映画『ゴーストバスターズ/フローズン・サマー』感想

 

最初に思ったのは、「みんな大人になってる!」だった。特にフィービー役のマッケナ・グレイス、ポッドキャスト役のローガン・キム。前作『アフターライフ』の頃はまだ子どもだったのに…。時の流れを感じさせてくる圧倒的成長。自分は特にこのシリーズに思い入れもないのだけれど、『アフターライフ』のジュブナイル感が凄く好きで当時劇場で観てかなり興奮した記憶がある。ストレンジャーシングス感というかIT感というか、少し前に流行したジュブナイルホラーの系譜としてとても面白かった。フィン・ウルフハードが出てるからそう思うだけだろと言われても全く反論はできない。『アフターライフ』の良かったところはオタクでクラスからも浮いていたフィービー含め、とにかく周囲に馴染めずにいたスペングラー家が一つとなってゴーストと戦うという構図。本当にこれに尽きる。多分自分が小学生でこの映画を劇場に観に行っていたら、一生忘れない体験になっていただろうなあという感触があった。今でこそこういう子ども向けの幽霊映画はあまり見なくなったが、その枠としてすごく真摯だし、シリーズの新作としても誠実な作品だなあと今でも思う。

 

その制作陣がほぼ続投ということで、過去作をちゃんと全部予習するくらいには期待していた。そんな中で2016年版の『ゴーストバスターズ』が結構今の自分の好みにドンピシャだったなあという発見もあったりした。あのバカなノリが愛しすぎる。話を『フローズン・サマー』に戻すと、ちょっと期待外れだったかなという印象。話自体はコンパクトにまとまっているし、複雑なことを考えなくていい、理解しやすい映画でその点は良かった。けれど同時にすごく取っ散らかってるというか、結局何が言いたいの?と小一時間問い詰めたくなってしまって、あまり面白くはなかった。

 

冒頭、スペングラー家が一家総出でゴースト退治に勤しんでいて深く感動する。彼等が市民権を得てこうして活動しているのだという事実に、『アフターライフ』に心を打たれた人間としてはかなり舞い上がってしまった。ドローン型の捕獲器にもテンションが上がり、前とは違い進化したゴーストバスターズ…ではあるのだけれど、やはりやっていることは街の破壊。過去の作品にも前作にもあった、滅茶苦茶やって街を破壊してしまうという描写だった。それはお約束なのかもしれないけれど、それでもやはり何度も観ると気が滅入ってしまう。またこれをやるのか、と。しかもそれが冒頭に一か所あるだけではなく、フィービーの行動がとにかく裏目に出続けてしまうという映画なのだ。まだ子どもであることを理由に、バスターズの仕事から降ろされてしまうフィービー。もちろん共感はできるのだけれど、いや彼女が周りから浮いてしまうっていう話はもう前作で観たじゃん…という。成長した彼女の姿が見られて嬉しいはずなのに、話は前回のテーマを繰り返すようにフィービーを不遇に扱う。このギャップが結構受け入れきれず、う~んとなってしまった。

 

孤独で押しつぶされそうになるフィービーが出会うのが、幽霊の少女。一緒にチェスをして仲良くなり、何かとこの幽霊がフィービーに接してくるのだが、その目的はフィービーを利用してガラッカを復活させることだった。復活させれば家族に会わせてもらえるという約束だったのである。家族と折り合いが悪くなった先で出会う幽霊の少女という王道さ。徐々に心を開いていくフィービーがとにかく愛くるしいが、このやり取りが映画において重要であるはずなのに、かなり表面的なのも気になってしまった。もっとこう、お互いのセリフの中から気付きを得るとか、二人の唯一無二感を出していくとか…。結果的に幽霊はフィービーを利用してガラッカを復活させてしまうのだけれど、それに対しての「ごめんなさい」がちゃんと感動を生むような構成にはなってなかったように思った。もっと「やりたくなかったの…感」を出してほしかったなあ、と。

 

また、この映画では子ども扱いされることに悩むフィービーの他にも、必死に父親になろうとするゲイリーと、いつまでも大人になりきれないレイモンドのストーリーも展開される。キャリーと恋仲になりゴーストバスターズとしても活動するが、まだ家族ではないゲイリーが、思春期のフィービーと向き合う物語。そしていつまでもオカルトに傾倒し続けるレイモンドの葛藤。しかしそれらはてんでバラバラであり、映画としてまるでまとまっていない。個々の物語として確かに過去作からの流れで彼等はそこに悩むべきなのだろうけれど、それが映画としてまるで成立していないのだ。レイモンドの葛藤は最終決戦でサラッと解決してしまうし、ゲイリーの悩みもラストにフィービーにパパと呼ばれただけで終わってしまう。そして何より時間を掛けてきた子ども扱いされるフィービーのモヤモヤですら、ちゃんとしたところに着地しない。

