機界戦隊ゼンカイジャー感想① 映画・第1カイ~第4カイ・スピンオフ

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『機界戦隊ゼンカイジャー』が最終回を迎えようとしている。この記事を書いている時点で、残すところあと2カイ。例年以上に早く感じるのは、きっと『ゼンカイジャー』という作品にのめり込んでいたからなのだろう。

 

そんな『ゼンカイジャー』最終回に向けて初回から観返した上で、いろいろと感想を書いていく備忘録の第1カイ。

 

 

 

『機界戦隊ゼンカイジャー THE MOVIE 赤い戦い!オール戦隊大集会!』

 

実質映像媒体での初お披露目となった、初回放送前の劇場版。リュウソウジャーの後日譚やキラメイジャーとの合作で、3作目に上映されるのがこの作品。タイトルが「大集会!」と占められていて、TVシリーズのサブタイトルとしっかり共通させていたことに今更気づく。

 

1年前の『魔進戦隊キラメイジャー』がやったような「エピソードZERO」方式ではなく、6話と7話の間くらいの時系列のため、既にゼンカイジャーは5人。役者は揃っている状況。

 

今観ると、冒頭で5人のアクションがしっかりあって、しかもちゃんとした名乗りシーンがあることに驚かされる。ゼンカイジャー本編ではスーパー戦隊のお決まりである名乗りを、わざと「ハズす」ことが様式美になっていたが、初お披露目となる今作ではしっかりやっていたのだ。

これが異常であることに気付くのは、本編にギアが入ってから。収録も最初だったということもあってか、マジーヌのキャラもどことなく本編と違うような気がする。オタク度が薄く、普通のドジっ子くらいの印象を受ける。

 

全体的にコメディチックではあるんだけど、「ゼンカイジャーの初お披露目」をちょっと笑かす風にやってみました!くらいの勢いで、本編に比べればまだまだマトモなほうだなあと思う。

というのも、今回のワルドは44作全てのラスボスの力を備えた(?)スーパー悪者ワルド。語尾が「悪者」で関智一

ゼンカイジャーのコミカルさはつまるところ、ゲスト怪人であるワルドの個性に依拠しているような点があって。柏餅とかゴミとか正月とか、怪人のユニークな侵略方法に、介人達が呑まれながらもユーモラスに戦うっていうのが、『ゼンカイジャー』のコメディの作り方だと感じている。

 

スーパー悪者ワルド、確かに名前は笑っちゃうけど、ラスボス達を召喚するというストレートな能力を持った怪人なので、この映画はそこまでカオスになってはいない。むしろ「1人の人間と4人のキカイノイド」「ゼンカイザーは赤じゃなくて白」みたいな、表面的なインパクトに磨きをかけるような作風になっているとも思う。

 

初鑑賞の際に一番興奮したのは変身シーン。ゴレンジャー由来の「バンバン!」という音に合わせてクルっと回って「バン!」と撃って…という一連の流れに感動した記憶がある。

テレビ本編ではクルっと回ることが少なくなったので、今改めて観ても結構感動した。

 

後は、スーパー悪者ワルドのデザインは東映御用達の篠原保さん。44作品のラスボスの意匠が各部位に施されているのだけれど、両腕の曽我町子ビームでめちゃくちゃ笑ってしまう。やっぱり偉大な女優さんなんだなあと痛感。

 

 

 

 

 

第1カイ! キカイ世界はキキカイカイ!

記念すべき第1カイ。正直制作発表の時点で十分インパクトがあったし、映画も観てるしでもう驚くことはないだろうと思っていた。しかし蓋を開けてみるとまさかの、1話で1人ずつ仲間が増えるシステム。色々な戦隊が試みながらも、近年ではなかなかできなかった手法でもある。キョウリュウジャーは一旦集合しながらも、素面の姿で出会うまでには数話を要した。キュウレンジャーは9人スタートと言いつつ、初回は5人で徐々に仲間を増やしていくシステムだった。

 

やはりスポンサーや東映としても、5人は初っ端から出してほしい…みたいなところがあるのだろう。『ONE PIECE』のように、丁寧に仲間集めをしている時間はない。それはきっとロボや武器の販促を早めに進めたいという側面も関係しているはずだ。

 

