Vシネクスト『仮面ライダーギーツ ジャマト・アウェイキング』を観た。『ギーツ』本編はバトルロイヤルの連続によって構成される新鮮味に溢れた筋書きこそ好みだったし、「人々が自由に願いを叶えられる世界を創る」というライダー達のたどり着くゴールにも惹かれた。ただそもそもの舞台設定、「叶えられる願いの総量が決まっている」という土台に違和感を覚えてしまい、そこまで前のめりで鑑賞することができなかった記憶がある。ギーツ達の活躍によって世界が視聴者の生きている「今」とリンクした…的な構成ならもっと早くそう言ってくれればいいのになという思いも抱いていた。それでもデザイアグランプリを繰り返しメインのライダーでさえ脱落していく作劇は、視聴者を翻弄していく面白味に溢れていたと言える。前代未聞のストーリー展開であり、作り手の苦労も窺える作品であった。
そんな『ギーツ』のVシネ、素直に言うと本当に面白かった。本編が毎週放送される30分番組であるという自覚を持ち、開示する要素や進める展開のコントロールに苦心したであろうことを感じられる作品だったのに対し、劇場版がそうであったように、単発作品は非常にシンプルで力強い。「全ての人々が幸せになれるように」という単純明快なゴールが決まっているからこそ、愚直なまでに王道の物語が展開される気持ち良さ。本編がそれこそ狐のようにこちらを化かすことに特化した話運びだとするならば、劇場版とVシネは正に痛快娯楽作。思えば『仮面ライダーギーツ』はエゴのために戦い合う者たちが、自分達を利用する存在と向き合うことで、願いの呪縛から人々を救う存在へと変わっていく物語だった。だからこそ、そのゴールの先にあるVシネも、自然と王道ヒーロー作品になったのだろう。
劇場版で語られた、未来の人間は地球も肉体も捨てているという衝撃の事実。肉体さえ持たないまま宇宙の仮想空間に住むようになった地球人は娯楽に飢え、命に飢え、やがて人の生き死にが懸かったゲーム・デザイアグランプリに熱狂するようになる。命の概念が私達と大きく異なる未来人だからこそ、袮音が作られた人間だと知った時に激しく怒り、落胆したのだろう。これは一個人の生活や人生が「推し文化」として消費されていくことへの警鐘とも取れるが、「推し文化」をそのまま否定するのではなく、推したい存在を支える在り方を示唆する目線も持っているのが『ギーツ』の素敵なところだと思う。
話を戻すと、人類が形を変えてしまうことが前提条件としてサラッと明かされる辺りも、この作品の特異性だと言えるだろう。本来ヒーロー作品はヒーローがその未来を変えるべく動くのが定石であるが、『ギーツ』においてその部分は変えることのできない未来として位置付けられている。こんな冒険ができるのも仮面ライダーシリーズの受け皿の深さゆえである。
しかしその前提条件が、Vシネのあらすじとして膨らませられていく。地球を去った人類さえも滅ぼそうと襲い来るゴッドジャマト。その脅威を未然に防ぐために1000年後の浮世英寿が現代へと駆けつけるのだ。そう聞くと英寿がヒーローであるかのようだが、実際には現代の英寿や他のライダー達の前に敵となって立ち塞がる。『ガッチャード』の宝太郎は未来では声がDAIGOになり世界が滅亡しても諦めることなく、過去の自分を見て「さすが俺」と零してしまうような愛嬌に溢れたヒーローだったのに、未来の浮世英寿は大した説明もなく過去の仲間に牙を剥く。1000年と言う時間が彼の何かを変えてしまったのかもしれないが、そういうところに理屈を無理につけない辺りも「ギーツだなあ」と感じた。
思えば、このVシネのあらすじはかなり飛躍している。そもそもデザイアグランプリを軸にしていた本編からデザグラ要素を抜くとこんなにも別作品に見えるのかという発見があった。それは逆に言えば本編が時間を掛けて丁寧にデザイアグランプリという題材を描いてきたことの証左とも言えるだろう。根幹にデザグラやゲーム要素のない『ギーツ』に対して、こんなにも新鮮味を覚えるとは思わなかった。それと同時に、人類を追い込むことになるジャマトの脅威を描くというのはある意味セオリー通りであり、納得感もある。多くのライダーVシネのようなサブライダーのスピンオフという形ではなく、あくまで本編と地続きの物語として展開されている点も嬉しい。
まず驚いたのが、かなりホラーチックに始まる序盤。フィルムの質感もそうだが、古びた団地や謎の少年など、Jホラー的要素が散りばめられてホラー好きの私はかなり心を持って行かれた。パンフレットのインタビューによると脚本の高橋さんの提案らしいのだが、これが「人類が地球から去ることが決定づけられている」という悲劇的な方向に向かっていく物語とうまくリンクしている。そしてそこから展開されるストーリーは、驚くことに異種族間の愛を軸としていた。大智に育てられ、人間と仲を深めていくことで愛を知り、子を成したクイーンジャマト。ここの展開は井上脚本を堪能しているかのような妖しげな魅力を放っていた。何なら『仮面ライダーキバ』にこういう話があった気がする。
ゴッドジャマトの正体はある程度話運びで読めてしまうのだが、それは問題ではない。なぜならこの物語の芯はジャマトや人間という種族を飛び越えて、誰もを幸せにしたいという思いを道長が語る点だからだ。そう、このVシネは実質仮面ライダーバッファのスピンオフなのである。
