Vシネクスト『暴太郎戦隊ドンブラザーズVSゼンカイジャー』評価・ネタバレ感想! 「いつもの」ドンブラゼンカイを堪能できる嬉しさ

2月の暮れ、『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』が終わってしまったことが本当に悲しくてたまらなかったのを今でも鮮明に思い出せる。『王様戦隊キングオージャー』が始まり、そのいい意味での戦隊らしくなさに惹かれたことで何とか正気を保てているが、正直ドンブラザーズが永遠に続いてくれた方が私はきっと嬉しかっただろう。

 

アギト、龍騎、555で育った私は、半ば諦めていた井上敏樹のニチアサ登板に歓喜し、毎週活力をもらっていた。終盤の展開には何度も泣かされ、もう全体で3周くらいはしてると思う。回数観ている方が良いということではないのだけれど、それくらい何度でも何度でも観たくなる力のある作品なのだということを強調したい。

ちなみに、以前にまとめた総括記事がこちら。

 

curepretottoko.hatenablog.jp

 

 

その上で毎年恒例のVSシリーズ。1つ前に終了した作品とその更に1つ前の作品のコラボ作品。そして最終回のDC版が公開予定と聞いて、何とかそれを楽しみに思う気持ちで日々を過ごすことができていた…。しかし、2023年5月3日がやってきてしまった。

そう、『暴太郎戦隊ドンブラザーズVSゼンカイジャー』通称「ドンゼン」の劇場公開日である。しかも同日にドンブラザーズ最終回DC版の配信も始まってしまい、畳みかけるようにドンブラザーズが「終わり」を迎えたことを意識しなくてはならなくなった。新しいドンブラザーズが観られるという喜びよりも、これで本当にドンブラザーズが終わってしまうという悲しみの方が大きい。来年『キングオージャーVSドンブラザーズ』があるはずだと分かっていても、この悲しみを拭うことは未だできずにいる。

 

GW真っ只中ということもあり、公開日初日、私が行った劇場はまさかの満員。ライダー映画でも初日で満員ということはまずない。子ども連れが多かったので、やはりGWというのは大きかったのかなと思う。もちろん、おそらくドンブラザーズもしくはゼンカイジャーあるいは両方を楽しんで観ていたであろう特撮ファンもたくさん劇場に来ていた。

 

スーパー戦隊のVS作品の肝となるのは、各戦隊同士の交流や掛け合い。しかし本作は過去の「MOVIE大戦」シリーズに則っており、ゼンカイジャーパート、ドンブラザーズパート、VSパートと、VS作品らしくない構成となっている。なのでその分の旨味みたいなものはどうしても不足してしまっていたように思う。しかしそれを補って余りある、個性の強い2作品の「いつもの」感。

そもそも香村脚本と井上脚本はどちらも魅力的だけれど本来食い合わせは悪いだろうし、この2作品のVSであることを考えると、このシステムにしたのは正解だったなと。

 

その上で各パートの感想を述べていきたい。

 

 

 

 

まずはゼンカイジャーパートから。

本編の最終回後の物語ではあるが、テンションは完全にいつものゼンカイジャー。ワルドの能力に翻弄されるも熱血おバカのゼンカイジャーがちょっと変なやり方で活路を見い出していく、いつもの「ゼンカイジャー」を楽しむことができる。

この作品を観るにあたってラスト3話だけ見返したのだが、やはりゼンカイジャーはとても面白い作品だったなあと改めて思った。そして、とても変な作品だったなあとも。『ドンブラザーズ』があまりに奇天烈な作品であったために、ゼンカイジャーの上をいったかのような評価が一般的になっているが、仮にドンブラザーズの後にゼンカイジャーが放送されていたら、きっともっと変な作品認定をされていたと思う。

それくらいゼンカイジャーはおかしい。狂っている。そしてその狂気を再び味わうことができたのは、本当に嬉しかった。

 

正直カシワモチワルドに関してはあまり好意的でなかったというか…。観る前は「また柏餅か…」と落胆してしまっていたのである。私はネットの盛り上がりがあまり好きじゃないタイプで、そういう祭を一歩引いた目で見てしまうので、ゼンカイジャーの面白さを語る際に「カシワモチの怪人がいて~」と断片的な情報だけを伝えて、そこにセルフツッコミを入れたりみたいなツイートがどうにも目に余った。確かに柏餅の怪人自体異色で、その怪人のせいで人々が柏餅中毒になって、しかもその回は6人目の戦士が登場し立ての回で…と、変な回であるのは認めるが、そういうところばかりを取沙汰するインターネットの空気があまり肌に合わないのだ。

