は申し分なし。感情をしっかりと喚起してくれるし、題材は重苦しいがしっかりエンターテインメントになっている。

だが、どこか物語のちぐはぐさが引っ掛かりを生む構造にもなってしまっていて、それさえ吞み込めば本当に素晴らしい映画だったと思う。