映画『しん次元!クレヨンしんちゃん THE MOVIE 超能力大決戦 ~とべとべ手巻き寿司~』評価・ネタバレ感想! あまりに大根監督過ぎる

しん次元!クレヨンしんちゃん THE MOVIE 超能力大決戦 ~とべとべ手巻き寿司~ (双葉社ジュニア文庫)

 

去年の今頃はウタの『新時代』が大流行していたが、2023年は「しん次元」。毎年恒例の映画クレヨンしんちゃんだが、今年は何と全編3DCGという大冒険に出た。監督は『モテキ』や『バクマン。』などの大根仁監督。しんちゃんの映画は毎年ラストに翌年の予告をサラッと見せてくれるので、今年が3DCG作品になることは去年の『もののけニンジャ珍風伝』を観た時に知っていた。そこから徐々に情報が公開され、長い予告を初めて観た時に感じたのは「大根監督過ぎるだろ!」という思い。現代社会を憂い自分の境遇を人の責任にする男としんのすけが対となる超能力を手に入れるストーリー。このしんのすけと相反する悪の力を手に入れる非理谷充(ひりやみつる)があまりに大根監督過ぎる。ただ、クレヨンしんちゃんは結構色々なことを映画に取り入れているけれど、意外とこういう現代的な視点はなかった。金曜日の深夜に放送されていそうなドラマの主人公みたいなタイプ。しかも声は松坂桃李。気合が入りすぎているのを感じたと共に、これは「泣き確定」だなとも思った。非リア充にカテゴライズされる人間がしんちゃんの純粋性に救われる。それはあまりに王道で、むしろこれまでの映画クレヨンしんちゃんはそういった正面からの戦いを避けてきたようにも思えてくる。観る前からだいぶ話の展開は読めていたが、それでも期待値は十分だった。

 

しかし、鑑賞後には若干の違和感が残ってしまう形に。というのもこの映画、少なくとも私には「観たかったもの以上のものがなかった」のである。非理谷がしんちゃんの言葉で前向きになる。このプロットは見たかったものだし、しっかり泣きそうにもなった。けれどそれがあまりにも直球で出されたことに戸惑い、「え、これだけ?」と物足りなさを覚えてしまったのだ。映画クレヨンしんちゃんは大人にも通用するという価値観が今は一般的であるし、今作『超能力大決戦』もその例に漏れない作品ではあるだろう。しかし、これまでのクレヨンしんちゃんスタッフが心掛けてきたこと、少なくとも私がしんちゃんに求めていた「外連味」とでもいうものが、この映画にはなかったのである。確かに3DCGという演出や大根監督の起用、現代日本を憂うようなテーマの下地、そういった諸々はシリーズの他作品と比べた時、異色に映るだろうし今作の独自性であるとも言える。だがそれゆえに「映画クレヨンしんちゃんっぽさ」が欠けているような気がしないでもない。

 

 

 

 

冒頭、3DCG全開で演出されるしんのすけとみさえのチェイス。シリーズにおいてはお馴染みのシーンだが、ここで3DCGの勢いや強みがどんどん見えてくるのがすごい。CGの違和感よりも先に興奮が来る。「いつもの」やり取りに独特な味わいが生まれ、作り手の気概がビシビシ伝わってくるのはさすがと言うほかない。情報によると、構想から完成までに7年を費やしたそう。アニメーションのことは一切分からないのだが、こうした技術革新はそれなりに苦労が伴うはず。7年を掛けて実現させることは並大抵ではないし、そこに込められた作り手の想いが映像から強く伝わってくるのは素晴らしい。何より3DCGであることがこの映画の独自性として成り立っている。

 