 

ゼンカイジャーは(というか白倉Pの作風によるところが大きいと思う)、そうしたインターネットの声に対し、こちらが求めているもの以上のカオスを打ち出してくるどころか打ち出し続けてくるところが本当に好きで、こちらがツッコミしかできないようなワルドを毎回出してくるところが大好きだったので、VSシリーズ2回目、つまり実質ゼンカイジャーが主演を張れるラストの作品で再びカシワモチワルドが登板というのはあまり嬉しい知らせではなかったのである。

 

しかし、蓋を開けてみればどうだろう。介人、ジュラン、ガオーン、マジーヌ、ブルーン、ゾックス、フリント、ステイシー。懐かしい面々が懐かしいやり口に翻弄されていて、ゼンカイジャーをリアルタイムで毎週楽しみにしていた時の多幸感が胸にまざまざとよみがえってきた。

ワルドの洗脳は受けたのに強すぎるせいでワルドよりも先に柏餅王として君臨してしまったゾックスという時点でもうゼンカイジャーすぎる。ワルドがどこかかわいそうになってくるのもいつもの展開で、そんなカオスな状況に対してゼンカイジャーが「闇柏餅を流通させる」というやり口で返してくるのも素晴らしい。今すぐTwitterを開いて実況中継したくなるくらいに、「いつものゼンカイジャー」だったのだ。前作の『ゼンカイジャーVSキラメイジャー』では、ゼンカイジャーのカオスっぷり(というか主にカルビワルド)でキラメイジャーの成分をだいぶ侵食していたようにも見えて心配になったが、それがゼンカイジャーメンバーだけで構成されると、とたんに安心感が生まれる。あ~ゼンカイジャーってこうだったわ忘れてたわ、と、1年の空白期間も味方して、とても懐かしい気分に浸ることができた。

 

テーマ的な話をすると、私はゼンカイジャーを「可能性を開いていく」作品だと思っていて。それは意表を突く編成や物語でスーパー戦隊の可能性を切り開いたということもそうだし、世界を閉じ尽くしたトジテンドに対して切り込んでいくというヒーロー作品としての姿勢もそうだった。そしてそのための重要なキーワードが「全力全開」。何事にも全力で立ち向かい決してあきらめない姿勢と、説教臭くないメッセージの数々に、観ているこちらがついつい笑顔になってしまうような作品だったと思う。

そしてゼンカイジャーとゴールドツイカー一家がバカをやっている隣で、ステイシーが常にシリアスを担い、視聴者の感情を一手に引き受ける。スーパー戦隊の基本フォーマットである「ブルー回」みたいな各メンバーにフォーカスする回は最小限に留めて、とにかくレギュラーメンバーが全力でワルドに立ち向かう姿(しかもだいぶアホ)を見せてくれるのがゼンカイジャーなのだ。

 

そんな彼らが戦いの後に次々と世界を冒険していき、それぞれの世界と繋がっていく。闇柏餅なんてキーワードのせいでだいぶ面白おかしくなってしまっているが、各世界の柏餅で人々の心を魅了するその戦い方は、彼らがトジテンドとの戦いと冒険の果てに手に入れた、かけがえのないやり方なのだ。ラスボス戦で「俺たちはきっと、世界初じゃない!」と立ち位置を確認した介人率いるゼンカイジャーが、世界を繋げたことによる成果を、ワルドとのバトルに利用する。「いつもの」ゼンカイジャーでありながら、これが集大成でもあるというようなメッセージ性さえ感じられてしまう。

 

後はゾックスという男のそもそもの凶暴性であったり、ハカイザーとステイシーのやり取りであったり。この辺りの本編があったからこそ活きてくる描写はやはり脚本を1年手がけてきた香村さんの鮮やかな筆致がすごくダイレクトに刺さった。『ゼンカイVSキラメイ』がセンパイジャーまで含めてかなりお祭り感の強い作品だったのに対し、本作はこじんまりしているものの、ゼンカイジャーという作品の良さを再確認できる、素晴らしいい出来栄えだった。

 

 

 

 

 

続いて、ドンブラザーズパート。

ドンブラザーズもやはり井上敏樹脚本という意味では「いつもの」なのだが、ここに更に「最終回後」のアフターパーティー感がどデカく乗っかっていて、「いつもの」を超えた先のドラマを堪能することができた。

冒頭、お届け物でーすと配達に来たタロウ、家のドアが不自然に開き、中に入るとラーメンのなるとが回転してマスターのホログラムが現れ、タロウの記憶が戻り、ラーメンは消滅。すごい、すごすぎる…!