吾妻道長は『ギーツ』本編において、他のライダーとの立ち位置やスタンスの違いが顕著に打ち出され非常に魅力的なキャラ造形を誇っていたものの、いろいろな意味で不遇だったなと感じている。彼が当初から主張していた「デザイアグランプリをぶっ潰す」という願いは、結果的に英寿を含めたメインライダー達の目的と重なっていくのだが、いつの間にか4人の主張として大きな流れに呑み込まれていってしまっていた。ジャマトグランプリで優勝し念願のライダーをぶっ潰す力を手に入れても、新フォームはマイナーチェンジに留まり、彼がジャマ神となったデザグラが進んだ先では、ギーツの創世の力の覚醒によってどんどん物語が違う方向へと向かっていってしまう。何より、尖り続けライダーを憎悪していた彼の価値観の変化も、英寿との共闘や景和の錯乱の中で自然に培われてしまい、バッファがフィーチャーされる回はほとんどなかった。序盤からどれだけ悪ぶっても人の良さが滲み出てしまう可愛げのあるキャラクターではあったが、物語の中での扱いは少し雑だったように思えてしまうのだ。1年で最も変化のあったキャラクターであるはずなのに、じゃあ彼を劇的に変えたものが何かと訊かれるとうまく答えられない。自分としても当初からかなり好きなキャラだっただけに、その点を凄くもどかしく感じている。
そんなバッファに、遂に活躍の機会が訪れたと言っていいだろう。もちろんベロバ撃破回などもあったが、それとはまた違った格別にバッファを、吾妻道長を堪能できる作品。それがこの『ジャマト:アウェイキング』なのだ。
まずは新フォームについて。エクスプロージョンは演じる杢代和人さんも言っているように、強敵として立ち塞がるドゥームズギーツの金色と対比になった銀色のバッファ。その色合いが美しいし、ギーツと肩を並べる存在としての神々しさが形に表れている。次に手で盆を模したようなバックル。思えば、ゾンビバックルにおいても手は重要なファクターであった。しかしそれは墓から這い出てくるゾンビ達の手であり、人々を地獄へと誘う禍々しい手だったのである。そんな彼が内なるジャマトの力を自分の武器として形にした新しいバックル、その意匠が人の願いや涙を取りこぼさないように手で盆を作ったように見えるデザインとなっていることが本当に素晴らしい。何ならこのバックルは道長と共鳴した英寿の創世の力によって生まれたそうなので、道長の新たな力として英寿が彼の本質を形にしたと考えるとそれだけで1年間『仮面ライダーギーツ』を観てきてよかったと思える。更に、変身後も大きな左手は盾として機能する。ひたすら剣もといチェーンソーで攻撃を重ねてきた彼の最強フォームの武器がまさかの盾になる大きな腕。道長の1年を通しての心情の変化がしっかりとデザインに落とし込まれていて感激してしまう。
序盤で「仕事の帰りだ」と、ぶっきらぼうに言い放つ道長。本当の悪人はそんなに素直に「帰り」とか「仕事」とか言ったりすることはない。やはり彼の言葉からは人柄の良さが滲み出てしまう。そしてドゥームズギーツの攻撃を喰らった時、英寿の姿をした相手に対して、景和が「何で俺達を!?」、袮音が「本当に英寿なの!?」と戸惑う中、誰よりも先に「お前誰だ!!」とこいつは英寿じゃないという判定を即座に下す道長。お前はどれだけギーツへの想いがデカいんだ。そういう節々から感じられる道長の可愛げを再び堪能できたことが素直に嬉しい。それだけでこのVシネを観る価値は充分にあった。アクションも坂本監督らしさが存分に発揮されている。舞台としてはそこまで広くない場なのだが、カメラワークと動きでとにかく魅力的で楽しい。ラストのタイクーン・ナーゴ・バッファのトリプル必殺技からの爆炎をバックに変身解除後の立ち姿…!本編では終盤までどうしてもギスギスしてしまっていた彼等がこうして共闘している様を堪能できて本当に良かった。
とまあ存外に本編とは別の角度から刺激をくれる作品だっただけにベタ褒めしてしまうのだが、やはり惜しいところもあった。まずは英寿が神になった後も結構な頻度で道長達の前に現れていそうなこと。劇場版では彼等が驚く描写があったが、今回はそれすらなし。道長の「ギーツが創った世界を守る」という決意表明がこの作品の肝なだけに、そもそも英寿が出てくれば解決しそうな雰囲気があるのはどうなのかなあ、と。実際ジャマトの力を形にしてくれたのはパンフレットによると英寿の創世の力のようで、結局神頼み的な側面があるのは残念だった。そもそも「神」とは言うが今の英寿に何ができて何ができないのかがよく分からない。OPのように未来の英寿に有刺鉄線で縛られるも、何だかあっさりと引きちぎって戻ってきたのはさすがにおかしいよな、と。そして最初にも触れたが、主役でありヒーローであった英寿が1000年の経過でどうして仲間達を傷つけるようになってしまったのか、というアンサーも特になかった。もちろんぼかしてもいい部分だとは思うし、むしろここが丁寧だと話の核がブレてしまいそうではある。ただやはり、主人公が未来でまるで別人になっていたという衝撃で話を動かすなら、適切なアンサーが欲しかったなあとは思った。
ただ短い尺で本編とはまた違った味の『仮面ライダーギーツ』を堪能できたのは本当に大きい。更に良かったのは、Vシネすぎる描写がなかったこと。やたら流血があったり、ちょっとセクシーな描写があったりという、見た目的なVシネ感・テレビじゃできない感のある演出が個人的にすごく苦手なので、そういう雰囲気が一切なかったのも好感が持てた。むしろ話の複雑さでカタルシスに欠けた本編よりもスカッとする爽快エンタメが出来上がっており、それが本編のデザイアグランプリを受けての物語としてしっかり成り立っている。『ギーツ』の物語がこれで終わってしまうことは悲しいが、いい閉幕だったなと心から思える素晴らしい作品だった。