映画『ルイス・ウェイン 生涯愛した妻とネコ』評価・ネタバレ感想!

ルイス・ウェイン『 バチェラー・パーティー 』のマウスパッド:フォトパッド(世界の名画シリーズ)

 

絵画にも猫にも詳しくない自分でさえ見覚えのある可愛らしい猫の絵。しかし作者のルイス・ウェインという名前は全く知らなかった。調べてみると画集も出ていたりと、もっと有名になっていていい名前だが、そこには彼の悲劇的な生い立ちも同時に記載されている。そしてこの映画は邦題の通り、周囲から変人と言われ続けた彼が、生涯愛した妻と猫、彼女らを失った喪失感と向き合う物語である。

 

主演は今やハリウッドの大スターとなったベネディクト・カンバーバッチ。妻のエミリー役にはクレア・ウォイン。監督・脚本はテレビドラマ界で活躍するウィル・シャープ。

映画のジャンルとしてはラブストーリーになるのだと思う。ただ、どちらかというと愛する時間よりも失った時間の方が長く、人によっては辛く苦しい映画なのかもしれない。

 

ルイスは5人の妹を養うためにイラストレーターとして働く男性。両手を同時に動かす速筆で、イラストに関しては目を見張るものがある。しかし、対人面に関してはからっきし。人と上手く繋がれないことは彼自身のコンプレックスでもあるが、「電気を感じない!」と叫び歩き回る姿は、現代人からしても変人に見えて仕方がない。

 

彼なりに、張り合いのない人生に波を起こしてくれる何かを求めていたのだろう。誰もが抱く空虚感を抱えながらも、それを分かち合う術を知らなかった彼は、才能こそ認められるものの、精神的にはどんどん孤立していく。そんなルイスを孤独から掬い上げてくれたのが、後に妻となる女性、エミリーだった。

 

妹の家庭教師をしていた彼女に何故か惹かれ、共に観劇。男性用トイレにまで乗り込んできてルイスと向き合うエミリー。2人の距離はすぐに縮まり、即座に結婚へと至る。ナレーションにもあったように、この時代のイギリスで身分の異なる男女が一緒になることには、相当な反発があったはずだ。事実、妹たちは結婚後もルイスを責立て、自身の不幸の理由をそこに見出している。

 

変人と言われ続けた当のルイスからしたら、そんなことは些細なことでしかないのかもしれない。映画でも、そうした点でのルイスの心情はほとんど語られず、彼は淡々としていた。きっと、自分の心を動かしてくれる、電気を感じさせてくれる存在が隣にいることが、よほど幸福だったのだろう。

 

しかしエミリーはガンに侵されていた。それを知ったルイスはショックのあまり、絵が描けなくなってしまう。そんな中でエミリーは突然猫を拾い、2人でピーターと名付けて飼い始める。ピーターを可愛がるエミリーに魅せられ、ルイスは猫の絵を描くようになった。

 

その後に訪れるエミリーの死。

分かっていた結末だが、あまりにあっさりとした描き方に驚く。いつもと同じ朝を迎えたルイスは彼女のために朝食を作っている。一度彼女を見て、気持ちを整えるかのように部屋を出て、もう一度部屋へ戻る。でも、身近な人が自宅で亡くなった時というのは案外こういうものなのかもしれない。

 

エミリーとの死の間際の会話。そこでルイスは「君が居たから世界が美しくなった」と話す。しかしエミリーは「違うわ。世界は元々美しい。あなたはそれに気付ける人。絵を描き続けて」と返す。このシーンは映画の中で何度もリフレインされる。それはルイスがエミリーのこの言葉を支えに絵を描き続けたということを言いたいのだと思う。

 

自分には何もない、つまらない人生だと常々思っていたルイス。しかし家族を養うためにはお金が必要で、周囲から変な目で見られながらも、唯一の特技であるイラストで何とか生計を立てていた。言ってしまえば灰色の世界である。そこに彩りを加えてくれたのは、エミリーという素敵な女性の存在。だからこそ、彼女を失うということは、ルイスにとってこれまで以上の苦しみへの突入となってしまった。

 

そこからのルイスは、目も当てられないような精神病患者となっていく。ゆっくりと覇気を失うカンバーバッチ。ラストシーンの階段すら1段ずつ両足を揃えなければ上がれないルイスは、見ていて本当に辛い。しかし、エミリーの言葉の真意…絵を描き続けることで人と繋がってほしいという気持ちに気付いた時、彼の世界は再び彩りを取り戻す。エミリーを失った喪失感ではなく、彼女と過ごした素敵な思い出を胸に抱くことができたのだ。

 

ナレーションの通りに、彼がイギリスにおける猫への目線をガラリと変えたというのなら、本当に素晴らしい…正に偉業である。ネズミを捕まえるだけの汚い生き物から、誰もに愛されるかわいらしいペットへ。現代でも、猫はとにかく可愛いものの象徴とされ、変わった仕草をする猫の動画が日々私のタイムラインにも届いてくる。

 

そんな猫の素晴らしさに気付くことができたルイスは、やはりエミリーの言う通り、世界の美しさに気付く才能があったのだろう。独特な着眼点、人の心を打つイラスト。彼の心はとても清らかで、しかし人と関わることは大の苦手だった。

 

現代日本でも、「礼儀」がよく取り沙汰される。最低限のマナー、利発さ、第一印象。そうしたものに正解が生まれ、正解できなかったものは落伍者の烙印を押される。ルイスもきっと、職場にいたらとっつきにくさから軽蔑されてしまうようなタイプだと思う。

 

もちろん人に迷惑をかけたり不快な思いをさせるのは違うが、ただなんとなく、その「正解」にたどり着けないだけという人はきっと多いのではないだろうか。心を動かす何かを求めるも、生きることで精一杯。そんな彼の苦しみを理解し、生き方を隣で肯定してくれるエミリーのような素敵な存在は、誰もが求めるパートナーそのものだろう。

 

そしてルイスの性格を誰よりも分かっていたからこそ、エミリーは彼に「絵を描き続けて」と伝えたのだ。彼が孤独にならないように。絵で人と繋がれるように。

 

失ったものは戻らないが、それを持っていた時の手触りや温もりは永遠に残り続ける。それに気付けた時、人は喪失と向き合うことができるのだろう。実際にルイスがあのようなラストを迎えたかどうかは不明だが、少しでも心が救われたことを祈りたい。

 

辛く苦しい映画だが、猫の可愛さでギリギリ中和できているような、できていないような。1人の男性が幸せを掴み、失って狂い、再び生きることの素晴らしさを知る。

簡単なプロットの中にいくつもの感動と奥深い感情の機微が詰め込まれた、素敵な映画だった。