そもそもタロウが記憶を失っちゃったしどうするんだろう…というこちらの疑問を全く意味不明な形で1分少々で片付けてしまう。ここに対しても「これこれ、これがドンブラザーズだわ」と懐かしい田舎の味を噛み締めていた。その後喫茶どんぶらに赴いたタロウの前に、ウェイターとしてムラサメが現れ、注文を繰り返せたムラサメに対して「よくできましたね、ムラサメ!」と上ずったマザーの声。敏樹はムラサメを一体どうしたかったんだよ…と思わざるを得ない。しかもムラサメ、ここでしか登場しないので本当に凄い。闇ジロウとやり取りしていた頃はかなりシリアスを担っていたはずなのだが、いつの間にか便利な刀かギャグキャラとしてしか機能しなくなってしまった。でもドンブラザーズのそういうところが大好きである。

 

そこからタロウが離れていた1年で、それぞれが何をしていたかが語られる。大雑把に言うのであれば、大金を手にしたジロウがメンバーそれぞれの生活の便宜を図り、まるで「はなたかえれじい」の時のように、ドンブラザーズはだいぶ付け上がってしまっていた。ジロウからは「縁が切れてる」とまで言われたタロウ、脱退を決める4人。脱退を言い渡された時のタロウの「好きにすればよい」みたいなセリフから、どことなく寂しさが感じ取れる。

 

今回、ジロウがかなりヤバい奴になっていて、正直人格統合前よりも過激なリーダーになってしまっているのがだいぶヤバいのだが、そこを考慮せずとも、「タロウのいないドンブラザーズは崩壊する」という流れにもう涙が止まらなかった。

幼少期から友達を作れなかったタロウが、ドンブラザーズという最高の仲間を手に入れ、彼らに誕生日を祝ってもらうまでに至る。そしてドンブラザーズのメンバー4人は、自分たちの生活にドンブラザーズが必要だった、楽しかったとそれぞれ述べる。特に雉野の「自分のためにドンブラザーズを続けたい」というセリフは、DC版で改めて観ても泣いてしまうくらいに好きだ。

タロウがいなくなった後もジロウが後継者となってドンブラザーズは活動を続けていたが、タロウがいないドンブラザーズは全くの別物というのが提示されたことがすごく嬉しい。彼らがヒーロー足り得たアンサーとして、「ドンブラザーズは個性を活かすチーム」というのを示してくれた辺り、本当に作品の総決算をやろうとしているのだなというのが伝わってきた。

 

フォーメーションを作り始めたジロウはドンブラザーズのリーダーの器ではなく、何よりタロウの一番の友であるソノイがその君臨を認めなかった。でもソノイはそもそもタロウの後に誰がドンブラザーズのリーダーに立っていたとしても、なんやかんや反発していたのではないだろうか…とも思ってしまう。もちろんジロウほどやばいことにはならないのだろうが。

 

ただ今回のジロウ、あまりにヤバい奴すぎて意図的にそうしたとしか思えない…というか思わなければ何かが狂っている。過去を乗り越え、二重人格を統合したはずの彼が何故ああまで狂った人物になってしまったのか。それもおそらく「タロウ不在」のせいなのではないだろうか。ジロウの目標はタロウであり、タロウへの憧れと嫉妬こそが、彼の根幹だった。本作のジロウは狂気に満ちていて、どう考えてもヒーローの器ではないのだが、おそらく彼は指導者の立場に向いていない存在なのだと思う。

それもドンブラザーズが個性を重視するチーム及び作品であることを考えると至極真っ当な狂い方をしていると言えないだろうか。彼はタロウの下で二番手、もしくはお供として戦うのが光り輝くための個性であり、その地位から昇格してリーダーとなることは、彼の個性にはそぐわないことなのだろう。

 

井上脚本はキャラクターを力技で収めるべきところに収めてしまう。それはアギトや555でもそうだったが、ドンブラザーズはそのキャラ重視作劇の最たるもの。そういう意味で捉えるのなら、本作の一番の衝撃である「ソノイ死亡」も納得がいく。

もちろん言葉で語られなかったために、何故ソノイがああならなければならなかったのか、その真意は正確には分からない。ましてジロウとの決戦もしっかり語られなかったのだから、私たちはあのソノイの最期から全てを感じ取り、推理するしかない。

そういう意味でソノイはどこまでも、「タロウを助ける男」だったのだと思う。

彼がいなければタロウは復活できず、TVシリーズにまで遡れば、彼の存在がタロウの拠り所となっていた。脳人を辞めてドンブラザーズに加入した時点で、彼はタロウのライバルではなくタロウの右腕という地位に落ち着き、そしてタロウのために全てを投げ打てるキャラクターとなったのだろう。それこそが彼の「個性」であり、彼の居場所なのだと、この作品は言いたかったのではないだろうか。

