映画『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME3』評価・ネタバレ感想! ロケット…!ロケット・ラクーン…!

【メーカー特典あり】ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3 オーサム・ミックス Vol. 3(オリジナル・サウンドトラック) (特典:オリジナルクリアファイル付)

 

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーは私が最初に劇場で観たMCU映画なので、思い入れはかなり強い。当時連続性のある映画シリーズが展開されているとMCUのことを知ってすぐに過去作を網羅し、そのタイミングで公開されたのが『ガーディアンズ・オブギャラクシー』だった。日本ではただでさえウケないスペースオペラMCUではあるが、『アベンジャーズ』に登場した主役級メンバーは一切出てこないこともあり、「アウトロー達の物語」だと強調した宣伝が多かったように記憶している。負け犬達が団結してチームとなり、勝利をもぎ取る。激アツの展開。そこにジェームズ・ガン監督のオリジナリティあふれるユーモアが組み合わさることで、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』は当時からかなり高い評価を受けていた。私自身も、「なんだかすごいものを観た!」という思いに溢れていた。とにかく感情をぐちゃぐちゃにされる作品。それはリミックスという邦題で公開された『Vol.2』も同様。いや、2は1よりも圧倒的に全ての面で上回っていたのではないだろうか。MCUは既に映画だけで30作を超す程の長寿シリーズとなったが、私は未だにこの『Vol.2』が一番好きだ。

 

MCUで一番好きな作品を聞かれたら『Vol.2』と答えるし、一番好きなシリーズを聞かれたら「ガーディアンズ」と答えるし、好きなキャラクターはと聞かれたら「ロケット」と答える。そんな私にとってこの「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー完結篇でありロケットが主役の物語」である『VOLUME3』は特別な映画になること間違いなしという作品であった。当然その心構えで観たのだが、本当にガーディアンズを好きでよかったなと思える1作。ジェームズ・ガンが何度もインタビューで「ロケットの物語」であることを強調していたが、想像以上にロケットの物語であった。喋る好戦的なアライグマという、ともすればマスコットとしてしか機能しないようなキャラクターをここまで掘り下げ、「ロケット・ラクーン」を再構築してくれるとは。このシリーズの完結編がロケットの物語であることへの納得がとても強い上に、彼等との別れに対して寂しさよりも嬉しさが勝つような爽やかな後味さえ漂っている。

 

 

 

 

『VOLUME3』はいきなりロケットの大ピンチから始まる。前作のラストで示唆されたアダムがガーディアンズの拠点であるウォーロックを襲撃。襲われたロケットは瀕死の重傷を負うが、彼の体内にはキルスイッチなるものが仕掛けられており、治療することができない。ガーディアンズは48時間の余命となったロケットを救うために、奮闘する。それと同時に、生死を彷徨うロケットの過去が描かれ、彼がいかにして今のような生物となったかが語られる。ロケットがガーディアンズにさえ話していない出自には、重苦しい物語があったのだ。

 

ロケットの過去は本当に苦しく、観ていて切ない。いきなり実験対象にされ、小さな檻の中で同じく実験動物となった存在達と友だちになる。中でもカワウソのライラは彼にとって特別な存在で、彼らが歌ったり踊ったりする姿には思わず微笑んでしまう。しかし、観ている私たちはこの幸せな時間が長くは続かないことを知っている。ラクーンが今ガーディアンズに加入していること、そして彼が自分の過去をずっとごまかしてきたことを考えると、あの幸せは悲劇として幕を閉じる。その予想は辛くも的中してしまう。

 

特別頭の良かったロケットは創造主のハイ・エボリューショナリーのお気に入りとなるが、彼が欲していたのはロケット自身ではなく、自分にさえなかった閃きを持っていたロケットの脳みそだった。自分たちが実験動物でしかなく、翌日には処刑されることを知ったロケットは仲間達と共に脱走を図るが、その計画に気付いたハイ・エボリューショナリーに仲間たちを全員殺されてしまう。悲しみに浸る時間もないままに星を脱出するロケット。実験のためだけに改造され、生かされ、大切な友達さえいなくなってしまった彼の長い孤独を想うと、どこまでも胸が痛んで仕方がない。

 

だが、もう1つのパート…ガーディアンズがロケットを救おうとするパートが、私たちの心を明るく照らしてくれる。ロケットが生まれた時からずっと求めてきたもの、長い間欲しいと願い続けたもの…つまり「家族」がそこに確かにあるのだ。彼らは瀕死のロケットのために様々な困難を乗り越え、数々の危険を冒す。特に『エンドゲーム』での共闘で仲間意識が強くなったのか、ネビュラのロケットへの気持ちが人一倍強いことに思わず涙ぐんでしまった。

 

過去でロケットがずっと求めていたものである「家族」。その「家族」が現代パートでロケットを救うために一丸となって戦うという構図が素晴らしい。音楽の演出や小気味良いギャグ、軽快なやり取りももちろんなのだが、一番心を奪われたのはこの構成の美しさである。ロケットがくよくよ悩むシーンはあくまで過去のものであり、ガーディアンズという家族を手にした現代の彼は、復活後もいつもの毒舌で私たちを魅了してくれる。「ガーディアンズ」という生きる理由を手に入れた彼の喜びが、目線や表情からひしひしと伝わってくるのだ。

