映画『ドラゴンボール超 スーパーヒーロー』評価・ネタバレ感想! 『ブロリー』とは一味違う、ピッコロさんファン大歓喜の意欲作

【Amazon.co.jp限定】映画『ドラゴンボール超 スーパーヒーロー』オリジナル・サウンドトラック(メガジャケ付)

 

ドラゴンボール超 ブロリー』を劇場で観た時の衝撃は4年が経過した今でも鮮明に覚えている。フリーザ軍がサイヤ人を手中に収める冒頭、バーダックの登場などなど。原作では語られなかった物語で一気に引き込まれ、ただの暴走魔に留まらない魅力的な新解釈のブロリーで目が離せなくなる。そしてラスト数十分の怒涛のバトル、バトル、バトル!

ドラゴンボールと言えばやっぱりバトルだろ!」と言わんばかりに圧倒的な画力と勢いでひたすらバトルを続けるゴジータブロリー。思わず笑ってしまうくらいのハイクオリティは、正に「頭を空っぽにして」楽しめる傑作だった。ドラゴンボールの底力、そして日本アニメの真髄を垣間見た気がした。

 

TVアニメも放送を終え、漫画等で展開してはいるものの、ドラゴンボールに触れる機会はめっきり減ってしまう。そこで突如報じられた新作映画の情報。正直、不安もあった。『ブロリー』が突き抜けた傑作だったのは、予告からは予想不可能の怒涛のバトルに魅了されたのが主な理由だったからである。つまり、もう同じ手は通用しない。圧倒的作画バトルをどれだけ長時間提供してくれようとも、それは二番煎じでしかなく、まして拳と気をぶつけ合うのが主なドラゴンボールにおいては、ただのコピーにしか見えないかもしれない。

 

ただ、予告や情報が解禁していくにつれ、別の感情に支配されていく。悟飯とピッコロの物語、レッドリボン軍の復活、ガンマ1号と2号というモロ鳥山明先生っぽいデザインの新キャラ。ストーリー面で大いに期待を寄せると共に、CG作品であることがちょっと残念でもあった。色々な意見があると思うが、正直私はCGアニメはあまり好みではない。理由は単純で、「不気味」だからである。所謂「不気味の谷」の問題にも繋がってくるのだと思うが、どうしても観ていて違和感が拭えず、物語よりもその違和感に気がいってしまうのだ。

 

ストーリーに大いに期待を寄せていたからこそ、今作がCG作品であることがどうしても許せずにいた。しかしそれも、鑑賞前までの話。パンフレットやインタビューを読めば分かるが、今回はドラゴンボールにおいて初の試みを盛り込み、CG作品の旨味をふんだんに活かした作品となっている。それでいてしっかりした骨太なストーリー。魅力的なキャラクター達も相俟って、『ブロリー』とはまた違う軸を持った素晴らしい作品となっていた。

 

やはり一番嬉しかったのは、ピッコロの大活躍だろう。これに関しては予想以上だった。『神と神』でビルスに媚びを売るためにダンスをするベジータを観た時と同等の衝撃があった。ビーデル達に変なぬいぐるみを押し付けられ、部屋中はぬいぐるみだらけ。スマホカバーもそのキャラクター(ペネンコというらしい)に。というか、ピッコロさんがビーデルスマホでビデオ通話というだけで、なんだかもう不思議な気持ちにさせられる。パンのお迎えまで任され、パンからもちゃんと信頼されている絶妙な関係性。もはやマジュニアとして天下一武道会に参加していた頃の面影は微塵もない。

 

そんな彼のコミカルな一面が圧倒的なまでに発揮されている。『ブロリー』はサイヤ人の全滅やブロリーの過去など、悲哀を背負う側面が強く出た作品だったが、今作はどちらかと言えばかなりコメディチック。至る所に笑いが盛り込まれ、敵もどこか憎めない面々。まるで原作初期を彷彿とさせるこの感覚を味わっていると、上映時間100分があっという間に終わる。「ドラゴンボールを観た!!!!」という思いに浸れる素晴らしい映画だった。

 

そしてサブタイトルでもある「スーパーヒーロー」。昨今はMCUマーベル・シネマティック・ユニバース)も世界的な興行記録を打ち立て、日本のテレビ特撮も大いに進化し(むしろ一巡したような感まである)、直近では『シン・ウルトラマン』という作品が公開されたばかりである。例の騒動さえなければこの映画は4月公開で『シン・ウルトラマン』より早いはずだったのだが、結果的には6月11日の公開となってしまった。そんな状況で繰り出される鳥山明先生のヒーロー観。

 

ガンマ1号とガンマ2号の、シンプルでいて特徴的なデザインにも、既にそれは表れているように思う。角やマント、そもそも人造人間という設定自体も、改造人間である仮面ライダーと通ずるものがある。そして彼らを作った、Dr.ゲロの孫、Dr.ヘドの正義感。彼がマゼンタとの会話で「ヒーローを生み出したい」と口にした辺りから、「あ、やっぱりガンマ達とは最後共闘の流れだろうな」と気付く。セルマックスなる人造人間の存在が示唆され、「ラスボスはこいつか」と予想もついた。しかし、ここまでセルが関わる話とは。人造人間編が大好きな私としては感無量である。

 

鳥山明先生の、少なくともこの作品における一つのテーマは、「ヒーローとは護りたいもののために戦う者」なのではないだろうか。ピッコロは人々や仲間を、悟飯はパンを、ガンマ1号と2号は正義を守るために、命を賭して戦いに挑んだ。それは正義の価値観が様々なヒーロー作品において一巡した現代では、少し古臭いかもしれない。だが、『ドラゴンボール』という世界観でこんな真っ当なヒーロー作品をやられたら、感激しないわけはないのだ。命を散らしたガンマ2号も、きっとマーベル映画でやれば「自己犠牲は~」と批判を受けてしまうかもしれない。だが、ドラゴンボールはこういう作品なんだと、見せつけられたような感がある。ベタでコミカルで、ちゃんと感動できる。何なら死んだらドラゴンボールで生き返らせればいい。本来不可逆性を持つキャラクターの死までをも、可能にしてしまうのがこの作品の凄いところである。

 

嬉しいサプライズはセルマックスの登場だけに留まらない。ドラゴンボールに潜在能力の覚醒を願ったピッコロが到達したオレンジピッコロという新たな姿。正直これについては、ドラゴンボールの力でパワーアップってどうなのだろうとも思ってしまった。修行して自然と身に着いたとかでもよかっただろうに…。そして悟飯がアルティメット悟飯を超えた銀髪の姿で繰り出す魔貫光殺砲。これは素直に嬉しかった。悟飯とピッコロの絆の象徴であるように感じられたラストだった。

 

後は、ガンマ1号とガンマ2号が勿体ない…!この1作だけの出演というのは非常に勿体ないほど魅力的なキャラクターだった。おそらくラストで散るからというのもあるのだろうが、特にガンマ2号のおちゃらけたノリは本当に素晴らしく、言葉が出ない。すぐ調子に乗る感じも、いかにも口が軽そうなキャラクター性も、レギュラーキャラになれるほどの輝きを放っていた。逆に比較的物静かなガンマ1号が食われていたほどである。どんどんグッズを出してほしいし、もし次回作があるなら是非メインで出演させてほしい。戦いでのアメコミ的演出に対し、ピッコロの「何故音が出る…」発言は本当に面白かった。出番が思った以上に少なかったのが残念でならない。

 

そして、最後に映像技術についても触れておきたい。細かいことについては専門外の私には分からないが、「CGだから」というだけで観るのを躊躇している人がいたら、迷わず背中を押してあげたい作品であったことは間違いない。

今作はベースこそCGであるものの、そこに服のシワなどを書き加えるという、非常に手間のかかる手法を用いているらしい。児玉監督自身も、世間で言われるようなCGの不気味さをどうにか搔き消せないかと色々と模索していたのだ。その結果、一般的なCGアニメよりも遥かに自然な動きが生まれている。

何より素晴らしいのが、CGアニメにしたことによるものなのか、とにかく「飽きさせない」ことに注力している点。物語が誰かのセリフによって進行しながらも、その背景でモブキャラや喋っていないキャラが縦横無尽に個性を発揮している。ガンマ2号がわちゃわちゃしているのが特に印象的だった。冒頭のピッコロとパンの会話でも、とにかくパンの動きがかわいらしい。パンフレットにも載っていたが、ここは「大人が思う子ども」ではなく「子ども」の動きを再現するよう気を配っていたようだ。

 

他にもDr.ヘドのオレオの食べ方だったり、各キャラクターの些細な目線だったりと、とにかく画面の情報量がとてつもなく多い。一度では全てを堪能することは難しく、何度でも足を運びたくなるのだ。とにかく観客の目を止めさせず、飽きさせない工夫がふんだんに盛り込まれていた。

 

ただ、言いたいことがないわけではない。予告でも伏せられていたラスボスのセルマックスだが、正直ぽっと出感が強く、倒した時のカタルシスも弱い。セル(第二形態)を模したキャラクターでなければ、姿すら記憶に残らなかったのではないかというくらい。ピッコロやガンマ達、それぞれのキャラクター性をしっかりと積み上げてきた今作だからこそ、このラスボスに対してもちゃんと物語や背景を持たせてあげてほしかったなあというのが本音。

 

とはいえ、ピッコロが大好きな私としては大満足の作品であった。「今作は悟飯が主役」と銘打たれているが、悟飯が主役になる時にはいつもその後ろでピッコロの尽力があるのだ。