 

そしてタロウを復活させる(ここで口からエキス吐くの、絶対やると思ってたよ!)ことが自分の使命だと思い、ソノイはその道を選んだのだろう。タロウが復活すれば、ドンブラザーズが再集結する。それはタロウが何よりも望むことだろうという思考回路があったかもしれない。そこに自分がいないことを、彼は勘定に入れていなかったのだろうか。自分がいないことでタロウがどれだけ悲しむかを、ソノイは考えていなかったのだろうか。

考えていたとしたらソノイはそれでもタロウに笑っていてほしかったということになるし、考えていなかったのだとしたらそれはそれでソノイの自信の弱さに思いを馳せてしまう。これ来年『キングオージャーVSドンブラザーズ』ではしれっと戻ってきてほしいというか、タロウがソノイをどうにか復活させる方法を探る…みたいなオーズ最終回みたいな流れになっていてほしいくらいである。というかドンブラなら開始2分でソノイ復活とか全然やりそう。

 

そして何かと株を下げ続けたジロウに対してもしっかりと救済があるのが、本当に井上脚本という感じがしてすごくよかった。るみちゃんは存在しなかったと知って、人格を統合してマトモになった感じがしたけど、実はタロウがいなくなれば前よりヤバい奴になると発覚した彼が、るみちゃんに似た女性と出会う。こんな美しいオチ、というかキャラクターの救済、もう敏樹にしか許されない。

 

あとは犬塚とソノニが素晴らしかった。ケーキ屋をやってるって何?

本当は逃亡していたい(逃亡していたいって何?)犬塚がソノニとの将来を考えてケーキ屋を営んでいるのが良すぎる。一度は将来設計が不十分で恋愛失敗した男だから、その辺慎重になっているのだろうか…。その上でソノニも「翼はそれでいいのか?」みたいな矛盾をずっと抱えているのが最高。この2人がメインでも全然展開できそうな話運び。最後に自撮りの写真を街中に貼って逃亡犯に戻る演出も狂っててよかった。犬塚に限った話ではないが、ドンブラザーズ全50話で私たちが堪能した彼らの姿こそが「正解」で、タロウの復活によりそこに「戻っていく」物語が絶妙な形で展開されていくのが堪らない。

単発のラストであるため大胆な伏線や印象的な描写などはないものの、ドンブラザーズの後日譚として本当に完璧な出来だったと思う。全員が再集結して…と思ったところに投げつけられたソノイも、本当にすごい。

 

 

 

 

 

最後にVSパート。

正直、言うことはないだろう。

パンフレットによれば、白倉Pがこのパートの全体的な脚本を担当し、それを香村・井上両氏がキャラに合わせてセリフを書き換えたとのこと。マスターの正体についてはまあ有耶無耶になるだろうなあと予想がついていたので、特に不満はなし。

強いて言うならせっかくのVS作品なので名乗りはしっかりとやってほしかったところ。どちらも真面目な名乗りからかけ離れた戦隊だったので、正直ここはしっかりキメてほしかった。

だがそれぞれの掛け合いは純粋に楽しめるもので、むしろドンブラザーズの面々がこういう会話しながら戦ってることに新鮮味も感じていた。両方が異常な戦隊なので、お約束をやっているだけで何だか特別感があるというか。VSのラストバトルという以上に特別感が漏れ出ていたように思う。その相手として大野稔とカシワモチワルドが適切だったのかどうかはおいといて。

 

とまあ、全体的に満足度の高い作品だった。各パートに分かれていることで、キャラクターのブレもなく、各作品のラストと地続きに観られるのが嬉しい。反面爆発的なお祭感には欠けていたが、観たかったものが観られたので概ね満足である。

ゼンカイジャーもラストというよりかは、番外編のような位置づけ。ゼンカイジャーのやり口を堪能できたことで、また第1カイから見直したくなってくる。

そしてこれからは、1年後の『キングオージャーVSドンブラザーズ』を楽しみにする日々が始まる。アバレンジャーとのスピンオフもあるだろうか。FLTも配信で観ようと思う。

他にも何か展開があればなあと思うのだが、映画館が満席で、ファン層もだいぶ広がったと聞いているので、ドンブラザーズなら何かをやってくれるかもしれないという期待がある。

 

 

2024年4月追記

次作、『王様戦隊キングオージャーVSドンブラザーズ』及び『王様戦隊キングオージャーVSキョウリュウジャー』についても感想書きました。

 

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