『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』総括 「俺こそオンリーワン」から「チガイはマチガイじゃない」へ

スーパー戦隊シリーズ 暴太郎戦隊ドンブラザーズ Blu-ray COLLECTION 1

 

 

 

 

はじめに

「暴太郎戦隊ドンブラザーズ」

なんとすごいタイトルだろうか。

10年ぶりに「〇〇ジャー」でないスーパー戦隊だ!なんて、些末な話題でしかない。最終回を観終えた今でもよく分からない「暴太郎」という言葉。ここに造語を持ってくるのはお馴染みではあるものの、劇中でほとんど使われなかったためか、未だに新鮮さを覚える響きである。

そして、「ドンブラザーズ」というインパクトの強いヒーロー名。「どんぶらこ」は日本人なら誰もが知る言葉だが、そこに英語の「ブラザー」が加わることで、かっこいいのかふざけているのかよく分からない非常にカオスな名前となった。情報が解禁され、「暴太郎」が「アバター」からの連想であることを知り、実際に放送されると、ヒーロー達は戦いの場に強制召喚されるという、これまでにないシステムが披露された。

「事情で戦いの場に急行できない!」という回すらも名物化していたシリーズに、一石どころか百石近くを投げ、それはもはや石じゃなくて岩だろ、みたいな大きさのものまでどんどん投げてくる。蓋を開ければ、それが『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』の本性であった。

そして「縁が出来たな」と何とでも縁を広げようとする桃井タロウは、インターネットで「妖怪縁結び」とまで評されるようになる。

 

しかし事前情報で何より私の心をくすぐったのは、「脚本:井上敏樹」。

このクレジットである。

平成ライダーを進化・発展させここまでのコンテンツにした功労者と言ってもよいであろう、白倉伸一郎Pと井上敏樹がタッグを組む。結果的に敏樹は、本編において総集編のドン26話「フィナーレいさみあし」以外全てを執筆。というか、もうそれ以外の人間にはどう足掻いても書けないような話が展開されていた。

アギト・龍騎・555世代の私としては、この2人がタッグを組むというだけで期待値がカンストしてしまっていた。放送が近づくにつれ、前作『機界戦隊ゼンカイジャー』が終わってしまった名残惜しさと共に、『ドンブラザーズ』をとにかく早く観たいという気持ちが強まった。そしてそれは、この1年ずっと続くことになったのだ。本当に、毎週毎週が楽しみで、終わってしまったことがこんなに寂しい作品は人生で初めてかもしれない。もちろんVシネクストやスピンオフ、最終回のDC版などもあるし、今後ムック本なども刊行されるのだろうが、それでも「毎週ドンブラザーズを観られる」1年が終わってしまったことのショックが、本当に大きい。生まれて初めての「〇〇ロス」を経験している。申し訳ないが『王様戦隊キングオージャー』に全く気持ちが向かない。もちろん観て面白ければ、あっさりと手のひらを返すつもりではあるが…。

 

だからこそ、ドンブラザーズの感想は文章に残しておきたいと思った。人生で最もハマった作品と言ってもいいくらいの番組。アギトや龍騎なども大好きだが、当時はまだ子どもだったこともあり、見え方がだいぶ異なっている。それに、白倉Pと敏樹のタッグに加えて、田崎監督もがっつり絡んでいるような番組は、二度と観られないかもしれないのだ。ニチアサで敏樹の起用はないだろうと思っていた矢先、いや、もう諦めて全く考えてもいなかったところに飛び込んできた吉報。そして1年間本当に楽しませてくれたからこそ、あまり周囲の感想を読まないうちに、そしてドンブラザーズが「こういう作品だった」と世間的に決定づけられないうちに。自分の言葉でドンブラザーズに向き合いたいと思った。

 

 

 

 

 

作風・前作との違い

とはいえ、何から話せばいいのだろう…とも思い、ひとまず前作『機界戦隊ゼンカイジャー』との違いについて述べたい。昨年の『ゼンカイジャー』は、『快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー』に大感動した私にとって、再び香村脚本のスーパー戦隊が観られることは本当に嬉しかった。そして、そこに投入される白倉P。44作目の『魔進戦隊キラメイジャー』も充分に楽しんでいたが、玩具や円盤の売れ行きはなかなか厳しかったようで、今でもAmazonでかなり格安で購入することができるものがあったりする。

