複数のヒーローの誕生譚を各映画で描き、彼らを集合させる。これこそがまさに『アベンジャーズ』の真骨頂であり映画界に革命を起こす発明だった。そのシステムが世間に衝撃を与え、馴染み、そして今は「追う作品が多すぎてついていけない」と脱落者まで出てきている。「○○版アベンジャーズ」なんて言葉も一般的になっている中で、当のMCUは『エンドゲーム 』以降、その方向性にかなり悩んでいるようにも思える。それもそうだろう。『アイアンマン』から始まるサーガは大成功を収めたのだ。そこから更に物語を発展させ続けなくてはならないプレッシャーはとても大きいはず。ヒーロー映画は飽和状態と言われ、世間の熱も当時ほどではない。私自身もディズニープラスで配信中のドラマをリアルタイムで追う気力はなくなっている。それでも公開日にMCUの映画を観続けているのは、彼らが来たる『アベンジャーズ5』で、再び素晴らしい感動を与えてくれると信じているからである。
現在MCUはフェーズ5。フェーズ4以降はドラマも充実してきているため、追う側のこちらの視聴のハードルはかなり上がっていると言えるだろう。今回の『マーベルズ』に関しても、最低限映画『キャプテン・マーベル』とドラマ『ワンダヴィジョン』『ミズ・マーベル』を観ておいたほうがいい。マストかと言われるとそうでもないのだけれど、これまでのキャラクターが更に活き活きと描かれているので観ておいたほうが楽しめるのは間違いない。ちなみに私は未見だったドラマ2作を1週間ほどで観終えた。
その上で挑んだ『マーベルズ』。正直、面白い。とてつもなく面白いとは言えないしガツンとくる衝撃があったわけでもないのだけれど、ようやくMCUに「ちょうどいい」作品が来てくれたなあというのが率直な感想である。子供の頃、夜9時にテレビをつけるとタイトルも分からない映画が放送していて、その頃に物語の意味すら不鮮明なままついつい見入ってしまうような面白さ。肩肘張らず、難しく考えず観られることも映画においてはとても重要だと思う。思えばMCUはやはりディズニーの傘下ということもあってか、かなりポリコレを意識した作品が多い。それこそドラマの『ミズ・マーベル』はパキスタンの少女を主人公に据えるところをウリの1つにしていた。映画でも壮大な物語で多様性を訴えることが増えてきたように思う。『ガーディアンズ』は1作目からそれを訴えていたし、MCUは楽しいだけでなく「考えさせられる」作品を常に目指してきたのだろう。もちろんそれは悪いことではないが、そういう作りの映画が増えていくということは、映画のテーマに反して多様性を否定することにもなりかねない。MCU1作目の『アイアンマン』は、『ダークナイト』がシリアスの頂点に辿り着いたことで、社会派として完全に市民権を獲得したアメコミ映画を原点に立ち返らせて「楽しい!」をひたすら詰め込むことで素晴らしいスタートを切ったのではなかっただろうか。
いつしかMCUは「認められる」ことを最重要視してしまっていたのかもしれない。もちろんそれをこれまで自分が杞憂に捉えていたかというとそういうわけではない。フェーズ4以降の作品もとても楽しんで観ている。けれどこの『マーベルズ』を観て、久しく感じていなかった「懐かしさ」で心が満たされたのだ。ボロボロ泣くわけではないけれど、「ああよかったな」と劇場を出た時に思えるくらいの楽しさがしっかりと宿っている映画だった。
その理由の一つはやはり、105分というMCU史上最短の上映時間だろう。ヒーロー映画は2時間越えが当たり前になっていた昨今。これを知った時にはさすがに期待せざるを得なかった。やはり映画は90〜100分台がちょうどいい。間延びすることもなく、つまらなくても時間を無駄にした感覚が弱い。105分の背景には各ドラマや過去作で既にモニカとカマラのオリジンを描いていたということもあるのだろうが、映画だけ追っている人にとっては初見の2人。それらを主演に据えながらの105分。かなり思い切ったなあと、感慨深かった。同時に、105分で本当に3人のドラマをやれるのか…?と危惧してもいたのだが、こちらは完全に杞憂。物語はキャロルがクリーから「殺戮者」と呼ばれる謎と、キャロルとモニカが抱える確執に焦点を当てており、カマラは大好きなキャロルとの繋がりを喜ぶ賑やかしの役回りに。話の流れからして微妙なところもあるのだけれど、このドラマの軸はブレないので非常に観やすい。そして何よりカマラのカマラらしさが爆発しており、とにかく愛しいのだ。