しかし『ゼンカイジャー』、そうした暗黙の了解を取っ払い、4話かけて5人となっていく。背景には、素面役者が介人しかいないということもあったのかもしれない。おかげで、1話ずつきちんとキャラクターが掘り下げられていく。何なら、5話以降は各キャラを掘り下げることすら少なくなる。これが『ゼンカイジャー』の特異な点でもあり、強みなのだとも思う。

 

多くのスーパー戦隊は、1年かけて「戦隊」になることの意義を説いていく。それぞれトラウマや悩みを抱えた5人が、互いに支え合い一つになっていく。そこに追加戦士や敵勢力の増強、後は何かレッドの父親登場とか…。そういったターニングポイントで、更に絆を強めていくような、そんな作品が多い。

 

逆に言えばこれは観ているこちら側の怠慢でもあったのかもしれない。1クールが終わった頃に1度集大成的な回が入る、もしくは追加戦士がちょっと早めの登場。追加戦士は20話前後くらいの時も。追加戦士のロボがメインロボと合体して…その頃に敵側にも新たな幹部怪人が登場して…30話辺りでメイン5人がパワーアップ…と、例年の販促スケジュールから何となく展開を予想して、そこには各作品の様々な特色が押し出ているけど、結局は様式美をただ思考せず受け入れているということでもある。

 

白倉Pは、そんなマンネリを打破して戦隊が培ってきたものの中から取捨選択をしていきたい、と放送開始当時の各所のインタビューで言っていた。人間が1人という表面的なことだけでなく、スーパー戦隊の精神性すらも説いていきたいと。最終回が近づいてくる今、その試みはしっかりと成功したなあと強く感じる。

 

というのも、『ゼンカイジャー』ってアレに似てるよね、という意見をあまり聞かない。白倉Pがメインで戦隊を仕切るのが初ということもあるだろうが、ここまで作風が独特な作品もあまりない。例えばスーパー戦隊は脚本家繋がりで紹介されることがある。『シンケンジャー』が好きなら、同じ小林脚本の『トッキュウジャー』など。

 

しかしこの『ゼンカイジャー』。次にオススメできるものが全くない。これはもう『仮面ライダークウガ』や『シン・ゴジラ』が到達した域。かなり面白いのに、作風がシリーズの他の作品と異なり過ぎるが故に、次に薦めるものに悩んでしまうという現象が起きている。ただ、『ゼンカイジャー』はアニバーサリー作品。劇中で過去のスーパー戦隊が語られ、過去戦隊の技や特徴を好き勝手イジっているので、その中から気になったものをピックアップすることができる。これはかなり凄いことであると、私は思う。

 

そしてゼンカイジャーの特異性の話に戻る。4話かけて5人となるゼンカイジャーだが、これ以降、各キャラクターの掘り下げは最低限に留まる。強いて言えば、ガオーンがキカイノイドの3人を受け入れていく、というくらい。

 

スーパー戦隊は基本的に1話完結で、大概が「ブルー回」「イエロー回」と、各話でメインを張るキャラクターが決まっている。一通り終わると、「ブルー×イエロー回」「レッド×グリーン回」など、組み合わせのパターンが始まり、繰り返される。追加戦士が入ると、追加戦士と各5人の組み合わせに5話分まるっと使うなんてことも少なくない。

 

だがゼンカイジャーは意図的にそのシステムを排している。この変革こそが、アンチが多いことに繋がっているのかもしれない。

 

『ゼンカイジャー』の作風は、「5人(戦隊)になる」ということではなくて、「5人(戦隊)である」という点に重きを置いているのだ。一人一人が抱える葛藤よりも、ちょっとおかしな5人が力を合わせて難局を乗り越える面白さに、ステータスを全振りしている。それを「ふざけすぎ」と罵るか、「革命」と称賛するかは自由だが、この一点がゼンカイジャーの特筆すべき点であることは間違いないだろう。

ちなみに、その分葛藤やトラウマ、出自への悩みなどのシリアスパートは、ほとんどステイシーが抱えることになってしまった。

 

白倉Pは、「キャラクターものにしていきたい」ということを言っていて、要は縦軸の強さよりも、その場その場を全力全開で生きていく介人たちを描いていきたいということなのだと思う。これは平成ライダーで言う「Over Quartzer」でもあり、白倉Pお得意の手法。キャラクターに愛着・含み・一貫性を持たせることで、キャラクターが何をしても面白いの領域にまで持っていってしまう。香村脚本の魅力と素晴らしい縦軸も相俟って、目論見が成功した奇跡的な作品だと、私は思っている。

