映画『変な家』感想

映画『変な家』の公開に際して最も期待していたのは、この映画の予告編をもう劇場で観なくてもよくなる、という点だった。予告編ラストの「マジモンじゃねえかこれ!!」というセリフを劇場で聞くのがすごく恥ずかしかったのだ。「マジモン」なんて変な言葉を予告編ラストという大切な位置に配置してしまえる感性を持った人達の作品なんだなあという苦しさもある。そして何より、書籍版を読んだ私からすれば、本にないこの言葉がキラーフレーズのように耳に入ってきてしまうのが本当に辛かった。そんな辛い日々にピリオドを打ってくれた公開。公開日翌日の土曜日昼の回はほぼ満席。子どもから大人まで幅広い層で劇場が埋まっており、Jホラーの訴求力を強く感じることができた。

 

しかしこの作品の底力は、既存のホラーとは違う角度の魅力を持っていることだろう。変な間取りの家の謎を追うという発想はとても斬新で、実際にあった話としてネットに記事が出た時も大きな話題となった。

 

【不動産ミステリー】変な家 | オモコロ

 

実際私もこの記事に一気に引き込まれてしまったのである。築1年の中古物件に存在する、壁で覆われた謎の部屋。その部屋は一体何に使われていたのか。推測の域を出なかった話が、記事に書かれた以降の出来事によってどんどん現実味を帯びていく。ライターはYouTuberなどとしても活躍する雨穴さん。ホラー系の動画を漁っていれば自然とたどり着くくらいには有名になった方である。

 

書籍版は間取りの推理から話を展開するためかなり独特な読み心地となっているが、映画では登場人物達が実際に現場各地に足を運ぶという脚色があり、物語性が強められている。メディアミックスというのは往々にして媒体の強みを活かすべきなので、その試み自体は否定しない。しないが、肝心の物語があまりに拙い。どうしてこれを足したのかという点がよく分からず、結局のところ物語で言えば恐怖度はまるで増していない。しかし、視覚的な恐ろしさはしっかりと担保されている。そう、原作には登場しない「仮面」の力である。この映画は怖いかと聞かれるとそうでもないのだが、仮面のインパクトが強いのでビジュアルで恐怖を感じやすい人には辛いかもしれない。

 

結論から言うと、『変な家』の演出や雰囲気作りにはかなり感心させられた。監督は石川淳一さん。ドラマでは『リーガル・ハイ』、映画では『エイプリルフールズ』や『ミックス。』など、古沢良太脚本の作品を多く手掛けている。そのためホラーの方というイメージもあまりなかったのだけれど、小慣れているかのようにささっと演出する手腕が素晴らしい。恐怖や緊迫感を煽る描写も充分である。そして極め付けはあの仮面。あの仮面のビジュアル的な恐ろしさだけでもうこの映画は100点と言えるだろう。序盤、雨宮(間宮祥太朗)が自宅で襲われるシーン。そして「変な家」にて撮影された小学生くらいの子どもの写真。そして最後の仮面軍団。至る所で用いられたこの仮面は、能面のような不気味さだけでなく、絶妙な微笑みによって更に恐怖を醸し出していく。柚希(川栄李奈)の母親の家に仮面がサラッと飾られているシーンも凄かった。大きな音で驚かせるジャンプスケアとも違い、とにかくビジュアルの一点突破で向かってくるこの作品の姿勢はかなり攻めていると思う。だからこそその仮面自体にあまり意味が付与されていないこと、片淵家の側であることを示すだけの記号的な要素にしかなっていなかったのは非常に残念。

 

そしてここからはネタバレにもなるが、脚本、主に物語の面でかなり観ていて辛い部分があることにも触れておきたい。脚本を担当したのは丑尾健太郎さん。エンドロールでこの名前を見て真っ先に「アンタだったのか!」と思った。つい先日映画が公開されたりドラマ版の完結編が配信されたりと話題の『君と世界が終わる日に』。竹内涼真主演の国産ゾンビドラマなのだが、丑尾さんはこの作品の脚本も担当しているのである。しかしこのドラマは物語が全く面白くないというのが私の評価である。特に後半以降は綺麗事を言うだけのキャラクターが次々に登場し、「国産ゾンビドラマ」という一点以外では全く褒めることができないくらいに酷い。もちろん日本でこんなに簡単に人が命を落としていく残酷なドラマが観られるというのは凄いことだし、そういう他のドラマとは異なる部分がSeason5まで続いた要因なのかなとは思うのだけれど、本当に観るのが苦痛で仕方ないドラマだった。