決してシリアスにならず、緩さを保ちつつもスピード感のある物語と、細部までこだわった映像、そして魅力的なキャラクター達が観客をいつまでも飽きさせない。悟空とベジータのシーンは正直「それでいいの?」とも思うのだが、この辺りはまた次回に期待したいところ。ジャンプ漫画の映画化によくある「やけに冗長なお涙頂戴展開」も全くなかったのが良かった。

 

何にせよ、色々な意味で素晴らしい作品なので、とにかく大ヒットしてほしい。

 

 

 

 

 

映画『はい、泳げません』評価・ネタバレ感想! 過去と向き合い乗り越えることの意味を問う

はい、泳げません (Yes, I Can't Swim) (Original Soundtrack)

 

『船を編む』でも脚本を務めた渡辺謙作監督の最新作は、泳げない男(長谷川博己)と泳ぐことしかできない女(綾瀬はるか)の希望と再生の物語。

『はい、泳げません』と堂々と自身の欠点を曝け出すタイトルとあらすじから、長谷川博己演じる主人公の小鳥遊が「泳げます」と言えるようになるまでの物語なんだろうなあと予想はついていた。小鳥遊と静香(綾瀬はるか)がぶつかり合いながらもお互いのトラウマを乗り越えていくようなコメディ調の作品なんだろうなあと高を括っていたので、物語の深度に思わず唸ってしまう。

 

実際には人間関係やバディものの趣は薄く、小鳥遊を軸に物語がどんどん進んでいく。彼が泳げるようになりたい理由、前に進みたい理由。それらが紐解かれ、それを乗り越えようと奮闘する彼の姿に、つい涙を流してしまうような。「泳ぐ」ことが主題であるのと関係しているのか、穏やかで水のように静かな映画だった。

 

月9ドラマ『デート』で初めて長谷川博己を知り、その後数々のドラマや映画での活躍を目にしてきたけれど、長谷川さんはやっぱりコメディ系の演技がとても巧い。観ていて引き込まれるというか、「この嫌がり方する人、身近にいる~」という妙な親近感が湧いてくる。加えて今作の小鳥遊は哲学者で理屈っぽい性格なので、『デート』が大好きな私としてはその当時と似たキャラクターに、どこか懐かしさを覚えていた。

 

前半はコメディチックで進行する本作。小鳥遊と共にスイミングスクールに通う4人の女性陣が素晴らしい。時に旦那の愚痴を、時にえぐい下ネタを交えつつ、決して小鳥遊を邪険に扱わない「良いおばさん」特有の性格。それぞれ体格や性格に個性もあり、この4人の会話を聞いているだけで楽しい。そこに偏屈物の小鳥遊が加わり、それらを暖かく見守るコーチの静香という構図で、もうすでに引き込まれてしまう。

 

すごいなと思ったのは「泳げないことを馬鹿にする」みたいな点が過度じゃないこと。トラウマを乗り越える系の物語だと、1人くらいはそのトラウマを雑にいじったりするキャラクターが出てくる。実際この映画でも、女性陣が小鳥遊のカナヅチをいじるシーンはあるし、元妻の麻生久美子がそれを馬鹿にするセリフもある。だが、そこに向き合おうとする姿勢は決して否定しない。親近感の湧く登場人物の割に、「人間が出来過ぎている…!」と驚かされる一面も。『ハリー・ポッター』でいうマルフォイみたいな嫌味なやつが出てきていれば、話は複雑になってしまっただろう。

 

つまりこの映画は、再生とそれに紐づいた希望の物語なのだ。どこまでも優しい登場人物に囲まれ、小鳥遊が過去を乗り越える物語。

登場人物が心優しい反面、小鳥遊にもたらされる現実は、酷なまでに非情である。

 

小鳥遊が何故水泳を始めたのかは、中盤まで全く明かされない。意味深な麻生久美子との関係と、シングルマザーへの仄かな好意、そして自宅の子ども部屋。コメディ調のストーリーにのせて、次々と伏線が張られていく。時系列をうろうろするシーンもあるので困惑するが、真相は至ってシンプルだった。

 

小鳥遊は川で溺れた一人息子を、泳ぐことができなかったために助けられず、それでいて自身は頭を打ち付けてその記憶を失ってしまっていたのだ。過去と向き合おうにもどうしていいか分からず、泣くこともできず、夫婦関係も崩壊。離婚にまで至った彼は、5年掛けてようやく大切な女性と出会う。彼女とその息子を守れるようになるために、小鳥遊はカナヅチを克服する道を選んだのだ。

 

きっと予告の明るさからこれを予想できた人は少ないだろう。実際観に来る人というのも、どちらかと言えばスポ根ものに近い作品を求めているのではないだろうか。だが、その予想や期待を大きく裏切る真相。それでも重苦しくなりすぎないのは、前半のコメディタッチでしっかりと明るい気持ちにさせてくれたことと、キャラクターの善性が大きく出ていたためであると思う。

 

分かりやすい悪など存在せず、自身のトラウマと向き合おうとする男の物語に徹する。そして、周囲の人物もそれをサポートする。理屈っぽく、泳ぎ方すら何かに例えたり一挙手一投足を理解しないと動けない小鳥遊のおかしさにいつの間にか気持ちをほだされ、そして彼の持つ深い悲しみに、観客は自然と溺れていくのだ。

 

泳ぎを覚えた彼は、過去と向き合うことで、自信を喪失してしまう。思い出せないもどかしさが、息子を失った苦しみに変わってしまい、愛した女性との未来すらも拒絶するようになる。そんな彼を救ったのは、交通事故に遭い一度未来への不安で押しつぶされそうになった経験のある、コーチの静香だった。「前へも後ろへもいけないなら、上に進むしかない」。彼女の言葉にようやく小鳥遊は涙することができるようになる。

彼女は交通事故というトラウマを克服できたわけではない。今でも車が怖く、車が横を通ると傘を差してバリアを張ってしまうのだ。変人そのもののその行動は、彼女がプールで見せる凛々しさとは真逆。しかしそれでも彼女は、「上へ」進むことができているのだろう。

 

彼女の言葉に後押しされ、小鳥遊はシングルマザーと一緒になることを決意。理容師である彼女に、「これからもずっと頭を洗ってもらえませんか」という必死のプロポーズが最高だった。そうして久々にスイミングスクールに現れた小鳥遊の「はい、泳げます」という言葉で映画は幕を下ろす。「この言葉が聞きたかった~!!!」という爽快感が突き抜けるエンディング。リトグリの爽やかな主題歌も良い。

 

理屈っぽく、実際に居たら絶対に面倒くさい小鳥遊を、誰一人邪険に扱わず、むしろ真正面からぶつかってくれる。彼の偏屈さを個性と受け取っている(というか無意識だろうが)キャラクター達を見ていると、自然と「向き合う」ことの大切さを意識させられる。

静香のような綺麗なコーチが、一生徒にあそこまでして尽くすことは、ほとんどないだろう。久々にスクールに戻った時に「きゃ~!」と出迎えてくれる4人の女性なんて存在しないはずだ。それでもささやかな会話や仕草が、彼女らに現実味をあたえてくれる。

 

「人は何故生きるのか」その問いは、「新しいことを知る」ためである。

未知へ飛び込み、行動に移すことが未来を切り開く。そして恐怖とは、これまで行動しなかったが故に「未知のまま」であることなのだ。恐怖と向き合うことで、人はどこまでも強くなれる。演者の見事なまでに自然なやり取りと、素朴だが印象的な演出の数々が胸を打つ、素晴らしい作品だった。

 

 

 

はい、泳げません (Yes, I Can't Swim) (Original Soundtrack)

はい、泳げません (Yes, I Can't Swim) (Original Soundtrack)

  • 「はい、泳げません」製作委員会
Amazon

 

映画『きさらぎ駅』評価・ネタバレ感想! 1作で2度楽しめる傑作都市伝説ホラームービー!

2022年も後半に差し掛かろうとしているところだが、とんでもないJホラー映画がひっそりと誕生していたことをお知らせしたい。

恒松祐里初主演、永江二朗監督、宮本武史脚本。

それがこの『きさらぎ駅』である。

 

インターネット発祥の都市伝説の中でも最も有名であろう『きさらぎ駅』。帰りの電車で寝過ごし起きると全く知らない「きさらぎ駅」なる駅に辿り着いてしまったという女性のリアルタイムでの書き込みが元ネタだが、本作はそれを大胆にアレンジ。一人称のFPS映像の演出があったり、ループ的な要素があったりと、どこかアトラクション的にも楽しむことができる作品になっている。

 

そして何より、怖い。決してギャグ一辺倒に走らず、ホラー映画として締める部分はしっかりと締める。

しっとりとしたJホラー的な恐怖と、突飛かつ大胆な展開。そしてキャラクター性が見事に相まって、とんでもない傑作が出来上がっている。B級ホラーだろうと舐めてかかっている人には、是非観てほしい1作である。

 

 

恒松祐里演じる主人公は大学で民俗学を学ぶ学生。論文のために、きさらぎ駅に行った経験のあるサトエリに話を聞く。昔から取材も断っていたという彼女だが、メールのやり取りで信用したと、主人公に全てを話すことにしたのだという。

 

ここからサトエリのナレーションに合わせてきさらぎ駅でのFPSパートがスタート。

顔が特徴的すぎるあまり、アップになるだけで怖いサラリーマン(『仮面ライダービルド』の青羽を演じてた方ですね)。男2女1の若者3人組(男はキラメイイエローとウルトラマントリガーで何故かヒーロー率高め)。そして本田望結演じる女子高生。そしてサトエリの6人がきさらぎ駅にたどり着いてしまう。