 

と、全体的なことを語ってしまったが第1カイについて。キカイノイドの中だとジュランが最も好きなのだが、この回は世界観の説明や介人の紹介だけに甘んじることなく、しっかりとジュランという仲間の存在を強調している。

 

突然キカイトピアの一部と融合してしまった介人の世界。連れて来られたジュラン達キカイノイドは一ヶ月で馴染んでしまうものの、トジテンドの侵攻によって、それまで仲良く遊んでいた人々が、ジュランに怯えることになる。

そこでジュランは、「まあ、人間からしたら俺もトジテンドと変わらねえか…」という諦めじみた言葉を呟く。きっとジュランは長いものに巻かれるタイプなのだろう。内に野望や熱意を秘めながらも、トジテンドには勝てないという現実に、様々なものを諦めてきたのかもしれない。そんな彼に訪れたのが、介人との出会い。初対面の彼が放つ「あいつらとは違うだろ」の一言で、ジュランは戦う決心をする。

 

自分らしさを認めてくれることの喜び、そうした仲間がいることの嬉しさ。『ゼンカイジャー』という作品は、介人の世界以外全てがトジテンドの手中に収められているというディストピア状態からスタートする。自由に生きられなかった、生きることを諦めてすらいたジュランが、自分らしくあるために変身するシーンは、本当にかっこいい。

 

ゼンカイジャーはキャラクターを強く打ち出す作風でもあるため、各キャラの個性を認めることが非常に重要になってくる。そしてそれは、多様性の物語へと昇華されていくのだ。トジテンドという圧力からの解放、自由の謳歌、好きなものに全力でいられるように、というテーマ性が、この1話でジュランと介人を通してしっかりと描かれている。

 

 

 

 

第2カイ!ガオな野獣がごやっかい!

第2カイは、ガオーンが仲間入り。正直言うと、最初はかなり嫌いなキャラクターだった。それは単純に、好き嫌いが激しいからである。

 

キカイノイドでありながら、冷たくて固いキカイを愛せず、暖かくて柔らかい人間や動物たちを好むという、特殊性癖の持ち主。キカイノイドと人間のカップルとかも続々と登場するので、それくらいなら許せるのだが、ガオーンの愛情は差別にまで発展してしまっている。

介人とは積極的に話す…どころかボディタッチまで遠慮もないのだが、ジュランの言葉は無視。明確な悪意を持った存在が、ヒーローとして描かれることに最初は違和感があった。

 

考えてみれば、ジュランのおじさんキャラもガオーンの異常性癖キャラも、人間キャストだったらかなり無理があっただろう。キャリアの少ない若手の役者さんに、ここまで分厚いキャラクターを押し付けるのは、作品としてもちぐはぐな印象になり、マイナスにしかならないはずだ。マジーヌやブルーンも含め、こうしたキャラクターはキカイノイドだからこそ生まれたとも言える。

 

当初は苦手だったガオーンだが、物語が進むにつれて態度は徐々に軟化していく。これについては該当回の感想で触れようと思う。

ただ終盤まで鑑賞した今の時点からだと、ガオーンの過去を様々に膨らますことが実はできる。というのも、ゼンカイジャーは前を向き続ける作品なので、キャラクターの過去を語らないのだ。

 

私は勝手に、ガオーンはかなり孤独な若者だったのではないかと思っている。踏み出す勇気を持てなかったマジーヌとはまた異なる、疎外感から来る孤独。性のあり方が見直されている現代においても、自身の性について葛藤を抱えている人は少なくないだろう。きっとガオーンは、キカイトピアでそうした悩みを1人抱えていたのではないだろうか。

 

冷たくて固いキカイしか存在しない世界で、何にも興味が持てず、何事にも熱心になることができず。恰好や言葉遣いも相俟って、そんな空虚なキャラクター性を保持しているように思えてしまうのだ。しかし彼の人生は、世界の融合によって一変する。

 

(おそらく)知らなかったであろう、人間や動物という未知の存在。自分が夢中になれるものを見つけたからこそ、第2カイでのあの態度があるのだと、私は思う。好きなものを見つけた時、好きなことに夢中になれた時、「生きている!」という強い喜びに身を包まれる経験が、誰しもあるはずだ。何だかやる気が出ない日に、偶然聴いた音楽が、スッと心に入ってきたりしたことがあるだろう。そしてそれは、正に運命の出会い。