その状況を立て直すために投入されたであろう白倉P。人間キャラは一人で、残りの4人はキカイノイドで人間の姿を持たないという異色の編成には当時かなり驚いた。もちろんコロナ禍という状況もあったのだろうが、それにしてもあまりに冒険が過ぎる。しかし、ゼンカイジャーの本分はそんな所にはなく、毎週登場するワルドという怪人の、どう考えてもヘンテコな作戦に巻き込まれるおバカ戦隊5人という構図こそが真骨頂。巨悪が存在し、そこから毎週派遣される怪人がいる。このスーパー戦隊の基本フォーマットにおいて、「怪人を全部ギャグにする」選択肢を取り、柏餅やバカンス、テニスなど、数多くの印象的な怪人を生み出した。

 

それでいてヒーローである五色田介人に嫉妬しながらも憧れるステイシーというヴィランが縦軸を牽引していき、五色田介人の家族の物語としてもすごく綺麗な形に着地していく。正直『ドンブラザーズ』の初報を聞くまでは、スーパー戦隊史上私的最高傑作ではないかと思っていた(シリーズ全てを観ているわけではないが…)。

 

しかし、編成に革命をもたらし、毎週ギャグ回のような作りで話題を呼んだ『ゼンカイジャー』すらも、『ドンブラザーズ』の前ではまるで霞んでしまうように思えるからすごいものである。

5人のヒーローは人間に戻ったが、史上初の男ピンクが誕生。しかもそのピンクは既婚者で演者も30代。さらにピンクとブラックは等身が異なり、CGで再現。『ゼンカイジャー』において映像表現にも様々な革命がもたらされたことは、東映公式ブログでも度々語られていたが、まさかメインのヒーローをCG(モーションキャプチャー)にするとは…。

記者会見の時点でも話題性たっぷりだったが、1年通して観た今では、キジとイヌの等身が異なることなど、本当に些細なことでしかないように思える。ドンブラにはもっとおかしいところが山ほどあるのだ。特に雉野、お前だよ…。

 

 

『ドンブラザーズ』の作風を一言で表すのなら、「井上敏樹ワールド」としか言いようがないように思う。雑な表現ではあるものの、こんな話でスーパー戦隊をやるのは井上敏樹くらいしかいないだろう。スーパー戦隊の基本フォーマットは、巨悪が存在し、その怪人が人々を襲い、そこにヒーローが駆けつけるという流れ。

これは昭和ライダーでもおなじみのフォーマットであるが、平成ライダーと呼ばれる括りで、正に白倉Pと井上敏樹、その他小林靖子などが破壊を繰り返し、「なんでもあり」なのが仮面ライダーシリーズの特徴となった。

もちろんスーパー戦隊においても、巨悪の存在しない『特捜戦隊デカレンジャー』など、そこに切り込んでいった作品がないわけではない。何より最近は「9人戦隊」や「2つの戦隊がぶつかり合う」など、とにかくドンと来るインパクトを念頭に置いた作品作りが意識されていた節もある。

上述の通り、『機界戦隊ゼンカイジャー』も、編成こそ特殊なものの、そのフォーマットに則っていた。怪人の能力をギャグに振り切り、更に主要メンバーにもノリのいいおバカを揃えることで、視聴者がツッコまなければどうにもならないような、カオスなものを作り出す。しかしそのバカなノリにはクレバーさが垣間見え、すごく安心して観られる、信頼感のある番組だったように思う。

バカな時はとことんバカだが、キメるところは期待通りにキメてくれる。香村脚本の心情描写は非常に丁寧で、こちらの心を見事に感動へともっていってくれるのだ。

 