 

ここから1人ずつ謎の怪異に襲われて脱落していく。血管がうにょうにょ動くシーンなんかは、白石晃士監督の作品を思わせる演出。「危ないから線路の上歩いちゃダメだよー」とジジイが叫んでくるシーンは本当に鳥肌ものだった。こういう、人間の声なのに明らかに人間が発していないパターンに自分はかなり弱い。『呪怨 白い老女』で「すみません、今手が離せなくて」とリピートする奥さんとかもかなり怖かった。その後ジジイが追いかけてくるのはそこまででもないのだが、やはり永江監督は恐怖描写の"タメ"が圧倒的に上手い。

 

「来る…来るぞ!」と思わせてくれる前振りこそ、ホラーの醍醐味だと私は思う。正直来る怪異なんていうのは白い服を着た髪の長い女とか白目の男とか怪物とか。ホラー映画においてビジュアル的に怖いものは大体決まっている。まして低予算のB級ホラーなら大体このどれかだろう。だが、肝心なのは結果ではなく、結果に至る演出なのである。この"タメ"の部分で如何にこっちをビビらせてくれるかがホラー映画には重要なのだ。

その上で、永江監督の実力が遺憾無く発揮された本作は、本当に素晴らしかった。さらに言うと、"タメ"の後の怪異描写はちょっとギャグっぽくもあるのだが、なぜか憎めない。炎のようなものが体に広がりバーン!という轟音とともに人間が爆散するのだが、そこには格ゲーで必殺技を決めた時に近い爽快感すらある。だんだんと人死に描写がクセになってくるのだ。

 

残り3人となるものの、キラメイイエローがあまりにドクズなせいで仲間割れ。2004年とはいえ手ぶらのくせにナイフだけ持ってるのマジでなんなんだ。サトエリも女子高生も切り付けられるが、トンネル内にて遂にキラメイイエローを撃退。元ヒーローとは思えないガラの悪さがとてつもなく印象的だった。でも確かにタメくんは当時からちょっと顔がヤンキーっぽいなとは思ってたのでハマり役だったのかも。

 

トンネルを抜けると親切なおじさんが車で病院まで送ってくれるというのだが、それこそがきさらぎ駅の罠。おじさんは実は怪物だったのだ。車を降り、何とか逃げ出す2人。駅に着くまでは互いに知らなかったものの、共に逃げるうちに彼女たちには絆が生まれていたのだ。この百合感も白石晃士監督っぽい。

 

神社のような場所にたどり着き、おそらくゴールと思われる光の扉を見つけるも、運転手の妨害に遭う。女子高生を助けるため、サトエリは木の棒で奮闘。遂に女子高生が扉を通過し、きさらぎ駅から脱出を果たした…と思いきや扉ごと爆散!(ここほんとクセになる)

その瞬間、最後に生き残ったサトエリのみが、傷だらけのまま脱出したのだった。

 

FPS視点というPOVのカメラなしバージョンで進むので乗り物酔いとかする方は結構厳しいかもしれない。実際自分も危なかった。というか、目線を主人公に合わせる意味なくないかとまで思っていたのだが、この意味はここから効いてくる。

 

サトエリがきさらぎ駅に入ってしまったのは寝過ごしを繰り返して電車で行ったり来たりしてしまったことが理由だと気づいた主人公。

早速帰りに同様の路線を試したところ、すぐにきさらぎ駅に突入。私としてはサトエリの話がかなり恐怖だったので、論文のためだけにきさらぎ駅に入るこの主人公は本当に度胸があると思ってしまった。しかしそれは同時に、彼女の狂気をも物語っていたのかもしれない。

 

彼女が電車に乗ると、何と共にきさらぎ駅に着いたのはサトエリの時と同じ面々。セリフまで一緒である。「いやサトエリから聞いた話なのにセリフまで一緒だとか勘付くのは流石に察しがよすぎる」とつっこんでしまうが、なんとここから、起きることをある程度把握している主人公による、"きさらぎ駅2周目"がスタートするのである!

 

FPSだけでなく、2周目というゲーム要素まで引き継いだ本作。起きることや人々の言葉、それぞれの所持品すら把握している主人公は、まるでタイムリープもののように、それぞれの事象に冷静に対処していく。平気で人も見殺しにするし、人じゃないと分かっていれば真顔で石で殴れるメンタルの持ち主。

 

ゲームの実況動画でも、ただひたすらに効率を意識したストイックなプレイが時折人気を博すが、この主人公の行動もその類である。

とはいえ流石に人の心は持ち合わせており、行動次第で人々を救えると気付いてからは彼等と共に脱出することを考えるようになる。

 

主人公が運転手を石でぶん殴るシーンは笑ったし、何を聞かれても「ちょっとね」だけしか言わず強キャラ感を醸し出していくのが面白すぎる。と同時に、この2周目でサラリーマンが車内で襲われるシーンの"タメ"は見事と言わざるを得なかった。運転手を気絶させてからは全く未知の分岐が起こり、こちらのボルテージも否応なしに高まっていくのだ。

 

個人的には『コワすぎ!』シリーズにも似た何かを感じたので、大勢でワイワイ言いながら鑑賞してもきっと面白いはず。最近のホラーは意図的に「ツッコミどころ」を作って怖いだけでない楽しみ方を提供してくれるのが良い。

 

正直に言うとサトエリが女子高生を脱出させるために嘘を語っていたというオチは読めてしまったのだが、予想できる落とし所にしっかりとハマってくれるのはすごく気持ちが良い。そしてサトエリの役をただの語り部にせず、感情の馬鹿でかいキャラクターとして成立させているのも見事。

 

不条理な怪異と、それを巧みに利用する人間という最高の組み合わせ。恐怖の正体にまで迫ってしまうと、途端にホラーは恐怖性を失ってしまうものだが、その不条理さを損なわない辺りのバランスが絶妙だった。18年間生贄を探し続けたのだろうなとサトエリの過去にも想いを馳せられる素晴らしい作り。どちらかと言うと特に考えなしにきさらぎ駅に突入して、平気で他人を利用できる主人公の方が化け物じみて見える。

 

畳み掛けるように襲ってくる怪異と、少ないながらも豊かな人間描写。FPSという画期的な試みによる、スクリーンを通して本田望結に何度も語り掛けられ共に逃げるという経験も、こちらの共感性を誘発してくれているのだろう。1周目はきさらぎ駅の不条理にどっぷりと浸かり、2周目はじっくりと物語を楽しむことができる。

 

ループものホラーというと、『ハッピー・デス・デイ』2作がパッと思い浮かぶが、その2作の良さを凝縮したかのような82分だった。

本当に貶すところがなくて絶賛ばかりになってしまったのだが、少なくとも何かしらの感情は刺激されるタイプの映画なので、気になっている方には絶対に観てほしい作品である。

 

 

 

映画『真・鮫島事件』評価・ネタバレ感想! 驚きと興奮に満ちたお兄ちゃん遠隔操作系ホラー!

真・鮫島事件

 

都市伝説に疎い私は「鮫島事件」なるものを全く知らなかった。ホラー映画やホラービデオはよく観るものの、インターネットで所謂「怖い話」を読むことはあまりしない。そのため、映画のタイトルを聞いた時も、「鮫島事件とは何ぞや」と、映画の登場人物よろしくググった次第である。そしてその「名前だけが知られていて実態は誰も知らない、”語ってはいけない”事件」というアンサーに、なんか地味だなと思ってしまった。

 

とはいえ、ネットでは「鮫島事件、映画化するの!?」と驚きの声が多かったように記憶している。それほどまでに有名な題材なのかあと感心しながらも、結局公開時に観ることはなく、1年半が経過してようやくNetflixで鑑賞した。というのも、こちらの監督である永江二朗の新作『きさらぎ駅』が公開間近であり、その予習のためである。私も『きさらぎ駅』については知っており、初めて読んだ時は恐怖でしばらく眠れなかったのをよく覚えている。

 

武田玲奈、濱正悟、林カラス、そして佐野岳

特撮ヒーロー番組をよく観ている私からすれば最早お馴染みのメンツでもあり、「豪華キャスト」と言わざるを得ない。

そして肝心の内容も、事前情報のチープさをはるかに上回る、”しっかり怖い”ホラー映画だった。

 

永江監督はこれまでもいくつかホラー作品を監督しているようなのだが、私はどれも観たことがなかった。しかしこの『真・鮫島事件』を鑑賞して、「過去作も全部チェックしなきゃ!」と思ってしまうくらいには、監督のホラー演出に一目惚れしている。霊を出し過ぎず、霊を出すまでの前フリや雰囲気作りも巧みで、ここぞという時の期待を見事に裏切り、演出の妙でしっかりと「恐怖」を演出してくれる。何だろうこの手堅い安心感。

何より、登場人物がわーきゃー喚くようなこともなく、むしろ理解力と適応力が常軌を逸している。異常なほどテンポよく進む物語の合間を、見事な恐怖が彩ってくれるのだ。

 

リモート飲み会で久々に集まった菜奈たち6人。しかしうち一人が何故かずっと画面を切っており、出てきたと思ったら「お前たちだな!」と彼氏が絶叫。彼女を含めたリモート組3人が行った廃墟への肝試しが、呪いのトリガーとなっていた…。