 

ガオーンは「キカイノイドが嫌い」という側面が強調されてしまっていたが、そのパーソナリティに行き着いた背景には、我々の計り知れないほどの虚無感があるのかもしれないと、ふと思わされる。

特に説明があったわけでもないのにそうした深みを推し量ってしまうのは、本編で彼らが魅力的に描かれていたことの証左なのだろう。

 

キノコトピアというキノコの世界の存在が明らかとなり、人々の頭にキノコを生やすキノコワルドが登場。過去作で言えばまあ「ギャグ回」くらいの扱いだろうが、『ゼンカイジャー』においては、まだボルテージが上がりきってないなという印象すら受けてしまう。

 

アクション面でいうと、ガオーンの野性的なワイヤーアクションはかなり好き。ガオレンジャー世代というのもあるかもしれないが、あのシルエットだけでグッとくるものがある。

 

 

 

 

 

第3カイ!マジでぬぬぬな魔法使い!

 

ゼンカイジャーの紅一点、マジーヌが遂に仲間入り。最初は女性素面キャストがいない(やっちゃんは戦闘要員ではないので一旦ノーカウントで)ことに驚いたが、観れば観るほどマジーヌの動きと声と性格の可愛さに惚れていってしまう。このオタクキャラも、確かに素面キャストでやるにはちょっと厳しいかもしれないが、キカイノイドの姿と声優さんの声なら大丈夫なのだ。

 

この第3カイ、今観るとゼンカイジャーの中でもかなり堅実なカイとなっている印象を受ける。敵はコオリワルド。文字通り周囲を凍結させる能力を持っており、介人の世界を瞬時に氷漬けにしてしまうというハイレベルなワルドなのだ。

 

氷で滑って戦いづらい~というお決まりのギャグはあるものの、やはり前述した通りゼンカイジャーのギャグ度はワルドの個性によって決定づけられるところがあるので、他のカイに比べると、やや平凡な印象すら受けてしまう。これはおそらく、マジーヌが勇気を振り絞る姿が、丁寧に描かれていることも関係しているだろう。

 

内気で自分の趣味である占いを理解されないことを恐れた彼女は、なかなか友だちを作ることができなかった。人見知りでどう人と接していいか分からないという現代的な悩みを持つ彼女を救ったのは、どんなものでも認めて肯定してくれる介人の明るさだったのだ。

 

占いが自分の背中を押してくれたという大切な記憶を思い出し、自分を認めてくれた介人達の仲間になることを決意するマジーヌ。なんだろう…普通に良い話で泣けちゃうんだよなこのカイ…。マジーヌは自分からガツガツ動くキャラクターではないせいか、介人の明るさ、リーダー感が強く打ち出されるカイでもあったように思う。

 

特筆すべきは、東映公式サイトでも触れられていた新たな撮影方法、「リアルタイム合成」。要はグリーンバックで撮影した時点で、リアルタイムに合成を行うという手法なのだが、この第3カイは凍らされた世界の表現が、ほとんどその手法で行われている。こうした撮影方法や専門分野に関してはちんぷんかんぷんな私でも、明らかに「いつもと違う」と思わせてくれる映像は刺激的。

 

コロナ禍でなかなかロケが出来ないが故の代替案という側面もあるのだろうが、ゼンカイジャーはそういった部分でも戦隊に革命を起こそうとしているのだなという気概を感じるカイでもあった。

 

 

 

 

第4カイ!ブルブルでっかいおせっかい!

 

ゼンカイジャー5人目の仲間はトジテンドの掃除係、ブルーン。好奇心が全開で、知りたいと思ったことがあると、人に訊かずにはいられないというちょっと面倒な性格の持ち主。文化系なのにガツガツ来るしガタイが良い。ある意味一番暑苦しいメンバーかもしれない。そんな彼の元トジテンドという出自が、終盤であんな風に効いてくるなんて誰も思っていなかったじゃんかさ…。

 

このカイで、彼がトジテンドに入ったのは好奇心が故だったことが明かされるのだけど、これって結構ヤバいことだと私は思う。敵組織に居たという出自は、大概が潜入だったり洗脳だったりするわけだが、彼は自分の意思でトジテンドに入ったのだ。これはもう「人を殺す人の気持ちを知るため」とか言いながら殺人を犯すサイコパスレベル。ましてジュランやガオーンのように、トジテンドに虐げられていたキャラクターの過去を分かっているのだから尚更である。