アニメーション関連の話をするのなら、やはりカンタムロボ戦は素晴らしかった。非理谷が放つ手巻き寿司のようにされたオブジェはミサイルのように宙を舞い、しんのすけの操縦するカンタムロボを追跡する。その軌道の描き方は有名な板野サーカスにも通ずるものがあった。これまでのクレヨンしんちゃん映画においてアニメーションや演出で「おおっ!」となることはあまりなかったので、これには思わず唸らされてしまう。もっと言うと、非理谷の最終形態、怪獣のようなフォルムも禍々しさが前面に押し出されていて感動した。アニメーションではあるが、野原一家達が来るまで怪物から逃げ惑う姿はそれこそ怪獣映画のワンシーンのようでもあり、とにかくリアリティを感じてしまう。アクション面ではこの3DCGという手法がとにかく功を奏しており、ワクワクする映像体験、そして夏休み映画にぴったりのスペクタクルがしっかりと存在していた。

 

ただ肝心のストーリーに関しては、もう少し丁寧にやってもよかったのでは?と首を傾げてしまう。90分ほどという尺で色々と制約があるのは分かるのだが、非理谷という分かりやすい「間違った」キャラクターを出して結果的にその更生がどこか根性論になってしまったのは非常に残念でならない。また、物語の展開もやや急で、序盤・幼稚園編・遊園地編の3幕構成しかないのは少々キャラクターの味付けの面で足らなかったようにも思う。非理谷としんのすけという相反する力を持った、言わばライバル同士のやり取りをもっと見た上でラストに持っていってほしかったのが本音である。例えば王道だがお互いに正体を知らないままに接していて、途中バトルで戦うべき宿命にあることに気付いてしまうなど。

 

ラスト、怪獣状態の非理谷に吸い込まれたしんのすけは、そこで非理谷の過去を垣間見る。いじめられていたこと、両親の離婚。その切ない思い出に介入することが彼の解放につながる…という説明は映画ではないのだけれど、観ているこちらはそう思えてくるのが素晴らしい。非理谷は能力を手に入れる前から既にストーカー紛いの行動をしていて本当にどうしようもない奴だというのは分かっているのだけれど、こうした境遇から自信を失くしていってしまったのだなという背景が明かされていく。誰も手を差し伸べてくれない孤独の中で周囲に期待を持てなくなり、社会や周囲の人間を妬み恨むようになってしまうという認知のゆがみ。そこに対して説教をするでもなく、ただひたすらに目の前の人に寄り添うしんのすけの姿は、まるで神様のようで本当に素晴らしかった。超能力バトルという大スケールを展開した後にまさかの肉弾戦、しかも実質幻覚である。けれどこうした理不尽に屈することなく立ち向かって生きていこうというのがこの映画のテーマなのだ。ただ、境遇が酷かったとはいえ非理谷があまりにもクズすぎるので、ここはちょっとカタルシスに乏しい場面でもあるかもしれない。もっと非理谷がこちら側に寄り添うような心情のキャラクターであれば、しんのすけとの共闘が更に現実味と感動を帯びてこちらに届いてきただろう。とはいえ、充分に泣けるシーンではあった。

 

 

 

 

ここまでは正直悪くない。言いたいことはあるけど、映画のテーマが明確に伝わってくるのは嬉しいことだし、3DCGにまでしてこの肉弾戦をやるというのがテーマに真摯な姿勢そのもののように思えて非常に良かった。だが、ここから「謎の野原ひろしタイム」が始まる。思えば冒頭、非理谷とひろしは既に接点を持っていた。そこではちょっと怪しい奴にさえきちんと声を掛けてあげるひろしの優しさが演出されていた。だが、それ以降非理谷とひろしに接点はほとんどなくなる。それなのにこの最終決戦でひろしは重要な役を担うことになるのだ。まずは靴下。映画クレヨンしんちゃんではひろしの悪臭靴下が救済の一手になるのはお馴染みだが、今回はそれがまさかの「とどめ」に使われる。予言にまで悪臭のことが記されており、怪獣化した非理谷を止める切り札となった。正直ここまで「今年はひろしの靴下なし!?」と思っていたので、出てきたことは嬉しい。だが、映画ファンにとって恒例の悪臭靴下が、特に脈絡なく切り札になるというのはさすがにちょっとモヤモヤしてしまった。例えばドラえもんでいうなら、のび太達のピンチを救う最後の切り札が「どこでもドア」だった、みたいな。もちろんそこに文脈が乗っかっていればいいのだけれど、毎年出ている上に広く知られていることをわざわざ隠し玉のように取り扱うのが妙に気になってしまったのである。ああ、それでやるんだ…というような。