冒頭、マスク姿で街を歩く武田玲奈の描写で、「あ、コロナ意識なんだ」と気付く。「コロナでなかなか会えないもんね~」というセリフが作品への没入感を高めてくれる。

 

その後、「鮫島事件」という言葉を聞くと呪いの拡散者になってしまうという事実に辿り着いた時、菜奈は「これってコロナウイルスと一緒だよ。被害者が加害者にもなるんだ」と、呪いとウイルスを重ね合わせる。貞子で有名な『リング』の原作でも、呪いとウイルスの関連性は物語られていた。言わば「鮫島事件」というメジャーなワードを利用した、そのオマージュとも言えるかもしれない。

 

リモートのカメラが急に止まったり、後ろに誰かが映ったり。また、他のメンバーの状況をカメラ越しと声でしか知る術がないという演出がなかなかに怖い。「みんなPC持ち歩いてうろうろしてるの?」と思わなくもないが、そうした野暮は”魅せる”力を持ったホラー描写がねじ伏せてくれる。

霊の動きが俊敏で、まるで猫のようにいきなり襲い掛かってくるのも恐ろしい。霊はゆっくりと動くイメージが強いが、やはり早い霊の方が怖いと思う。超常的なものがスピードを手にしているというのは本当に怖い。

 

序盤は何が何だか分からない恐怖が続く。メンバーの一人の女性が死に、その彼氏が残る5人に怒りを向けるも、ピンポンが鳴るとちゃんと出るのが面白い。肝試しメンバーによって鮫島事件の事が説明され、残った3人は呪いを解くため奮闘する。

「携帯繋がらない!警察に電話もできない!ネットもだめ!」という描写があるのに、その後鮫島事件についてはバンバン調べられるのは何なんだろう。呪いを解く推理描写にパートが移ると、途端に菜奈が大学教授もびっくりの大胆な仮説を打ち立てていく。「鮫島事件って言葉を聞いちゃだめなんだ」「あのドアを閉めればきっと呪いは解ける」…

本気かと思ってしまうくらいガバが過ぎる決定打の無さ。それにツッコミを入れられるキャラもおらず、菜奈の推理は物語上の「正解」となっていく。そこに嫌味がないのは、きっとホラー演出の素晴らしさが、そうした理性を観客から排除してくれるからだろう。

 

ホラー映画において、こうした「主人公たちが導き出した根拠の薄い解決策」は大概間違っており、しかもそれを果たした後に明かされるのが主である。だからなそ、「解決策」への道筋はある程度観客の納得をも促すものでなくてはならない。そうしなければ、「そんなんで終わるわけなくない?」とつっこまれてしまうからである。ここの磐石さとそれを覆す霊のパワーこそ、Jホラーの特徴かつ強みなのだ。

 

しかしこの映画はその基盤を敢えて雑にセットし、勢いで乗り切る見事な力業を披露する。主人公がインターネットで調べた情報と、「なんとなくの推理力」でぐんぐん進んでいく物語。

異世界に閉じ込められた彼等は、ホラー映画によく出没する「超常現象専門家」も「やたら田舎の風習に詳しい大学生」も頼ることができない。菜奈の推理こそが全てなのだ。

 

そしてネット検索の力も借りることで、「肝試し組が開けてしまった扉を閉めれば良い」という解決策を導き出す。そこに監禁されていた男の霊なわけだから確かに理屈が通っているような、いやでも扉を閉めるだけってちょっと単純すぎやしないか、と思ってしまうような。

 

だが、主人公達は呪いによって部屋から出ることができない。そこに差し出された救いの手が、菜奈の兄からの電話である。帰宅したはずの兄が部屋に入って来なかったことで、菜奈は自分たちが異世界に飛ばされたという結論に辿り着く。呪いを受けていない兄に対し、リモートメンバーが「扉を閉めてきて!」とお願い。「鮫島事件」というワードを出せないせいでなんとも不可解な頼みになっているのだが、「分かった。バイクならすぐだ」の一言でサラッと駆けつけてしまう辺り、佐野岳は現役でヒーローなのだろう。

 

ここで菜奈が、仲間達に対し「お兄ちゃんが呪われたらどうするの!」と激昂するシーンがあるのだが、なら電話切ればいいじゃん…と思ってしまった。ここまで抜群の推理力を発揮して冷静なキャラクターとして成立させていただけに、ここは電話を切らないことが何とも奇妙に見える。

もっと言えば、1度は兄を巻き込まないよう電話を切ったものの、誰かが死んで耐えられなくなり、菜奈からお願いするとか、そういう流れの方が気持ちが入りやすかったのではないだろうか。

 

そしてそこから、怒涛の佐野岳遠隔操作ゲームが始まる。廃墟に足を踏み入れた佐野岳(お兄ちゃん)を、ビデオ通話で遠隔操作し、開けてしまった扉を閉じてもらうのだ。サイト曰く、扉に辿り着くためには写真に写った全ての部屋に入らなければならないという。各部屋には血文字で七つの大罪が1つずつ描かれている。

 

事件の名前を聞くと呪われるというルール(これもあくまで主人公達の推論)のため、佐野岳は詳細を一切知らされないまま、「こういう部屋を見つけて!」とだけ言われる。そんな曖昧な声にも、時折心配をかけないためなのか自分をしっかりとカメラに映しつつ「分かった」の一言でどんどん奥に進んでいく佐野岳。マジで「分かった」の一言で済ませるので面白すぎる。

 

ただ、POVと化し、いつどこで何が来るか全く分からない映像はしっかりと恐怖を煽ってくれる。その緊張を解きほぐすかのようなお兄ちゃんの二つ返事。「強欲…」七つの大罪が書かれている意味は観客にも主人公達にも分からないが、きっとお兄ちゃんはもっと意味が分かっていない。

 

コロナ禍を意識したリモート演出のホラー作品の欠点はこの作品が浮き彫りにしてくれた。「外に出られない」ことである。つまり、メンバーの家の中だけで展開を完結させるほかなく、盛り上がりにかけてしまう。

 

しかし、この映画は同時にその解決策をも具体的に提示してくれた。

そう、「佐野岳の遠隔操作」である。佐野岳は言い過ぎだが、要するに、外にいるメンバーに概要を伝えないまま遠隔操作することで、緊迫感も演出でき、リモート組も置き去りにせずストーリーを進行させることができるのだ。

これは発明と言ってもいいのではないだろうか。

 

ほとんど怯えることもなく遠隔操作されるがままだった佐野岳だが、最後の部屋の直前で遂に霊と邂逅してしまい、絶叫。逃げた先で扉にたどり着き、菜奈に促されるままに閉めるものの、異世界に足を踏み入れてしまう。菜奈の部屋を外からノックし続けるも、菜奈が扉を開けた時には既に絶命。

そして怯える菜奈のまえに霊が現れ、唐突なエンドロールを迎える。Jホラーではよく見られるタイプのバッドエンドだ。

 

総じてかなり楽しめたのだが、菜奈のフルートが箱から出ているのがあまり関係なかったりというのは気になった。笛の音で撃退する方向性なのかとも感じたため、ただのアイテムになってしまったのは惜しい。

 

自分が最も怖いと思ったシーンは濱正悟が襲われるシーン。「お前らにこいつの正体見せてやるよ!」と半ばヤケクソに息巻いてバット片手に霊を迎え撃つ。突然落ちた鍋さえもあまりの恐怖にバットでツンツンしてしまうという怯え具合。何もいないことを確認し、冷蔵庫の扉を閉めたところに…「ドン!」と言わんばかりの霊の登場! これには思わず声が出てしまった。POVで緊張感と臨場感をうまく煽り、霊を出すまでのタメが非常に効果的な前振りになっていた。

 

レビューは酷評の嵐だし、どうしてもチープさは否めない。しかし限られた予算の制約の中で見事に恐怖を演出しつつ、驚きに満ちた強引な展開で観客を惹きつける…そんな魅力に溢れた作品だったと私は思う。

 

ゾゾゾは名前しか知らないのだが、そういったリンクは楽しい。廃墟に潜入系の動画が好きな人は気にいる1作なのではないだろうか。

 

 

 

真・鮫島事件

 

『仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル』評価・ネタバレ感想! 完結編の名にふさわしい美しさ

仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル』を観た。

この記事では感想をがっつりのネタバレありで書いているので、未見の方は注意してほしい。

 

劇場に入る前から、グッズ売り場には長蛇の列。今日の上映分はほぼ満席。私はよく映画館に行くのだが、混雑具合は年末の『呪術廻戦0』と同じくらい。正直オーズの人気を舐めていた。

 

かく言う私はオーズリアタイ勢。本編は5周ほどしかしていないが、毎回ラスト2話で泣いているし、もう「マイペンライ」とか聞くだけでもそこから36話分の情報が脳内で一気に溢れ出し涙を流すような不思議な人間になってしまった。

最終回で「命」を手に入れ、映司たちと過ごした日々に「満足」し、散っていったアンク。彼が復活を果たした『MOVIE大戦MEGA MAX』は、これ以上ない素晴らしいエピローグだと思っていた。未来で映司がアンクを復活させる「いつかの明日」。それはある意味、アンク復活の理由をぼかすための演出でもあったかもしれないが、私たちがエピローグとして「満足」するには十分だった。

 

『スーパーヒーロー大戦』、『MOVIE大戦アルティメイタム』、『小説版』、『平成ジェネレーションズFINAL』、『仮面ライダージオウ』。その後も私達は映司の活躍を何度か見ることができた。「いつかの明日」を夢見て放浪する彼の姿は、震災の年に作られた作品とは思えないくらいに、明るく前向きな気持ちを植え付けてくれる。