 

しかしそんなことをものともしないのが介人。まあそもそも掃除係でしかなかったので、「トジテンドだろうが!」と否定する謂れもないと言えばそうなのだ。知りたいことを教えてくれなかったイジルデに対し、介人はブルーンの質問にも素直に答えてくれる。人と関わる中で、相手にどれだけの熱量を持てるかというのは非常に大切なこと。介人が自分にも全力全開で向き合ってくれていることを知ったブルーンは、反逆者としてトジテンドに立ち向かう。

 

これにより、ゼンカイジャー5人が集結。それと同時に、ボクシングワルドの能力も相俟って、ようやくゼンカイジャーのカオス度が平均値くらいに来たなという印象を受ける。頭の中でゴングが鳴ったら急にボクシングを始めてしまうようになる…正直滅茶苦茶すぎる。しかしカイを増すごとに、これが「普通」に思えてしまうのだから更に凄い。

 

白倉Pは、ゼンカイジャーが5人であることの意味を、「単純に、1人じゃ勝てないから」と見せるようにしているそう。確かにこのゼンカイジャー、誰か1人だと全く敵に勝てなさそうなんだよな。連携がうまくいっているというわけでもないし、特別強いキャラが居るわけでもない。例年ならこう、ちょっと弱気なメンバーが1人取り残されるんだけど、機転で他の4人を解放して「やったな!」みたいな回がある。だが、ゼンカイジャーにその構図は似合わなすぎる。

 

良くも悪くも、5人の家族で戦っているような、成長よりも団結を促すような、そんな作品こそが『機界戦隊ゼンカイジャー』なのだと思う。

 

 

 

 

 

スピンオフ ゼンカイレッド大紹介!

放送開始直後にTELASAで配信された突然のスピンオフ。まさかまさかの赤いゼンカイザー、ゼンカイレッドが登場し、「リーダーは赤だろ!」と主張するという展開。スーパー戦隊のメタな部分を意図的に破りつつも敢えてそれを前面に打ち出さなかったゼンカイジャーだが、まさかスピンオフで戦隊の宿命と戦うことになるとは…。

 

時系列では第7カイの前だが、配信時期がこの辺りと重なっていたため、敢えてこの記事に感想を。

 

これは配信ではなくBlu-ray発売で観たからかもしれないが、やはり香村脚本でない『ゼンカイジャー』は違和感があるなあというのが一番の感想。介人はゼンカイレッドのことを「アンタ」なんて呼ばないだろうし、語尾も少し変な感じがする。ちょっと生意気に見えてしまう。ほぼ全話を同じ脚本家が書いていることは、やはりキャラクターに一貫性を持たせる上で非常に重要だったなと強く感じる。

 

ただ、作品としてはスピンオフならではのメタ的な要素も多分に含まれていて結構面白い。白を基調としたデザインのゼンカイザーにいちゃもんをつける男が変身する赤いゼンカイザー、ゼンカイレッド。ギアトリンガーから細長い炎を放出して剣のようにして敵を斬る必殺技もかっこいい。これゼンカイザーもやってほしかったな。

 

怪人はスーパー悪者ワルドのスーツをノーマル悪者ワルドと言い張り、語尾は何故か「ノーマル」。結果的にはゼンカイレッドのギアはノーマル悪者ワルドが生み出したものだったが、ちょっと面倒なゼンカイレッドすらも受け入れてしまうのが介人の良いところ。後はアドリブっぽい前後編それぞれのエンディングシーンが凄く好き。

 

ただやっぱり香村脚本じゃない違和感という一点だけで、ちょっと認められないでいるのもまた事実。メタ的な要素をしっかりと孕んだ面白い作品ではあると思うのだが、スピンオフの域を出ないというか…本編に還元される要素は薄いので、今後あまり観返すことはないかもしれない。

 

 

 

 

 

最後に

序盤はまだまだ仲間集め。ここからがゼンカイジャーの本領発揮である。おかしなワルドに翻弄され、ますますカオスを極める彼らの戦いを、これから4話1記事ペースくらいで書いていこうと思う。最終回までに間に合えばよいのだが…。