「球場の観客席に人を忍ばせ、テレビ中継に映る位置に立ってもらいカメラに笑顔を向け続けさせる」
本国でのこんな宣伝が日本でも話題となった『SMILE』。ゲリラ宣伝からの情報後出しなんて、すごいプロモーションをするなあと思っていたが、残念ながら日本では劇場公開されなかった。しかし、ようやく配信で上陸。ホラー映画で笑顔というと、『ゲット・アウト』の不安になる笑顔を向けてくる描写が思い浮かぶ。引きつっているというほどではないのだけれど、何かがおかしい。笑顔は幸せの象徴でもあるが、不自然な笑顔は逆に恐怖を掻き立ててくる。
宣伝がバズっていたので前々から気になってはいたのだが、観て最も強く感じたのはこの映画において「スマイル」をピックアップする豪胆さ。正直全然スマイルは関係ない。スマイルがなくても成立するし、何なら泣き顔でも怒り顔でもいい。「ずっと笑っている」という特殊な笑顔の不気味さだけで110分近くを走り抜けるこの作品が引っ提げてきた看板が『SMILE』なことに度肝を抜かれた。そんなにスマイルをプッシュするならもっと笑っていてほしかったけれど、この映画にとってスマイルはあくまで一要素でしかない。でも「怖い」ことが前提のホラー映画で他の作品よりも上をいく…つまり多くの人の注目を集めるためには、このワンアイデアがとても重要になってくる。
最初に述べたプロモーションもそうだが、別に劇中でそこまで重要でない要素をタイトルに持ってくる力強さ。そしてそれが見事に観客の期待を煽ることに繋がっている。映画に限らずエンタメはとにかく「まず触れてもらう」ことが重要。どれだけ面白いものを作っても、存在を知ってもらえなければ売れることはない。映画が配信で観られるようになり、世界中のあらゆるコンテンツを自宅で楽しめるようになった現代社会において、「知ってもらう」は一筋縄ではいかない。だが『SMILE』は鮮やかな成功を勝ち取った。だからこそ、勿体ないと感じてしまうのである。肝心の映画が「スマイル」をプッシュしたものではないのだから。
主人公は精神科医のローズ。大学院教授の自殺を目撃した女性ローラを診療中、彼女が突然「何か」に恐怖を感じ始め、不気味な笑顔を浮かべた後にその場で自殺。その不審な事件こそが、ローズに訪れる恐ろしい日々の始まりだった…という物語。眉一つ動かさず笑顔のまま首を切るローラのインパクトが凄まじい。そもそもローラが目撃した大学院教授の自殺もハンマーで頭をかち割るというもの。普通では考えられないような血生臭い方法がセリフの中にさらっと入れ込まれるのもすごいが、後々写真でその姿をしっかりと見せてくれるのである程度のグロ耐性が必要な映画なのかもしれない。
婚約者や周囲の人に慰めてもらいながらも、姉夫婦の言葉が耳を通り抜けるようで心ここにあらずといった様子のローズ。目の前で患者があんな風になったらそれも無理はないだろう。しかし彼女は段々と自分を呼ぶ声…そして他の人には見えない「笑顔の女性」に気付く。おかしいと思った頃には既に遅く、彼女の「呪いにかかった」という訴えは過労や精神的疲労、精神疾患持ちの母の死を見たトラウマ、果ては母親からの遺伝などという理由をつけられていってしまう。彼女が当初ローラに取っていた「どうせ精神疾患だろう、幻覚だろう」という態度がローズに跳ね返ってくるのである。そしてこの映画は、その陰鬱とした描写がすごく丁寧なのだ。主人公のローズが徐々に正気を失っていったと誤解されていき、周りから理解を得られなくなっていく。そして終いには婚約者さえも離れていってしまう。
ホラー映画の金字塔である『エクソシスト』にもこういった描写はしっかりと存在する。悪魔憑きとなった少女の母親は、その原因が一切分からず片っ端から病院を受診する。しかし異常は全くなく、最後に理由が悪魔であるという結論に辿り着くのだが、その描写が非常に丁寧に描かれているのだ。科学や現代医学の否定をじっくりと時間を掛けて行うことは怪異に信憑性を持たせ、観客の信仰心を揺るがせていく。科学的なアプローチこそないが、この映画も視覚的なインパクトではなく精神をじわじわと煮詰めていくかのように主人公を通して観客を攻撃してくる。この映画における怪異はポルターガイストを起こすわけではなく、あくまで主人公当人にしか見えていない存在であるため、他の人が信用するのは非常に難しい。更に言うとこの怪異は生死問わず他人に化けることが可能であるため、ローズのことを分かってくれる人が現れたかと思いきや怪物…!という流れが普通にあり得るし平気でそれを実行してくるのだ。
私は以前の仕事で精神疾患を持つ多くの方とやり取りをする機会があったのだが、精神病院に入るほど重度でなくとも、彼等の中には「幻覚じゃないんです!」と言ってくる方が結構いる。隣人が呪いを掛けてくる…とか、天使からのメッセージがずっと頭の中に届いている…など。もちろんそれは聞こえない私からしたら幻覚なのだが、彼等にとっては原因不明かつ由々しき事態であり、更には実際に起こっていることなのである。それを幻覚だと真っ先に否定することは、治療の意味では正しいこともあるのかもしれないが、コミュニケーションにおいては正解とは限らない。彼等の怒りを生んでしまう可能性さえある。その地雷を踏まないようにやり取りをしていた自分としては、特に何をしたわけでもないローズが孤立していく流れがすごく心に刺さった。そしてそれと並行で、この怪異にはルールがあることも突き止められていく。