 

しかし今回、10周年という節目で、遂に東映は本気を出した。きっとこれは、放送当時に出来なかったことなのだろう。放送時に東日本大震災が起こり、ストーリーは陽性にならざるを得なくなったという話も聞いたことがある。ディケイド、Wと築き上げてきた平成ライダーの過去作との連動を、崩したくなかったという思いもあるのだろう。何より、主人公をああした結末に導くことが、ヒーロー作品として正しいのかという葛藤もあるはずだ。

 

「完結編」などと銘打っておいて中途半端をしたらマジで許さないぞと半ば上から目線に鑑賞した本作だが、なんだろう…結果的には、ほぼ「満足」してしまった。

 

仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル CSMタジャニティスピナー&ゴーダメダルセット版(初回生産限定) [Blu-ray]

 

 

 

・アンクが最高

きっとこの映画を待ちわびていた人の多くは、「オーズ新作」と「アンク復活」の文字に大きく湧いたと思う。アンクは、『仮面ライダーオーズ』という作品において欠かせない要素。だからこそ、アンクのいない『仮面ライダーオーズ』はあり得ない。しかし、最終回でアンクが「死」んでしまったからこそ、『MOVIE大戦 MEGA MAX』で復活が示唆されているとはいえ、そこが描かれることには慎重になってしまう。面倒なファン心理である。

 

だからこそ、アンク復活に納得のいく理由を! そしてオーズ完結編にふさわしい結末を! と意気込んで鑑賞したのだが、まさかまさかのアンク復活から物語が始まる。これ、『コードギアス 復活のルルーシュ』と全く同じパターンだったので、予想はできたはずなのに、オーズがそれをやるとは思えず完全に盲点だった。視聴者の意識は「どうやってアンクが復活するんだ?」から、「え!もう復活したんだけど!」に巧妙に逸らされていく。

何なら800年前の王が復活してオーズとなり、グリードを従えて世界を支配しようとしているという進みすぎな世界観についていけてない観客と、目覚めたばかりのアンクの心情がシンクロするという面白味まで発生している。「説明しろ!」「どういうことだ!」と吠えるアンクは、最早完全に『エヴァQ』のシンジくんである。

 

そこに現れる映司だが、どうも様子がおかしい。確かに元からサイコパスっぽい喋り方ではあったし、こいつは感情を隠すのがとても巧いが、それ以上にサイコパス味を感じる。結論から言うとゴーダという新たなグリードが、死んだ映司の体に憑依しているというわけなのだが、この辺りの演じ分けめちゃくちゃ上手くてさすが渡部秀…と感心してしまう。そしてこれを毎話何体ものイマジンでやってた佐藤健もすげえ…。

 

そしてとにもかくにも、この映画はアンクが素晴らしかった。MVP。鳥とか関係なくこの映画で一番高い位置に上げてあげたい。命を知り、満足した先で、彼は別人となった相棒に出会う。こんな絶望があるか?

TVシリーズで1年間ずっと自分の体、そして命に執着していた彼が、あの結末から映司との別れを惜しむ。もうこれだけでグッときてしまう。ラストがどうこうという意見はあるかもしれないが、復活したのにもう誰より大切な人がいないと知った時のアンクの気持ちに寄り添ってみれば、私達が映司君を奪われたことなど、大したことがないのかもしれない。

 

映司の体に憑依するゴーダ。これは本編でゴーダ自身も言っていた通り、泉刑事の体を乗っ取ったアンクと同じ状況。要するにこの作品におけるアンクからゴーダへの感情は、TVシリーズ序盤の比奈ちゃんからアンクへの感情と似たものということになる。大切な人の体が奪われて別人にされて勝手をされて、それでも死なせないために憑依を許すというやるせなさ。アンクを通して、当時の比奈ちゃんの器の大きさと悲哀がバンバン伝わってくる。この作品、そういう本編の感情増強もめちゃくちゃ強い。

 

後は乗っ取りといえば忘れられないのが、アンク(ロスト)によるアンク吸収。思えばオーズは乗っ取りだの憑依だのが多い。映司はアンクを取り戻すためにアンク(ロスト)を倒し、そのことが映司からアンクへの気持ちを再確認することにも繋がる。そこでアンクのメダル壊しちゃってアンクの完全復活を妨げちゃうのがな…。

 

話が逸れたが、今作の主人公は最早アンクと言っていい。彼は映司達によって、生きることを全うし、心情に変化がもたらされた存在。主要メンバーは完成されたキャラクターが多いだけに、「満足」へと突き進んでいくアンクの姿は、私たちの心を打った。そんな彼が、今度は映司を、そして世界を取り戻すために戦う。もうこの筋書きだけで満点である。

 

そして今回何度も挿入されたアンクの涙。思えば『仮面ライダーオーズ』は、やはり震災の影響で暗い物語を避けたのか、「喪失」が圧倒的に少ない作品だったように思う。人が死ぬことはほとんどなく、伊達さんも生き永らえ、アンクの最期も「いつか会う日まで」のような、希望を予期させるラスト。だがここに来てアンクは、大切な人との死別、「喪失」と向き合うことになる。涙を流すアンクは非常に珍しいのだが、逆に言えばアンクが涙を流すほど、映司との関係を大切に想っていたということ。完結編で、まだ知らないアンクの姿を知ることになるとは、完全に予想外だった。

 

 

・映司の死

率直に、「すげえ!やりやがった!」という感想が浮かんだ。私は感動こそしたものの、泣きまではいかず、それ以上に驚きが勝ってしまった。

それは、主人公を殺すという選択を、まさか作り手側がするはずがないだろうという予想が裏切られたことへの驚き。だからゴーダが「映司は死んだ」と言った時も、とかいってギリギリの奴だろ…と高を括っていた。真司くんですらライダーバトルリセットで生き返ったし、剣崎だって悲しい結末ではあるが死にはしなかった、フィリップも帰ってきた、神様になった後にちょくちょく地球に戻ってくる奴までいる、1話で死んだライダーだっている。今後の作品に出るかもしれないし、そんなことをするはずがないだろうと、最後の最後までハッピーエンド…少なくとも映司は生き残るエンドを予想していた。

 

しかし、火野映司は死んだ。完結編と銘打った最新作で、命を散らした。

 

それ自体は悲しいことである。発狂する人が出てきてもおかしくはない。

だが、非常に映司らしい最期だったと、私は思う。映司はそもそも、自分の命を顧みず、他人に手を差し伸べるような異常者。だからこそ、紛争地域で少女を救えなかったことで、一気に乾いていったかのように、無欲になってしまう。しかし戦いを通じて自身の欲望を思い出し、世界を救いたいという気持ちを新たにし、その上で「自分の手の届く範囲には限界があっても、人と手を繋いでいくことで、どこまでもその手を伸ばしていける」ことに気付く。だからこその、オーズの力をくれたアンクに対しての「ありがとう」なのだ。

 

映司は決して、大きな変化のあるキャラクターではなかった。アンクに比べれば、本当に僅かな変化しかしていない。ただそれでも、「人と手を取り合う」ことの意義に気付いたことは、彼にとって大きな収穫。それに気づかせてくれたアンクは、彼にとって何より大切な相棒なのだろう。だからこそ、彼に会いたいという願いは、アンクを復活させるに至らしめた。ちょっとファンタジーが過ぎる気もしないではないが、そもそもオーズという作品は人の欲望の力を原動力としているので、納得ができないということもない。

 

そして今作、ようやく映司が「人を救う」ということが直接的に描写される。それは彼が救えなかった女の子と同じ年頃の少女。10年空いた完結編にしては美しすぎる終わり方というか、もしかして当時の最終回もこれのつもりだったんじゃないかとさえ思えてしまう鮮やかな帰結。思えば完結編は、「人と手を取り合う」というオーズが終盤にして明確に打ち出してきたテーマすらも、映司の自己犠牲の精神に呑まれてしまうようなことになっている。アンクが腕だからこそ、「手をつなごう」というテーマにしたと、何かでメインライターの小林さんが仰っていた気がするのだが、もしかすると武部Pや毛利さんは全く別の方向性を考えていたのかもしれない。

 

映司が気づいた手をつなぐことの大切さ。しかし結局彼は、正義感を捨てきれず、自分の身を挺して少女を守る。それこそがきっと、映司にとっての「本当にやりたかったこと」なのだろう。そして死を感じ行く中で、思い残したことこそが、アンクとの再会だったに違いない。

彼の死は、視聴者にもアンクにも比奈ちゃんにも、決して簡単に受け入れられることではない。だが、映司自身はずっと後悔していたことにようやく手を伸ばし報いることができたはずである。満たされて命を散らす…これはアンクが最終回で迎えた結末と全く同じであり、この完結編は最終回の映司とアンクの立場を逆にしたものと言えるかもしれない。

 

・きつかった点

ここまで割と絶賛をしてきたし、実際構成やストーリーやテーマの扱い方に対しては、ほぼ文句の付け所がない。10周年記念でよくここまでのことをしたなあという感心すらある。『テン・ゴーカイジャー』で我々を油断させておきながら、主人公を殺す東映の姿勢に驚きを隠せずにいる。

だが、やはり「う~ん」と思ってしまった点もないではない。これは結構個人差があると思うのだが、私は全体的に「TV本編を想起させるファンサービス」的な側面のセリフや演出がキツかった。

 