 

そして非理谷が元に戻った後、ひろしはやけに非理谷に絡んでくる。言葉で「お前ならやれるさ、行動しなかっただけだろ」というようなことを長々と。これにはさすがに「マジか…」となってしまった。ここまで運転などこそしていたものの、ひろしの活躍はほぼ皆無である。野原ひろしがかっこいい旦那さん/お父さんであるというバイアスは確かに日本国民にあると思う。だからこの映画で非理谷に対して色々とアドバイスする男、優しく言葉を掛ける男としては適任であるだろう。しかしこの映画において非理谷にとってひろしはほとんど他人でしかなく、長年人を恨み続けてきた非理谷に関係性の薄いひろしの言葉が届くとは思えない。大根監督が野原ひろしを好きだったという可能性はあるが、最後になって唐突に美味しいところを持っていくのはさすがに首を傾げてしまった。ひろしの言葉で感動させたいのなら、これまでのクレヨンしんちゃんが培ってきた「野原ひろし」ではなく、この映画の「野原ひろし」を見せてほしかったのである。言っていることに間違いはないが、きっと今後YouTubeとかの「野原ひろし名言集」とかでこれが使われるのか~と要らぬ心配をして若干苛立ってしまった。

 

それと今作のタイトルにも用いられている「手巻き寿司」が全然機能していないのも気になった。おそらく幸せな家族の象徴として使われているのだろうが、あまりに印象が薄い。野原一家と非理谷一家を手巻き寿司を軸に対比させていたというのなら、ちょっと描写が不足していたように思う。カンタムロボ戦でも手巻き寿司に似せたミサイルのような攻撃をしていたが、それも正直あまり意味を感じなかった。タイトルからして「手巻き寿司」要素が映画の外連味になるのではないかと予想していたので、濃く描写されなかったことは残念でならない。

 

とまあストーリーに対しては物足りなさを様々な面で感じてしまったのだけれど、その他の部分は概ね満足。特に声優陣。松坂桃李は『パディントン』の吹き替えが見事だったので全く心配はしていないどころか大いに期待していたのだが、空気階段の2人が本当にすごい。すばらしすぎる。これで声優オファー増えなかったら嘘だろというくらいに自然。正直映画の終盤まで「空気階段の出番まだかな…」と思ってしまうくらい彼等だと気付かなかった。本職の声優と言われても全く違和感がない。元々好きな芸人さんではあったが、その多彩さに驚かされてしまった。

 

誰か一人でも自分を見てくれる人がいれば救われる。

その人のために頑張ることが、自分のために頑張ることになる。

分かりやすいテーマだし、誰にでも共感できるものであると思う。それを変に捻らずストレートに出してくれたのは嬉しいが、あまりにストレート過ぎて普段の映画クレヨンしんちゃんを知っている私には既に免疫ができていたのかもしれない。大根監督とクレしん映画、その割合が7:3といったところだろうか。もしこの配分が逆だったなら、私は大いに楽しめたかもしれない。とはいえ面白くないなんていうことは全くなかった。テーマに真摯で映像も挑戦的。新しいクリエイターを招くというのも意欲的で嬉しい。サンボマスターの曲もよかったし、『バクマン。』でも名演出エンドロールを残した大根監督の今作のエンドロールは本当に素晴らしかった。

 

来年は意外とやっていなかった恐竜ものらしいので、こちらも楽しみである。