これまでもアベンジャーズが戦っている時に常に忙しそうにしていたキャロル。そんな彼女が、これまでずっと自身の罪と戦っていたことが明かされる。1作目でキャロルがスプリーム・インテリジェンスを破壊したことで、クリーの文明は崩壊。内戦まで起こる事態となり、彼女は自身の行動に責任を感じていた。地球に戻ってこなかったのは、全てを終わらせた上でモニカと向き合いたかったためだ、と。
映画1作目の『キャプテン・マーベル』において、彼女は「何度でも立ち上がる強い女性」という立ち位置のキャラだと明かされた。彼女のオリジンは「諦めないこと」であり、それはやはりこれまでヒロインとして守られる側だった女性が立ち上がる姿になぞらえることができる。正直話のオチやテーマからして、当時から1作目がそこまで面白いとは思えなかったのだが、諦めないことを強調し続けて強くなった彼女が、1人で全てを解決しようとしていたというのはすごく良い流れだった。しかし、クリーの問題を1人で解決するのは決して簡単なことではない。だからこそキャロルは、モニカ・カマラと3人でダー・ベンに挑むのだ。
いつものMCUなら、頑なに1人で決行しようとするキャロルをモニカやカマラが必死に説得するシーンがあっただろう。しかしこの『マーベルズ』の3人はあっさりと打ち解け、あっさりと共闘する。アベンジャーズが経験してきたような、歪み合いぶつかり合い、対立を乗り越えての共闘ではない。憧れや過去が背中を押して、彼女達は悩みや葛藤なしに3人で戦うことを選ぶ。これを軽いと思ってしまう人もいるのかもしれないが、個人的にはその「軽さ」が物語の味になっていたように思うのだ。くよくよせず、悲劇を強調しない。ジメジメせずカラッとよく晴れた日のような爽やかさ。この『マーベルズ』にはそれがある。
ただ、クリーを復興させようという物語の当面の目標がリーダーのダー・ベンをぶっ倒そうになるのは全然理に適ってないと思う。しかしそれもこの映画に感じた「軽さ」の一つで、そもそも社会派目線で観るタイプの映画ではないのだろう。いい意味で割り切ってしまえるというか。重苦しさを引き摺らない姿勢が、最近のMCUの中ではかなり新鮮でとても楽しめた。
何より注目すべきは「パワーを使うと3人が入れ替わってしまう」という縛り。この縛りが彼女達を結びつけている。それを断ち切ることが映画の向かうべき方向でないのもまたこの映画の変なところなのだけれど、冒頭の入れ替わりアクションには心からワクワクさせられた。正直、3人のパワーにそこまで大きな違いはないように思う。VFXのエフェクトこそ違うし、できることにも差異はあるのだが、強い力で殴るとかパワーを放射してビームっぽく使うとか、そういう意味では共通している。それなのに入れ替わる度にとにかく面白い。カマラが普通に自宅にいたせいで家がバカみたいに破壊されいちいい両親まで巻き込まれるのも面白かったし、彼女らが交代に驚きながらもすぐに反応して戦いを再開するのも良かった。カマラがドラマの時より強くなってるというアピールにもなっていたし、何よりドラマではウザさが勝っていたカマラ母のコメディキャラが爆発していた。
あとはフラーケン。前作では可愛い猫が実は凶暴な怪物という、実にミーハーに好かれそうな設定がちょっと鼻についていたのだけれど、ここまでやられたらさすがに文句は言えない。普通に笑ってしまった。ニック・フューリーがほぼ置き去りにされてあんまり活躍してなかったのは残念。
総じて『マーベルズ』、批判意見もきっとたくさん目にすることになるのだろうけど、これくらいのラインの映画をもっと作っていいんだよという意味ですごく面白かった。女性ヒーロー中心だけれど、そこにわざとらしさが一切ないし、「女性版アベンジャーズをやるぜ!」みたいな表面的なことをセリフにしたり表現したりしていなかったのが本当に良かった。この自然さこそが、求めてたポリコレなんですよ…。変に感動も狙ってなくて、本当にカラッとしている。でも、そこがいいのだ。
後はブリー・ラーソンの顔が本当にタイプなので縄跳びのシーンとか3人でのお茶目なノリがすごく嬉しかった。思えばキャロルはこれまで大体仏頂面だったので、チームを組んでのわちゃわちゃ感だったり、歌わなきゃいけなくなるという「キャロルいじり」のシチュエーションが彼女の新たな一面を見せることに繋がっているのかもしれない。
細かいことを言い出せばキリがないし、ここまでべた褒めしておきながら今回の要となるポータルのことも全然理解できていないのだけれど、でもそういう雑さが輝く物語は確かに存在して、この『マーベルズ』は自分にとってはそういう作品だった。そしてラストのサプライズ。自分を犠牲にしたモニカが行き着いた先…MCUが遂にその領域に足を踏み入れたなと嬉しくなった。これからの盛り上がりにも期待したい。