一つはゴーダがタトバに変身した後のシーン。アンクに対し「歌は気にするな」って言ってよ~とおねだりするくだり。確かに、映司の体に憑依している嫌な奴感はすごく出ているし、実際これ言われたらアンクはめちゃくちゃ嫌だろうなあとも思うのだが、ちょっとやりすぎ…というか。

「歌は気にするな」やコンボソングって、ファンや演者が作品外で色々言っているくらいが丁度良いと思っているので、こうして作品の中に取り入れられるのは、ちょっと嫌だなと思う。これはきっと毛利脚本ならではなのだろう。オーズの「ファンに愛されている部分」を抽出した結果が、このセリフなのだろうが、小林さんならきっとこんなことは言わせないだろうな…という気持ちがよぎってしまった。

これもそうなのだが、全体的に作品とファンの距離感には、もっと気を遣ってもらいたかったなというのがある。近年のライダーの多くに言えることでもあるのだが、ファンがそれをネット等でネタにしているからといって、それを安易に作品に組み込む作風が私はあまり好きではない。特にオーズ放送当時はまだTwitterなどの文化もそこまでの普及はなかったからこそ、そういった点に強い違和感を覚えてしまう。

 

後は最終回のセリフを意識したであろう、タジャドルエタニティ変身シーン。「お前がやれっていうなら…」のところである。これも正直、聞いていてキツかった…。最終回の映司のセリフであることは明白なのだが、それをまんまアンクが言うという展開がどうしても受け入れられない。既に映司が死んでいるor助からないことを理解しているなら、あのセリフにはならないだろう。最終回でアンクに対し映司があれを言ったのは、メダルが割れ、死の危険性がある中でも自分を変身に使ってくれと指示したアンクの決意を汲み取ってのこと。

今回アンクが言うには、あまりに積み重ねが弱すぎる。アンクのキャラならもっとツンデレ的に「はっ!今回だけだぞ」とかあっさり目でもよかっただろうに…。それにアンクは欲望の権化であるグリードなのだから、「死ぬんじゃねえぞ」くらい映司との別れを惜しむセリフがあっても…。きっと感動させることを意識したセリフだからこそ、余計にサムく聞こえてしまった。その後のエタニティ+生身映司君も申し訳ないけど無理だった。

 

最後も似たようなものなのだが、途中の比奈ちゃんとアンクのシーン。「また手を繋げるようになるかな」みたいな点も、個人的にはダメだった。言いすぎというか、きっと最終回を演出した田崎監督だからこそ、色々と「逆」や「セルフオマージュ」をやろうとしたという気概は分かるのだが、正直要らない…というか。もちろん逆にこれが刺さってここで涙腺が決壊する人の気持ちも分かるのだけど、ちょっとファン目線に寄り添い過ぎてる感じが、どうしても受け入れられない。もっと突き放してくれても良かったのにと思う。最終回と対の構造になっていることは明白だし

 

 

・最後に

自分が10年以上好きだったものに続編が作られるということが人生で初だったせいか、観る前は本当に緊張してしまった。楽しみよりも心配が勝ってしまう。1番怖かったのは「自分だけがこの完結編を受け入れられない」というパターン。世間では絶賛されながら、自分にはハマれなかったというのが本当に辛い。まして大好きな作品がそれになってしまう可能性があったことが本当に苦しかったし、『スター・ウォーズ』のファンの気持ちがわかったような気がした。

だが結果的には、ほぼ「満足」の出来。彼らが彼らのままでいてくれたことに、まずはお礼を言いたい。演技も声もみんな変わらず、またオーズの世界に浸れたことが素直に嬉しい。ラストを受け入れられるかどうかは個人に依るし、オーズという作品が陽性で突っ走っていた様を見てきたからこそ、これまでファンだった人の中にも拒否反応を示してしまう者もいるだろう。だがそれでも私は、『仮面ライダーオーズ』という作品に出会えたこと、そしてこの『完結編』が作られたことに、とても感謝している。

 

主人公を欠いた『仮面ライダーオーズ』だが、グリードがメダルを9枚という欠けた数字に変えたことで誕生したように、この喪失感を埋めようという気持ちが、更に何かを生むかもしれない。

とにもかくにも、素晴らしい10周年記念作品を作ってくれた方々に、本当に感謝である。

 

 

 

 

映画『余命10年』評価・ネタバレ感想! 少し長いがシンプルに泣ける感動ドラマ

映画 余命10年 写真集

 

 

映画を観て涙を流すというのは結果論だと思っている。

そのため、泣くために映画を観るという感覚は私にはない。

 

だがこの『余命10年』、泣こうと思って鑑賞に挑む方も少なくないのではないだろうか。

年に2~3作品は公開されている印象の、闘病系感動映画。

正直私はこういった映画に免疫がなく、これまでほとんど観たことがない。

そんな私がこの映画を観ようと思ったのは、藤井道人監督の作品だからである。

 

去年『ヤクザと家族』を観て、その構成と重厚さに度肝を抜かれた。過去作の『新聞記者』や『デイアンドナイト』では、善悪という難しい価値観に果敢に挑み、直近では『アバランチ』などのドラマでも活躍している。

見逃してしまったのだが、『情熱大陸』にも出演するほど今”ブレイク”している藤井監督。どちらかというとサスペンスの印象が強い藤井監督だが、『青の帰り道』や『宇宙でいちばんあかるい屋根』などの青春系映画も撮っている。

 

男女の恋愛作品となると、2014年の『幻肢』がある。交通事故によって同乗していた恋人を亡くした主人公の男が、目覚めると彼女のことを一切憶えておらず、特殊な治療によって少しずつ彼女の幻影を見るようになる…という話。原作もあるこの作品だが、こちらはお互いの愛が重く、結末も「正直どうなの?」と思ってしまう。嫌いではないが、ある意味ファンタジーにも見えてしまうようなキャラクター性だった。

 

しかし今回の『余命10年』では、キャラクターの感情の機微がしっかりと描かれている。大切な人に出会えた奇跡、大切だからこそのすれ違いが生む感動に、つい涙を流してしまう。

 

 

・誰もかれもを好きになる

こういった闘病系映画を観た記憶がないのだが、まず驚いたのは『余命10年』には悪人が一切出てこないこと。藤井監督作品ではほぼ間違いなく憎まれ役を買って出ていた田中哲司でさえも、小松菜奈演じる茉莉を支える医者を演じており、出てくるキャラクター全てが愛おしい。

私が特に好きなのは、茉莉達の同級生でもある、山田裕貴演じるタケル。ちょっとチャラい役どころでもあるのだが、山田裕貴の持ち前の明るさと相俟って、すごく好感の持てるキャラクターだった。

 

また、余命10年という悲劇的な人生を歩むこととなった茉莉がすごく健気で、大人びた覚悟を決めているのも良い。自分の人生があとわずかであることを知りながら、それを武器にせず、むしろ変に同情されたくないと、周りに隠して生きることを選んだ茉莉。そんな中、同窓会で出会った和人と親しくなり、自分の境遇を強く嘆くことになる。

 

病気のこともあり、恋なんかするはずもなかった彼女は、当初自殺を図った和人に対して怒りを露わにする。命を粗末にしようとしたことに対して、「ズルい」と本音をぶつけ、その言葉と茉莉との再会が、和人にとっての生きる希望となっていく。茉莉も徐々に彼に惹かれていくのだが、長くは共にいられないことを言い出せず、自己嫌悪にも陥ってしまう。

 

闘病中だった茉莉はもちろん、家族に見捨てられ職を失い、孤独に生きてきた和人も自身の生きる理由を見失ってしまっていたという始まり。しかし和人は茉莉を大切に想うことで、生き生きとした表情と自分らしさを取り戻し、終いには自分の店まで持つようになる。最初は目まで覆ってしまうほど長かった前髪も、店のオープン記念日にはしっかりとおでこを出すヘアスタイルに変わっていく。徐々に前髪の上がる坂口健太郎…!

ここで和人を支える店長のリリー・フランキーも、出番は少ないながら存在によって場を引き締めてくれるというか、言葉の一つ一つが心に沁みるというか、とにかく安心感が半端じゃなかった。

 

茉莉も和人も自分の生に意味を見出せない状態だったのに、お互いに愛情を育むことで、互いの存在が生きる理由になっていく。しかし、その素敵な時間のタイムリミットが迫ってきているからこそ、とても切ない。互いを想い合うからこそのすれ違い。それは茉莉と姉の間にも生じた軋轢。大切な人を大切に想う。ただそれだけのことが、「余命10年」というフレーズ一つでこんなにも複雑になってしまうのだ。

 

この作品には恋愛映画によくある「思いの丈をぶつける」ようなシーンが少なかったのも印象的。時折茉莉が声を荒げることはあるものの、激昂して喧嘩してという場面はほとんどなかった。気持ちを強く表現できない、各キャラクターの優しさが滲み出ているような。だからこそストレスなく、茉莉や和人の感情にすっと入り込むことができるのだろう。

 

 

・楽しい思い出は一瞬に

『余命10年』のキーワードとして、随所で用いられる桜。物語のスタートも、茉莉と和人との再会も、桜によって美しく彩られる。しかし桜を見るということは、茉莉の人生の終わりが迫っているということでもあり、美しい見た目とは裏腹に、非常に残酷な時間の経過を表す、ある種死神のような役割さえ担っているのだ。

 

藤井監督は花や植物を愛していた原作者・小坂流加の遺志を汲み、茉莉のデスクに季節の花を飾り、その一つ一つに花言葉の意味を込めたという。公式パンフレットに書かれている情報だが、鑑賞時には確認できていないので、また観返したくなる。