 

そんな丑尾さんの名前をエンドロールで発見し、正直とても嬉しくなってしまったのである。この人の脚本だったらこれくらいだよな…と。まず『変な家』の重要な部分は映画化するに際して、記事から物語へと変貌を遂げている点。しかし物語としてのスタートとゴールが全くあやふやなのである。変な間取りの家を追う記事に無理矢理キャラクターを登場させたようなチグハグさになってしまっているのだ。冒頭、家族観について柳岡に問われた雨宮は家族や恋人というものに興味がなさそうな素振りを見せる。ああそこから人との絆を大切にしていく物語が展開されるのかなと思いきや、驚いたことにサラッと柳岡が自分の気になる物件の話を続けるのである。いやここは嘘でも柚希とのメロドラマになると予感させてほしかった。そういう邦画が嫌われるのも分かるが、せっかく映画オリジナルの造形として生み出した人間ドラマの部分がまるで機能していないことが不可解だった。

 

そしてラスト、雨宮が手首を切られそうになる絶体絶命のピンチで搾り出した言葉は「俺は祈らねえ!」。もちろん会話の文脈上は正しいのだけれど、その「祈らねえ」に至る思いが映画の中で全く描写されていない。単に残酷で恐ろしい因習を否定するだけの巻き込まれた男であり、彼自身の物語は映画の中に一切存在していないのだ。そのせいで片淵家に襲われるラストにも緊迫感がまるで生まれない。もっと雨宮なりの正義感とか価値観を打ち出す作品にしてほしかった。というよりも、そこの比重が高すぎて残念な結果に終わるホラー映画(恐怖よりも結局ドラマ性や恋愛要素を強調したがる)がやたら多い中で、そういう部分が逆に薄味な映画というのが目新しくて面食らってしまった。

 

ただ、映画では物語の結末や、因習の仕組みが大きく変わっている。本家や分家に関する話はやはり文字媒体でないと理解しづらい部分もあると思うので、そこを思い切って片淵家全体を因習に囚われた哀れな人々と描き切るのは割とよかったかもしれない。ただやはり、赤ちゃんと一緒に隠し部屋に身を潜めているのに全然泣いたりしないとか、あとラストで雨宮の家にも謎の部屋が存在していた…という陳腐なオチがあったりとかはすごくノイズになってしまっていた。薬漬けにするという設定も便利アイテムが唐突に出てきたようでよく分からなかったし、全体的に中学生くらいが喜びそうなアイデアが書籍版から追加されていて、確かに書籍版よりも映像的なインパクトを出したい意図は分かるのだが、それが上手く発動していないように思えてしまった。書籍版の体裁は実話モチーフということで過度に物語性を帯びていなかったのだが、映画では中途半端な物語性が付与されており、どうせやるならもっと盛ってほしかったなあというのが素直な思い。

 

変な間取りの家の謎からある恐ろしい因習にたどり着くダイナミックさがこの作品のウリで、書籍版にあったその面白さはしっかりと残っている。佐藤二郎の演技も抑えすぎず出しすぎずといったちょうどいい塩梅で、変人感がうまく醸し出されていた。ラストで雨宮にケチ扱いされていたのは、そういう描写がなかったのでよく分からなかったが。とはいえ動員数からすると大ヒットしそうではあるし、演出にくどさがなかったことは好感が持てる。こういうヒットが思わぬ特大Jホラーの誕生に繋がったりすることもあるので、出来は置いておいても、まずは動員を伸ばしてほしいなあと思っている。

 

最後にアイナ・ジ・エンドの主題歌『Frail』がかなり良かった。秘密と歪で韻を踏む辺りが最高。

 

書籍版は2作目も出ており、そのほか雨穴さんが監修を務めたテレビドラマ『何かおかしい』も似たテイストでかなり面白いので気になった方は是非。