しかし、怪人が各回の中心であった『ゼンカイジャー』とは全く異なるアプローチをしてきたのが『ドンブラザーズ』である。

まず『ドンブラザーズ』においては、レギュラーキャラがふざけ尽くし、ラスト数分でいきなりバトルをして終わるという回が少なくなかった。ロボの初お披露目回などでもそうなのである。「人間が欲望を開放してヒトツ鬼(怪人)になる」という設定が視聴者に定着して以降は、ゲストがヒトツ鬼になる流れはどんどん雑になっていき、「痩せたい」「もっと辛いものを!」「俺の料理(おでん)を評価しろ!」など、ギャグとしか思えない欲で一瞬にして人間が怪人化していく。同じく人間の欲望を描いた『仮面ライダーオーズ』が2話もかけて丁寧に一つ一つの欲望と向き合っていたというのに…。同じ会社から出てくるものだとは思えない。

 

そんな中で「何度もヒトツ鬼になってしまうゲスト」まで出現する。計4回(未遂も含めると5回)ヒトツ鬼になった忍者魔法冒険王様おじさんこと、大野稔。失恋によって2度ヒトツ鬼になったタマキちゃん(2度目は彼氏までヒトツ鬼になる)。そして、キジブラザーこと雉野つよし。今こうして挙げて改めて、「ドンブラザーズ、ヤバいな…」と思っているところである。

 

最初こそ、脳人に倒されたヒトツ鬼は元に戻らず帰ってこないというシリアスな設定があったため、雉野が妻のみほを襲いヒトツ鬼になった男を、わざとソノイに倒させるなど、とにかく不穏な空気を醸し出す流れが多かった。しかし、脳人に倒された者も何とかすれば解放できることが判明したドン15話以降、そこでのシリアスさは低減され、ヒトツ鬼化の欲望はどんどん雑になり、むしろ「出さなきゃいけないの?」という作り手のぼやきすら聞こえてきそうなほどに、簡略化していく。しかし欲望のヘンテコさとキャラづけで、とにかく印象的なものが多いのがすごい。ちなみに私が好きなのは、まだヒトツ鬼化が雑でなかったドン4話であるがゆえに、逆にこんなん長くやるなよとツッコミを入れたくなるおにぎり屋店主の「超力鬼」である。

 

雑だ雑だと言ってしまったが、人間のヒトツ鬼のスピード感はドラマのスピード感にも繋がっているし、そこを雑にしたからといって、ドラマがおざなりになることもない。何より、雑な中でも、一度は「天装鬼」になった大食漢が女性店主の言葉で元に戻ったりと、そういう「人間らしさ」の演出に繋がっていることもあるのがすごくよかった。

 

少し話が逸れてしまったが、やはりこの「怪人を倒す」というヒーローものの基本構造よりも、「レギュラー陣のコメディドラマを優先する」というのが、スーパー戦隊において革命的な部分だったのではないだろうか。ヒトツ鬼が現れれば否が応でもドンブラザーズは召喚される(拒否もできる)ため、怪人達と直接関係している必要は一切ない。ドラマをやり続け、最後にどこかで湧いたヒトツ鬼を倒せば販促ノルマはこなせる。本筋や縦軸ともほぼ無関係だが、なんだか人情味を感じ、ほろっと泣けたり、大笑いできたり、ツッコミを入れられる数々のドラマ。そんな変な回の積み重ねが、キャラクターの魅力を引き出し、縦軸で引用される度に感動を生む。

要は初期平成ライダーから続く「バカやっていたことが終盤になって感動に繋がる」の流れである。白倉Pと敏樹が得意とする…というかファンにはお馴染みの手法なのだが、ライダーよりも販促が少ないスーパー戦隊においては、その鮮やかな手腕が見事に発揮されていたように思う。むしろスーパー戦隊というよりは、往年のギャグ漫画やギャグアニメのノリに近く、井上敏樹がアニメ畑出身の人であるということを強く思い知らされた。

 

 

 

最大の特徴

『ドンブラザーズ』最大の特徴はやはり、「視聴者の想定を絶対に超えてくる」ところにあるのではないだろうか。50話観た方、思い返していただきたい。自分の予想や考察がしっかりと当たったことが、何度あっただろう。伏線こそ多かったものの、それを簡単には解決しない上に、とにかく種明かしに時間を掛ける。予想されやすい展開になった場合はそれ以上のものを放り込み、視聴者に絶対に主導権を握らせないという確固たる意志を感じた。

 