それほどまでに季節の移り変わりを大切に描いたこの映画。それは茉莉と和人の思い出のシーンでも大切に演出される。

桜の下での会話、夏祭り、スキー場でのスノーボード。だが、茉莉達がただひたすらに楽しく、笑い合えていた美しい思い出は、この映画では強く描写されない。茉莉がビデオカメラで撮影したシーンがさらっと映し出されるだけのことが圧倒的に多い。

 

2人が辿ってきた約10年の数々の思い出。そのただひたすらに幸せな時間、きっと和人は茉莉との将来を思い描き幸せに浸っていたのだろう。反対に茉莉は幸せを感じながらも、嘘をついているような罪悪感と、この幸福が永遠でない寂しさを抱えていたのだろう。

ただただ幸せな時間は、2人が「敢えて思いを言葉にしない」ことで守られた平穏だったのだ。関係を進めても、真実を話しても、終わってしまう幸福。だからこそ意味があるし、観ているこちらにもその儚さが感動的に映る。

 

そして、和人が病気を知り、それでも茉莉に隣に居てもらいたいと告白する。それを受け入れる茉莉だったが、病気が不治の病であることはまだ言うことができない。プロポーズされた翌朝、シャワー室で1人肩を震わせて涙する茉莉の寂しい背中は、見ているだけで辛くなるものだった。翌朝宿を抜け出し、追いかけてきた和人に遂に真実を話す茉莉。そこからしばらく縁が切れてしまうが、茉莉の小説を読んだ和人は、思わず駆け出し、彼女に会いに行く。

 

生きる意味を見出せなかった2人が惹かれ合い、互いを大切に想う。そして、それだけのことが病気という理由だけで難しいからこそ、もどかしい。誰も間違っていないのに、選択の一つ一つに慎重にならなければならない。後悔したくないと分かっているのに、傷つけないために遠ざけてしまう。

 

映画でリリー・フランキーが言っていた「人生一度っきり」というセリフに、この映画の全てが凝縮されている気がする。闘病生活を送るような人はそう多くないかもしれない。それでも、何気ない日々が力をくれること、大切にしたいと思える人に出会えることの素晴らしさを教えてくれるこの映画には、素直に感動させられる。

 

劇的な展開はないかもしれない。心に強く刺さるほどのセリフもないかもしれない。それでもこの2人が出会い、慈しみ合ったことの意味は、多くの人の心を刺激するはずである。歩んできた道程と人を想う心が、どれほど美しいものなのかを教えてくれる、春にふさわしい映画だった。

 

 

 

 

 

機界戦隊ゼンカイジャー感想⑤ 第25カイ~第32カイ

スーパー戦隊シリーズ 機界戦隊ゼンカイジャー Blu-ray COLLECTION 3

 

総集編を挟み、ゼンカイジャー第2幕のスタートとも言えるであろう第3クール目。もう折り返し地点にきているのかあという気持ちと、折り返しなのにずっとバカバカしいどころかバカバカしさが増していってるが…?という感情。新幹部の登場や並行世界を旅するなど、実はしっかり縦軸が進んでいるのも、ゼンカイジャーの良いところ。

 

 

 

・第25カイ!やり直せ!ゼンカイジャー・改!

仮面ライダー龍騎』第28話を彷彿とさせる総集編。過去を振り返るのはゼンカイジャーの面々ではなく、時を戻す能力を持つヒドケイワルド。ゼンカイジャーやゴールドツイカー一家が過去を振り返るなんて野暮なことをするはずがないのだという宣言にも聞こえる。

今回の脚本は八手三郎名義。ということで若干介人の口調などに違和感があるものの、スピンオフの時ほどではない。地味にゲゲの声優が変更されていたりと、様々な小ネタを挟んでくるあたりはさすがである。

 

このカイの見所はやはりヒドケイワルド。時を巻き戻すという凄まじい力を持ちながら、過去のバラシタラやイジルデに全く理解してもらえないという不遇。タイムリープもののお約束である「未来の出来事を話しても信じてもらえない」を、何故かゲスト怪人が担ってしまうのがこの番組なのである。とはいえゼンカイジャーがピンチであることには変わりなく、そんな窮地を救ったのがセッちゃん。これまでナビゲーターの立ち位置に甘んじていたが、タイムリープに巻き込まれ、ひそかにゼンカイジャー側に情報を共有。それによりゼンカイジャーはヒドケイワルドの存在を把握しており、撃破に繋がった。

 

レトロワルドのカイがやっちゃんカイなら、今回はセッちゃんのカイ。サブメンバーにもきちんと見せ場があるのは、ゼンカイジャーのテーマが「家族」だからこそだろう。セッちゃんの活躍がここでしっかりと描かれることで、後述するギュウニュウワルドカイの感動にも繋がってくる。

 

ドアワルド戦でステイシーが介人を自分の足でうろうろしながら探していたことまで明らかになった今回。ヒドケイワルドがあまりに可哀想なせいで、ステイシーですら極悪人に見えてしまう。ただ、「歌って踊る海賊に気を付けろ」というのはさすがに無理があるし、やはりゾックスのキャラクターは唯一無二なんだよな…。

 

 

 

・第26カイ!改造王子と闇の外科医!

ステイシーがパワーアップ!サブタイトルの「闇の外科医」はイジルデのことなのかな。第23カイで介人との決闘に敗北し、ゲゲに拾われイジルデに強化改造されたステイシー。その間にバカンスと総集編を挟んでいたが、今回はしっかり真面目なカイ。どころかここまでで一番のシリアスかもしれない。

 

ステイシーと再会を果たして喜ぶものの、彼の中の迷いに気付き、戦えなくなってしまう介人。そんな彼が、「俺がずっとやられなかったら、お前の気持ちが変わるかもしれない!」と決意表明をするカイ。くよくよ悩まないのが介人の魅力的な部分として描いてきて、悩む時には5人一緒にを心掛けていたゼンカイジャーだからこそ、この決断はすごく心にくるものがある。

 

パワーアップしたステイシーザーは右腕にミサイル、左手に盾、そして胸部に砲口が追加。ゼンカイザーもツーカイザーもしっかりパワーアップしたのに、マイナーチェンジしかさせてもらえないステイシーザー…。人気はあるのに、DX玩具が一般発売されないというだけでこうも扱いに差があるとは…。

 

そしていよいよ介人の母親が目覚め、トジテンドを脱出。その背景に、美都子がやっちゃんの大切な人だと気づいたステイシーの協力があるのがいい。ステイシーの葛藤を起点として、縦軸がバンバン動いていく構成もすごく好き。介人が全力で向き合ったからこそ、ステイシーがその眩しさに魅せられて、結果的に介人のためになる行動に繋がる、という。まあそれがここから彼にとっての地獄に繋がってしまうわけだが…。

 

 

・第27カイ!7つの世界を大航海!

待ちに待った…というか、むしろその手があったかと驚いてしまうくらいに盲点だった、並行世界に介人達が赴くという展開。異世界を描いていた『仮面ライダーセイバー』が終了したことを受けてのようだが、しっかりそういう差別化はしているのねと驚き。柏餅にレトロに氷にキノコ、背景さんや美術さんの苦労が窺えるカイだった。

 

美都子が逃走したことを知り、並行世界を駆け巡るという筋書きだが、ゾックスの「お前だから協力してる」というセリフは彼を象徴しているなあと感心。スーパー戦隊にはあまりいなかった、世界を守ることを信条としないキャラクター。と書いてて気づいたが、香村脚本のルパンレンジャーなんかは正にそれだったかもしれない。平成ライダーにはこういう面倒なタイプが多いのだが、ゾックスはその厄介さを、歌とダンスで見事に覆い隠してしまっている。その上に家族想いな一面と、介人に心を動かされる成長っぷりが観ていて堪らない。根っこが蛮族だからこそ、ヤンキー更生物語のような感動すら覚える。

 

 

 

・第28カイ!週刊少年マンガワルド大図解!

2週連続で縦軸を進めてしまったからか、急激にIQを低下させたようなカイが続く。その前編となるのがこのマンガワルドカイ。マンガワルドの「執筆スプラッシュ」なる技を喰らったものはマンガにされてしまう…という意味の分からなさ。ジュランとマジーヌ…おまけに介人までマンガにされ、ゾックスのマンガ好きという意外な一面が明かされる。

 

縦軸を進めなくとも、キャラクターの新たな魅力を掘り下げたりしっかりと関係性を築いていったり、ギャグに振り切ったりととにかく楽しませてくれるゼンカイジャー。そういう意味でこのカイは演出がとても楽しいカイだった。変身シーンや名乗りすらもマンガのまま。セリフを喋るとそのマンガが更新される…。ギャグ以前にその作り込みというか熱意に圧倒されてしまう。

 

冒頭ではステイシーが介人に攻撃をしかけるものの、「ごめん!」と後回しにされたことに笑ってしまう。26カイでしっかり決意をしたからこそ、ステイシーを倒したくないし、倒されたくもないし、他に用事がある時はなるべくそっちを優先したいという、介人なりの理論が爆発しているのが結果的にどうしようもなく面白くなってしまっている。ステイシーにとっては介人を倒すことこそがアイデンティティを確立する方法なのに…。あの返答はステイシーからすればかなり侮辱的な行為でもある気がする。ただそれがしっかりキャラ理解になっているのが、ゼンカイジャーの素晴らしいバランス感覚でもある。

 

ゾックスのマンガ好きどころか、「マンガを描けばいいんだ!」と楽観的な介人達に「マンガを舐めるな!」と激昂する熱さまでが披露された今回。マンガワルドから盗んできた大切なお宝さえも、弟達のためなら平気で作戦に利用できるのが、彼の良さだよなあと改めて実感。ゾックスをますます好きになるカイ。

 

 

・第29カイ!王子のねらい、知ってるかい?