 

欲を言えばグルートとの出会いなども描いてほしかったところだが、この『VOLUME3』のロケットの過去を踏まえて改めて1作目から見直すと、まだまだ新たな発見がありそうな予感がしている。義足や義眼、義手などにこだわり続けたのはライラ達への想いが関係しているのかもしれないし、『Vol.2』でヨンドゥにピーターを迎えに行かせた時の彼の心情には、ライラ達を助けられなかった記憶が重なっていたのかもしれない。彼が時折見せる切なげな表情に、これからはライラ達との思いでまでもが上乗せされていく。ガーディアンズの物語はここで閉じてしまったが、それでもシリーズ3作や『インフィニティ・ウォー』『エンドゲーム』その他スピンオフを更に深堀する余地を残してくれたように思う。

 

ロケットが主役の物語でありながら、他のキャラクターの描写もしっかりと描かれている。アベンジャーズ2作でガモーラが犠牲になった時、「何してくれてるんですか?」というのが本音だった。ジェームズ・ガンが丁寧に紡いできたシリーズに対して、取り返しのつかないことをしてくれやがったな、と。もちろんそれも織り込み済みだったのかもしれないが、だとしても集合映画のアベンジャーズではなく、ガーディアンズのうちでそういう大きな出来事はやってほしかったとも思った。

そのためピーターとガモーラの関係性にちょっと不安を覚えていたのだが、なんということはない。ジェームズ・ガンは最高のアンサーを出してくれた。ガモーラはピーターと恋仲にあったあのガモーラではなく、ネビュラと和解したあのガモーラでもない。そして『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』はどこまでも「出自や過去を超える」ことの意味を教えてくれる作品なのだ。

 

世界を創る惑星である父親に利用されるために生まれたピーターも、彼と出自を同じくするマンティスも、サノスという父親に振り回されたガモーラとネビュラも、愛する家族を失い復讐の鬼と化していたドラックスも、そして実験動物でしかなかったロケットも。

一つの目的のために仲間となり、家族となり、ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーとる。生まれがどうだろうと、過去に何があろうと関係ない。人はやり直すことができるのだ。人生が広いか狭いか、それを決めるのは個人の意思であり、出自や過去ではないのである。

だからこの『VOLUME3』は、新しいガモーラに過去のガモーラを押し付けることはしない。彼女は新しいガモーラであって、昔のガモーラではないのだから。そして過去に何があろうと、何をしていようと、ガーディアンズは人にやり直す機会を与えてくれる。なぜなら、自分たちの過去が良いものではないことを知っていて、そこから立ち上がれる可能性が未来に満ちていることを理解しているからである。

 

最後、ガーディアンズのメンバーはそれぞれ自身の道に進む。そう、ガーディアンズとは彼らにとってゴールではなく、やり直すための契機だったのだろう。過去を見つめ直すピーターに、新たな道を探すマンティスやドラックス。負け組で落ちこぼれだったはずの彼らが、ガーディアンズという経験を経て、新たな方向へと進んでいく。それはまるで学校を卒業するかのように。

互いに生きることの喜びや仲間の大切さを理解し合えたからこそ、彼らは次に進むことができるようになったのだ。ガーディアンズも彼らにとってはやがて過去となっていく。しかし、それはこれまでに持っていた負け犬というマイナスの過去ではなく、仲間と共に銀河を救ったというプラスの過去。

 

『Vol.2』から先、ジェームズ・ガン監督降板の話や、クリス・プラットの炎上など、決して順風満帆とはいかなかったはずだ。だが、そうした過去さえも彼らを決定づけるものにはならない。あくまで「過去の1つ」でしかないのだ。過去は塗り替えることも塗り潰すこともできる。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』というシリーズは、個性あふれるキャラクター達を軸に、ずっとそれをメインテーマに据えてきたのではないだろうか。

 

ピーターやマンティスがガーディアンズを離れると聞いたロケットの悲しそうな表情。そして彼が他の面々から新たなリーダーを言い渡された時の誇らしげな表情。実験動物として生み出され、生きる意味を探し続けた彼は、ついに銀河を救うチームのリーダーにまで就任したのだ。

「自分が何者か」ではなく「何者になるか」という未来志向を強く打ち出してくれた素晴らしい作品が、見事な完結を迎えられたことが本当に嬉しくて堪らない。残酷な描写や生々しい演出も多いシリーズだったが、今のディズニーが打ち出しているテーマを何よりも強く訴えているのではないだろうか。

 

それと余談だが、CGではない半獣半人を、まさか2020年代のハリウッド大作であの人数観られるとは思わなかった。そういう意図的な気持ち悪さというか、可笑しさも、この映画の面白さに直結しているのではないだろうか。

正直、感情を喚起させられたという意味では『Vol.2』の方が上である。だが、この『VOLUME3』はガーディアンズの結末として本当に言うことがなく、素晴らしい。そしてこの『VOLUME3』を観れば、過去作の見え方が主にロケットに関して、また変わってくるだろう。正直MCUはフェーズ4以降追うのが億劫になっていて、ドラマなどは未着手のものも多い。だが、この作品が見事に私の感情を繋ぎ止めてくれた。願わくば、これ以上に心を惹きつけてくれるシリーズがMCUにまた新たに生まれてほしいところ。