物語が大きく動いたのは、ソノイがタロウに倒されてからだろう。互いの正体を知らず素面で仲良くなっていく…というのはもはや井上脚本ではお馴染みだが、今回は互いに正体を知るのがすこぶる早い。『555』なんてどれだけ掛かったと…。ドン12話の時点でタロウが悩みを相談するくらいには仲良くなっていた二人。しかしドン13話でソノイはタロウの嘘がつけないという体質を利用し、弱点を聞き出す。そして隙を突かれ、タロウはソノイに倒されてしまう。

それまでとにかく最強を銘打ってきたことで「タロウが倒される」ことの重みを強く感じた回。しかしタロウ復活を丁寧にやるような作品ではない。その次の回でいきなり桃谷ジロウなる新たなキャラを出し、そのラストでドンブラザーズのメンバーの一人・雉野をヒトツ鬼にする。「ヒーローの怪人化」も平成ライダーではお馴染みだが、スーパー戦隊ではほとんどあり得ない。タロウも不在、ジロウは不穏、雉野はヒトツ鬼、犬塚は相変わらず逃亡中という状況。ドン8話でソノイにわざとヒトツ鬼を倒させたこともあり、雉野は今後敵になったりするのでは…という考察もされていた。

 

しかし、ドン15話。雉野の怪人化は半ばギャグとして消化され、ジロウの変身初お披露目も他のメンバーに大きなインパクトを残すでもなかった。結果的に言えば、卑怯な勝利に後悔していたソノイがタロウ復活を持ち掛け、雉野を利用し、ジロウが協力。タロウは見事復活というアクセル全開…まさに激走の回が出てきたのである。しかもヤンキーにどれだけ殴られても倒れなかったタロウが、はるかに抱き着かれて思わず倒れるという泣かせる展開へと、物語の軸がシフトしていった。

当初は「追加戦士は桃太郎だとおじいさんおばあさんかな」なんて考察もあったが、蓋を開ければドラゴクウとトラボルトであり、二重人格であり、彼に大々的にフィーチャーする回すら作らず、ただ「うざい奴」と「ヤバい奴」というキャラづけだけで物語を進めていった。

「ペンギンの獣人はまさか…マスター?」なんて声もあったが、正体はジロウを育てた駐在さん。これに関してはジロウがペンギンの折り紙を折っていた時に考察もされていたものの、実は彼はドン家で…という、こちらの考察が不可能なレベルの設定をどんどん放り込んでくる上に、一瞬で消化していく。

 

44話も引っ張ったイヌブラザーの正体バレ。なつみほ問題もあり、正体が分かれば揉めることは必須…という状況であったにも関わらず、同時変身の時でさえそこには触れず、「あなたが…!」という流れすらなく、ドン44話ラストのはるかの叫びで終了。

獣人問題でさえも、タロウが君臨することで解決。なんならほぼ物語を牽引していた獣人問題だったが、たったの2話で終わってしまった。

 

そう、ドンブラザーズはとにかく縦軸を進めないが、やる時は一気にやるのである。こちらの予想を常に上回り、それが難しそうな時には更に謎を増やして視聴意欲を掻き立てる。一息つける瞬間が一切ない。

これは性格の悪い見方だが、ドンブラザーズで初めてスーパー戦隊井上脚本に触れた方などが、そこまでの状況から諸々を推理し、真面目に考察しているのを眺めて、「敏樹はそんなに丁寧な回収はしない…」と高みの見物をすることもあった。

 

だが何より嬉しいのは「公式がファンの側に降りてこない」ということである。『仮面ライダージオウ』もそうだったが、白倉Pはその辺が本当に上手い。仮面ライダースーパー戦隊は1年続くもの。それゆえにどうしても、視聴者の反応を見て諸々が進んでいく。このキャラは人気が高いから予定より長く出そう、ということもある。このキャラのこれがウケたから何度もやってみよう、なんてこともある。それが上手い作り手もいるのだが、私は大概の場合、「ネットに媚びないでくれ…」と心配になってしまい、そういう姿勢が垣間見えるものには、作品の品性が欠けているように感じてしまうのだ。

 