「やばすぎる」の一言に尽きるカイ。

ギャグ戦隊のゼンカイジャーがこれまでになく本気を出したとんでもないカイである。本人達は至って真面目、だけど起きている現象はどうにも笑えてしまう…というのがゼンカイジャーの大きな要素なのだが、ここまでしっかり仕上げてくるのは、本当にズルい。私はテニプリをほとんど知らないのだが、それでも明らかにおかしいことは分かる。列挙するとキリがない。

 

テニスでしか倒すことのできない怪人テニスワルド、テニスは格闘技だと言い張るゾックス、滝行により無から滝を生み出せるようになったブルーン、テニスのパワー、徐々に上がっていく介人のパンツ…。

 

以前芸人のチョコレートプラネットが、自身のYouTube動画について、「ツッコまない方が面白がってくれる。ひたすらボケてツッコミは視聴者に任せるようにしている」という趣旨のことを話していたのだけれど、ゼンカイジャーは正にそれに当てはまるよなあ、と。

「なんでだよ!」というツッコミ役を担う人材はほとんどいなくて、唯一言いそうなステイシーは孤独を極めているのでそんな場合ではない。何ならその孤独さえもボケみたいに見えてしまう。だから視聴者が個人的に、もしくはSNSでツッコミを入れたくなる。客観的な目線が作中に入らない分、介人達の全力感や一体感は強調され、それは直接的でなくとも、観ているこちら側の元気や活力につながっていく。そういったことを意識しているのかどうかは不明だけど、コロナ禍で生活スタイルに変化が要求された現代において、この「楽しそうにしているのが見られる」というのはすごく良いなあと思う。

 

ギャグカイでもキメるとこはしっかりとキメてくれるゼンカイジャー。やっちゃんがテニスボールにされたことに怒ったステイシーは自らサトシとしてテニスワルドと戦い、仮面を外してテニスワルドのほぼ無敵の能力を無効化する。その行動がゾックスに認められて、ゾックスとステイシーの間にも絆のようなものが芽生えていく重要なカイでもある。これまでたくさん悩んできたのにテニスで認められるの、マジで何なんだよ…。

今回もステイシーが介人に戦いを挑むところから始まるが、「配達があるから!」と一蹴されるステイシー。普段あんまり配達なんてしてないのに…。ステイシーを思い遣るからこそ彼の扱いがどんどん雑になっていく介人が面白くて堪らない。

 

 

・第30カイ!隣のキカイはカキ食うハカイ?!

遂に新幹部ハカイザーが登場。いかにも悪者というフォルムに反し、中身はジョルノ・ジョバァーナ並みに爽やかなキャラクター。「全力でハカーイ!」という合言葉と決めポーズ。正体はまあ明らかではあるのだが、だとしたらマジでイジルデめ…。ボッコワウスに叱られることへの恐怖やバラシタラへの対抗意識やプライドという感情は持っているのに、こと思い遣りの面となると、何故か平気で他人を改造できるし人の制作物をパクってしまえるイジルデ。

 

介人は第21カイで偽物の自分が偽物のギアトリンガーを使った時でさえ怒りを露わにした人物なので、ゼンカイジャーの初期案でもあるハカイザーと、両親の研究の成果でもあるゼンリョクゼンカイキャノンを悪事に使われて怒るのは至極真っ当である。コピーワルドのカイはそんなに好きではないのだけれど、こういう些細な積み重ねがちゃんと効いてるのはゼンカイジャーのすごいところ。

 

カキワルドと見せかけて実はホシガキワルドでした~というバカバカしさは見事。いつも語尾で正体が分かってしまうワルドだが、ホシガキワルドはしっかり使い分けるほどの分別を持つ。ゼンカイジャーは敵の能力を解析するパートよりも、やられちゃったけど倒す方法を考えよう、倒せば戻るから!という頭の切り替えが最高。今回もヒーローが漏れなく攻撃を受け、のどの渇きに苦しむものの、ゾックス達が機転を利かせてバトル中に給水所を設置。このバカバカしさこそがゼンカイジャーの真髄だとも思う。

 

第29カイのような完全に狂ったカイもいいのだが、それとはまた違い、こうしたちょっとしたおふざけ感というのがすごく好きで、私はゼンカイジャーらしさを強く感じる。ゼンリョクゼンカイキャノンも取り返し、戦力増強。やはりスーパー戦隊と言えばバズーカだよなあ(バズーカにしては小さいが)という世代なので、これはかなり嬉しい。45体のヒーローの頭が飛び出てくるのはちょっとよく分からないが…。

 

 

 

・第31カイ!ギュウっと合体!NEWっと公開!

ゼンリョクゼンカイオーが登場し、遂にゼンカイジャー5人が合体!姿がめちゃくちゃかっこいいのだが、何よりフルCGであることに驚きを隠せない。確かにゼンカイジャーにはブルガオーンにジュラマジーン等、コストの都合上なのかCGのロボが数体いたが、まさか最終ロボがスーツなしとは…。ストップモーションらしいが、かなり自由度の高い戦いになっており、見ごたえ抜群。何よりいつもよりも長尺である辺りに、スタッフの本気度を感じる。

 

話としてはそこまで縦軸が進むわけではないのだが、介人が幼いころから心の支えにしてきたセッちゃんが、ギュウニュウワルドの攻撃によってデータを失い、沈黙してしまうというかなり悲劇的な展開に。介人はいつでも明るく、どんな時でも周りに寄り添う優しい青年だっただけに、セッちゃんを失ったことへの涙と、ギュウニュウワルドへの怒りは相当なインパクトがあった。彼がここまでワルドに怒るのも相当珍しいので、ギュウニュウワルドはその点だけでも誇っていいと思う。

 

また、地味にファインプレーをするのがゾックス達。ワルドを倒そうとするゼンカイジャーの邪魔をするハカイザー。彼を食い止めるため、1人で戦いを挑むゾックス。それでいて気を遣わせないためか、フリントと口裏を合わせて、ゼンカイジャー達には何も知らせずワルドへと誘導する。マジでゾックスのこういうところが好きなんだよなあ。さりげないかっこよさをちゃんと提示できるヒーローは強い。ただそれがゾックスにハカイザーへの違和感を抱かせるきっかけとなっちゃうのがなあ…。

 

 

・第32カイ!怒るサカサマ!まさかサルかい?

サブタイトルの回文に感心するものの、猿は一切関係がなかった。スーパー戦隊お家芸である入れ替わり回。ファンはご存知の通り、敢えて正反対のキャラクターの心身を入れ替えることで、お互いの良い部分を認め合い、絆を生み出すコメディタッチな回に仕上がることが多い。中には物と入れ替えられてしまうシンケンジャーや、おちゃらけ怪人と入れ替わってしまうルパンブルーなどのイレギュラーなものもあったが、それでもやはり入れ替わり回が楽しいことに変わりはない。

 

しかしこのゼンカイジャー、入れ替わり回にシリアスを持ち込むという暴挙に挑んできた。入れ替わったのは介人とステイシー。トジテンドへ行けるようになった介人と、カラフルに行くことになったステイシー。介人はトジテンドでのステイシーの孤独を知り、ステイシーは介人の周りが暖かい人物たちで溢れかえっていることを思い知らされる。「このまま戻らなければ…」という邪な感情すら抱いてしまうステイシーに、涙を禁じ得ない。

 

この頃からやはり、介人とステイシーの関係が、『ルパンレンジャーVSパトレンジャー』のパトレン1号とルパンレッドの関係性に酷似してきているなあと感じる。同じ香村脚本であることも大きいのかもしれない。介人という明るくてまっすぐな人物に惹かれながらも、出自や性格によってそうなれない自分を疎ましく思ってしまう孤独感は、正に魁利(ルパンレッド)が抱いていたものと同じ感情。それでいて、その心情を推し量りながらも、どうすれば相手の心を傷つけずに済むかと思い悩む介人の姿は圭一郎(パトレン1号)と重なる部分が多い。

 

ルパンレッドはルパンレンジャーであることを自身の個性として受け入れる終わりを迎えたが、ステイシーは少し違う結末をたどっていく。憧れの対象であるヒーローを強く前向きに描くことで、闇を浮き彫りにする手法は、香村脚本の得意分野なのかもしれない。

 

フリントの変身や、ステイシーザーを中心に据えての名乗りも楽しいカイ。カッタナーとリッキーが入れ替わっているのも面白い。介人の前にステイシーが現れて戦いを仕掛ける冒頭を天丼で持ってくる構成もさすが。

それでいて戦いが終わった後のジュランの「あんなところでよく一人で」という言葉に、ステイシーの心情を重ね合わせる介人の優しさよなあ。テニスワルド戦の積み重ねなどもどんどん効いてきている。何度も言うが、バカバカしいけど無駄がないのが、ゼンカイジャーの素晴らしいところ。

 

 

 

・最後に

介人とステイシーの関係性がどんどん濃密になっていき、救ってあげたい介人と、劣等感を抱くステイシーの物語が、ストーリーをどんどん前に進めていく。まだまだ登場したばかりのハカイザーの正体やステイシーのその後…。それでも緊張感ばかりにならないのが、ゼンカイジャーらしさである。