 

やることなすこと全てがここまで裏目に出てしまえば、最終決戦でフィービーが大活躍を果たし人望を取り戻すのが順当だと思うのだが、一切そんなことはなかった。彼女はまたも勝手に行動(特に誰に話すわけでもなく真鍮の武器を作る)し、それが結果として勝利の鍵にはなったものの、周りがそれを称賛するシーンはなかった。仮に称賛していたとしても、彼女の軽率な行動によってガラッカが復活してしまったことは紛れもない事実であって、そこに対する反省が一切されなかったのはあまりにも怖い。「私がやってしまったのだから私が倒さなくちゃ!」という焦燥に駆られるようなことさえなかった。何なら幽霊に裏切られたことへの悲しみさえ描写されない。もちろん急いでガラッカを倒さなければという流れになるのは分かるのだけれど、それでも映画としてはやはりフィービーの心のケアをしてあげなくてはならないと思う。ましてそれをメインテーマとしてずっと掲げていたなら尚更である。

 

結局ガラッカを倒した喜びで、かろうじて積み重ねてきた描写さえ全て台無しになったように見えてしまった。あと、ファイヤーマスターが全然要らない。世界を凍らせる敵に対して炎を操る戦士が対抗するというのは少年漫画的ですごく燃える展開だけれど、あのキャラクター自体がそもそも全然いらなかった。他のキャラと交流を深めるでもないし、特別な魅力があるわけでもない。正直彼がいなくても物語は全然成立したように思う。旧ゴーストバスターズが揃うのも、もはやお約束になってしまったのであまり感慨深くはない。というか、まだ彼等に頼らないといけないのか…と残念に思ってしまった。サポートや補佐として動くならともかく、ラストバトルにも関わってくるし、レイモンドに関してはちゃんと悩みまで抱えているという…。もちろん彼等のことが嫌いなはずはないのだけれど、新しいキャラクターにもっと時間を割いてもいいのではないかなあ、と。

 

極めつけはラストバトルのしょぼさ。ガラッカによって世界が氷漬けに…!という恐ろしい規模の脅威を描いているのに、それがいつもの拠点で解決してしまうのは一体どうしたのだろうか。予算がなかったのかと邪推してしまう。復活すぐのビーチ氷漬けのほうが全然映像として迫力があった。確かにいつもの拠点のゴースト達を解放するというガラッカの目的上ラストバトルの場として相応しくはあるのだが、それでも狭い倉庫でビーム撃ってるだけなのはちょっとなあ…。何なら「夏」ということも全然強調できていなかったので、氷漬けの異常感もあまり出せていない。まあこれは原題は「FROZEN EMPIRE」なのでいいのだけれど…。ただやっぱり氷の幽霊を出すのであれば、もっとそれを文学的に表現したり、テーマと絡めてほしかったなあと思う。恐怖で動けなかったキャラクターが勇気を振り絞って敵に立ち向かうとか、その程度でもいい。世界が凍るというのが本当にただの脅威でしかなくて、文脈がまるで乗っていなかったのが気になってしまった。一応幽霊が持っていたマッチが役立つという描写はあるが、あまりにしょぼい。

 

そして初代ぶりに厄介者のペックが市長になって出てくる。初代と同様にゴーストバスターズを忌み嫌い徹底的に潰そうとするのだが、これもなんだかなあ…と。別に脅威として描かれているわけでもないし、彼がバスターズを壊滅に追い込んだことが全然物語の中で機能していない。何なら取り上げられた武器もすぐ取り戻せてしまう。本当にゲスト以上の意味合いがなく、そういう辺りの雑さも色々と気になってしまった。映画としてかなりツギハギだし、個々の描写も全然テンションを上げてくれない。せっかく『アフターライフ』で新たな道を切り拓いたはずなのに、どうしてこうも雑なスペクタクルムービーになってしまったのだろう。トレヴァーに関してはほとんど触れられていなかったし、キャラクターのその後を描いた作品としてもかなり不誠実に思えてしまった。決定的なのはラストに流れるゴーストバスターズのテーマソングが全然似合わない作品になっていたこと。あの陽気さも、前作にあったジュブナイル感も薄れてしまい、何だか抜け殻のような作品だった。かなり残念。それでもマッケナ・グレイスの魅力はめちゃくちゃ出てるので、スクリーンで彼女の演技を堪能できたのは良かった。