しかし『ドンブラザーズ』は、ファンの声や意見、反応と真面目に向き合いつつ、常にそれを越えていこう、という意識を強く感じた。白倉Pの話題性特化のプロデュース力と先見の明がその流れを生み、敏樹の脚本がそれを可能にする。とにかくこちらの予想を超えてくる作品。しかもそれが1年に渡るものなのだから、本当にすさまじい。ただアイデアだけでできることではないのだろう。2人をはじめとする作り手の気概や熱量、そして面白い作品を作ろうという思いが、とにかく強いのだ。

 

 

 

 

 

ドンブラザーズとは何だったのか

ここまで「ドンブラザーズのここがすごい!」という点について述べたので、最後は私が思う『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』について。

一言で言うのなら、「タロウが孤独から解放される」物語だったのだと思う。

誰にも誕生日を祝ってもらえず、完璧超人ゆえに人から愛されなかった桃井タロウ。幸せが何か分からないために、人を幸せにすることで学んでいこうとした桃井タロウ。

そんな彼が、ドンブラザーズというお供と時間を過ごし、彼らに囲まれて大団円を迎える。彼の記憶リセットを悲しんでくれる人と縁を紡げたというラストは、本当に素晴らしかった。

 

これはOPとEDの歌詞にもある。「俺こそオンリーワン」であり、傍若無人で何でも一人でできてしまったタロウ。だが、1年を通して「チガイはマチガイじゃない」という「Don't Boo!ドンブラザーズ」の歌詞の通りに、タロウをはじめとしたキャラクターの個性がドンドン発揮されていく。私はこの「チガイはマチガイじゃない」という歌詞が本当に好きで、作品を1行で表す名フレーズのように思っている。もちろん、作品自体がそれに寄っていった…という可能性もあるのだが。

 

タロウは最強だが、それは「チガイ」にすぎないのである。「俺こそナンバーワン」ではなく「俺こそオンリーワン」。ドン4話での「俺は何でもできた。だから得意なことがない」というセリフが印象的なタロウ。「ダメだダメだ」とお供を攻撃し、人を勝手に評価してしまうかなりヤバい男であるものの、嘘をつけない彼はどうしてもそれを直すことができない。その高慢な態度に人はタロウから離れていってしまう。芯には優しさがあるのだが、それを発揮する方法を知らない孤独な青年。それが桃井タロウの魅力である。

 

しかし、タロウはドンブラザーズの戦いを通して、彼の「ナンバーワン」を高慢としてではなく、「オンリーワン」として捉えてくれるお供達と縁を深める。自分の在り方を個性として認めてくれる存在、誕生日を祝ってくれる存在。そんな彼らに囲まれたタロウの表情を思い出すだけで涙が出てきてしまうのだ。

 

思えばドンブラザーズの面々は、正直言って誰もかれもが異常者である。異常者というのは人としてではない。ヒーローとしてだ。

猿原はお金に触るとやけどをする変人。人から慕われてはいるが、自分で仕事をしたことがない。

はるかは盗作呼ばわりをされてもめげない鋼のメンタルを持ち、図々しさを隠そうともしない。

犬塚は孤独に酔う逃亡者。

雉野はヒーローでありながら何度も怪人化し、妻のみほを自分の全てだと言い切る、自己評価が低い上に他者依存の強い凡人。

ジロウは空気の読めない狂人。

 

だが彼らは何千人の中からドンブラザーズに選ばれた(ジロウは違うが)。共通するのは力を正しいことに使える、目の前の人を救える精神の持ち主であること。

それ以外の「チガイ」は彼らにとって決して「マチガイ」ではない。たとえ同じ女を奪い合い喧嘩をしていようと、目の前にヒトツ鬼が現れ、タロウに命じられれば戦いに身を投じる。自分の事情を放り投げて、ヒーローとして戦うことができる者の集まり。逃亡者であることも、怪人化経験があることも、関係ないのである。そしてソノイ・ソノニ・ソノザ・ムラサメも仲間に加わり、遂にドンブラザーズは種族の垣根すら超えてしまう。

 

白倉・井上コンビの作品では、「力の使い方」や「ヒーローとしての在り方」、「人間とそうでない者の境目」というテーマが度々取り扱われてきた。しかし『ドンブラザーズ』は、ヒーローとしての精神性を前提に据え、彼らの「人間味」という旨味だけで物語を転がしていく。個性がキャラクターへの愛着…すなわち「縁」を生み、それを「めでたしめでたしのハッピーエンド」に繋げていくのだ。