ローズが最後に頼ったのが、自分に好意を持つジョエルという刑事。彼の協力でローラよりもずっと前から、「不審な自殺を目撃した人が呪いに掛けられ最短4日で誰かの前で自殺する」という奇妙な連続性があることが判明する。唯一生き残った受刑者の男性にコンタクトを取るも、「逃れる方法は誰かの前で第三者を殺害することしかない」と告げられ、勝ち目がないことを悟ることとなってしまう。後半から始まるローズとジュエルの協力関係は、どこか貞子で有名な『リング』の松嶋菜々子・真田広之ペアを思い出させる。とはいえ『SMILE』ではジュエルはあくまで刑事としてのコネを上手く使うだけで、そこまで捜査してくれるわけではないのだが。
怪異に法則性が存在する点もやはり『リング』と同じ。ただ『SMILE』ではこの法則性の判明が勝算へと単純に結びつかない。結局ローズを襲う怪異に勝利する術は思いつかず、最終的に彼女が選んだ結論は「死ぬ姿を誰にも見せなければ次の犠牲者は生まれない」という自己犠牲だった。これは非常に惜しいというか…。それならもう一人になった瞬間に命を絶つくらいでもよかったのではないだろうか。自分がかつて暮らしていた家、つまり母親が自殺した場所に赴いて自分のトラウマと向き合う展開はそれこそ過去から立ち直るというテーマがしっかりと反映された上手い作りなのだが、物語としての必然性がまるで欠けてしまっており、別に彼女がそこに向かう理由がないのだ。単に死に場所をそこに選んだ、くらいのことでしかない。
ある程度ルールが分かっているのだから、それこそ「次の人に呪いをかけられない」という点をうまく利用して怪異を欺いたり、交渉を持ち掛けたりしてもよかったのに、その時点でのローズは死に関しては割とあっさりとしているような印象さえ受ける。そして最終決戦、怪異の正体はデカいロン毛の怪物というちょっとがっかりな仕様だったが、室内なのでギリ怖さを保てていた。語りかけてくる母親が幻影であることを自覚し、自分の心の中ならお前を倒せる!と全く前フリのない理屈で怪物を火だるまにするローズ。正直ここからの駆け足感はそれまでの丁寧さからすると急すぎたし、火だるまごときでこいつが倒せないことも見え見えなので肩透かし感はある。倒して家から遠ざかってジョエルに「今まで心の内を誰にも話せなかったけどあなたと居ると安心できた…」と告白チックなことまでしたのに、そのジョエルは偽物でしたー!というオチはよかった。バレバレだったけども。
結局ローズは小屋から遠ざかってなどいなくて、その場にジョエルが合流してしまい小屋の中で一人になろうとしたのに怪物に喰われ、ジョエルの前で焼身自殺をしてしまう…というオチ。順当にいったのならジョエルに呪いは移ってしまったことになる。めちゃくちゃバッドエンドである。ただ、この怪異を乗り越えられる…!という流れの作品でないことは陰鬱さからも明らかだったので、そういう意味では期待を裏切らなかったかもしれない。ラストの怪物のクリーチャー感にはちょっと笑ってしまった。
そして最後まで観て全然「スマイル」じゃないじゃんということも思うのだけれど、そもそもこの映画の根幹は自分をさらけ出せなかった主人公が誰とも心からの交流をできていなかった…からの自分を信じてくれたジョエルだけは違ったという物語なので、別にスマイルがどうこうとかアイツの正体がどうこうというのはあまり気にならなかった。気にならないというと嘘かもしれないが、主人公がトラウマを乗り越える描写がしっかりありテーマ性の土台が出来ているので、まあそんな細かいことを言わなくていいか…とは思う。その上で、逆に「スマイル」を猛プッシュした宣伝に対してかなりの力強さを感じてしまうのである。そりゃあ映画を作る時点でコンセプトとしてはあっただろうけど、何も前情報を入れずにこの映画を観てどこをピックアップするかと訊かれたら絶対に「スマイル」は出てこない。
細かい描写だと、ローズが何か身の回りで起こる度にすぐに包丁を出すのがよかった。精神科医だから危機に慣れているのかなとも思ったけど、病院で包丁いちいち出すなんてありえないので、これは多分この映画のヘンテコポイントなんだと思う。何かローラはずっと包丁の女というイメージがある。アメリカなんだし銃でもよさそうなのに、徹底した包丁へのこだわりは何なんだろう。
もっと勝算をしっかりと提示した上で怪異と戦ってほしかったし、更に言えばこちらの予想を裏切るような展開やもう一捻りが欲しかったところだが、伝えたいテーマなどは充分伝わってきたので全然楽しむことができた。とはいえ野球場などでの宣伝がかなり強かったので、そういうインパクトを期待するとちょっと肩透かしを喰らうかもしれない。ビジュアル的な恐ろしさもそこまでではなく、ジャンプスケア(音で驚かせる手法)も多い。あ~もしかすると嫌われるタイプのホラー映画かも…という目線で観てしまった。けど個人的には好き。ローズを姉が家から追いかけてきたかと思ったら首がだらんと垂れてきて化け物でした~とアピールするやり方とか、本当によかった。パーカー・フィン監督、今後も頑張ってほしい。