 

 

Don't Boo!ドンブラザーズ

Don't Boo!ドンブラザーズ

  • Nippon Columbia Co., Ltd.
Amazon

 

 

雉野つよし

私が『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』という番組について感想を書く上で、どうしても外せなかったのが、雉野つよしという男である。

ネットでは「ヤバい奴」として広まっており、実際私も「ヤバい奴」だと何度も思った。だが、最終的にタロウの物語以外で一番泣かされたのは、彼だったのだ。

 

妻のみほを溺愛し、彼女を襲った者には容赦しない。きっと普通に仕事もできるし、上司との付き合いもある。傍から見れば平凡なサラリーマンだ。

1年を通して「平凡な男の内に秘める狂気」みたいな言われ方をしている雉野だが、私は別に彼の行動を狂気だとかは思わない。ヒーローとして「ヤバい奴」ではあるが、正直未見の人に『ドンブラザーズ』を紹介する際、「雉野がヤバい」という言い方はしたくないのが本音である。なぜなら彼は人間として、非常に全うだからだ。

 

自分に自信を持てないのも、美人な妻を大切にし、彼女を心の拠り所とするのも、別に普通のことである。というか私自身、『ドンブラザーズ』が人生のオアシスみたいなところがあった。誰かや何かに依存してしまうのは、誰しも経験があるはず。現実では人間はヒトツ鬼になったりはしないが、その拠り所を奪われた時にそれを護ろうとするのは自然なことなのではないだろうか。まして雉野には、その拠り所がみほちゃんしかなかったのだから。

 

それゆえに、なつみほ問題は本当に観ていて辛かった。みほは獣人であり、本来は存在しないことを視聴者である私たちは知っている。つまりどうあがいても、雉野に幸せは訪れない。人形をみほちゃん扱いしていたのは本当に怖いが、それでも彼にとってみほちゃんがそれだけ大切な存在だったということは伝わってきた。だからこそ、みほちゃんが猫の獣人に倒された時から、雉野の物語はどう終わるのだろうかと、非常に気を揉んでいた。

その結果…ドン49話とドン50話は本当に素晴らしかったと思う。というか、泣いた。一番泣いた。これを書くために雉野のシーンだけを観て、また泣いている。

 

彼が何の取り柄もないと思っていた人生が、夏美にとっての夢であったという美しい終わり方。そして「自分を救うために、自分のアイデンティティとしていくために、ドンブラザーズを続ける」という彼の意志。更にはそれを聞いた時のタロウの表情。もう全てが泣けてしまう。

この終わり方も彼の平凡が「マチガイ」でないということの証左。気の弱い男が戦いを通じて自分を認められるようになったという成長譚には、思わずグッときてしまう。雉野つよし、本当に大好きだよ…。

 

 

 

最後に

本当なら雉野だけでなく各キャラクターの事も山ほど書きたいのだが、今回は一旦ここで終わろうと思う。

とにかく1年間、翻弄され続け、期待し続け、毎週楽しみな番組であったことは間違いない。回収されなかった伏線に関しては、平成ライダーでもよくあることだったので、あんまり回収してほしいとは思っていない。マスターのトゥルーヒーローについても、インタビュー記事などを読む限り、種明かしをするつもりはないのだろう。そもそも、意味ありげなシーンをとにかく出しておき、使えるものだけ利用するライブ感が、白倉・井上コンビの持ち味なのだから。

 

点数をつけるなら…1億点。まだまだVシネクストなど、このご縁は続いていく。終わってしまったことは本当に悲しいが、この1年間は本当に幸せな時間を過ごすことができた。そしてそれが、戦隊初見の方々にも届くような、素晴らしい作品であったことが何より嬉しい。来週からの『王様戦隊キングオージャー』に期待半分・不安半分というところだが、ひとまず1週間は、『ドンブラザーズ』の余韻に浸ろうと思う。

 

最後に、もしドンブラロスに陥っている方がいらっしゃるのなら、白倉・井上コンビで最もドンブラに近い作風の『超光戦士シャンゼリオン』を観てほしい。