『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』観ましたし素晴らしかったし泣きました<ネタバレあり>

生きててよかった…。

2022年初めて劇場で鑑賞した映画『スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム』は心底そう思わせてくれる素晴らしい映画だった。

期待値を常に上回ってくるMCU作品だが、ここまで興奮したのは『エンドゲーム』以来かもしれない。なんなら『エンドゲーム』の10年間という重みすらも越えてくるレベルのとんでもない作品が世に生まれてしまった。

 

かく言う私は、アメコミ自体は邦訳版を多少購入している程度なので、そこまでアメコミの知識はない。それなりにMCUやこれまでのMARVEL映画で蓄えた知識だけで、毎回映画鑑賞に臨んでいる。きっとそういう方は多いと思う。

 

原作ノータッチの人間は「にわか」と揶揄されることもあるが、そんな「にわか」の感情すらも大いに掻き立ててしまうのが今回の『ノー・ウェイ・ホーム』。MCU版スパイダーマン3部作の完結編でもあり、マルチバースという概念をMCUが映画にて本格的に導入してきた意欲作でもあり、そして何より全スパイダーマンファンが涙する衝撃の作品でもあった。

 

スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム (字幕版)

 

※ここからの内容は映画本編やその他のスパイダーマン映画のネタバレを含みます。鑑賞前の方は十分にご注意ください。

 

 

・驚きと興奮の連続

『ノー・ウェイ・ホーム』の予告が公開された時、既に全人類は湧いていた。

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ドクター・オクトパス、グリーン・ゴブリン。かつてサム・ライミ監督による3部作に登場し、トビー・マグワイア演じるピーター・パーカーを苦しめた強敵たちの登場。それは単にノスタルジーを刺激するだけでなく、遂にMCUと過去のスパイダーマン作品が繋がり、インフィニティ・ストーンの物語に幕を閉じたMCUが、マルチバース<多元宇宙>という壮大な物語へと突入していくという衝撃的な意志表示にもなっていた。

 

MCUは単独作品をいくつか公開後に集合映画の『アベンジャーズ』を公開という流れが続いている。そのため、各単独作品は知らないが、なんとなく『アベンジャーズ』だけ鑑賞しているという方もそう少なくはない。

実は『スパイダーマン』も同様で、『スパイダーマン』3作のみ、もしくは『アベンジャーズ』と『スパイダーマン』の計7作だけ観ているという方もいる。

 

それは単純にライミ版3作や、マーク・ウェブ監督による『アメイジングスパイダーマン』2作公開の影響で、コミックに親しみのない方々にとっても20年近く愛されるキャラクターであるからだろう。

「親愛なる隣人」と呼ばれるスパイダーマンことピーター・パーカーは、現実世界でもやはり『アベンジャーズ』メンバーの誰よりも知名度が高いような気がする。特に日本に住んでいると、アイアンマンやキャップは知らずともスパイダーマンは分かるという人も多いのだ。

 

そんな中で公開されたこの『スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム』は、言わば「スパイダーマンアベンジャーズ」。

分かる方に言うのであれば「実写版スパイダーバース」。

スパイダーマンの正体を知る存在が、様々な世界からあふれ出し、ライミ版のスパイダーマンことトビー・マグワイア、ウェブ版のスパイダーマンことアンドリュー・ガーフィールド、そして主役であるMCUのスパイダーマントム・ホランドの、3人のスパイダーマンが立ち向かうというファン歓喜の集大成的作品だった。

 

私が映画を観て最初に驚いたのは、デアデビルことマット・マードックの登場。

原作コミックではスパイダーマンデアデビルはかなり仲が良く、『デアデビル』自体は実は6年以上前にNetflxでドラマ版が作られている。

ジェシカ・ジョーンズ』や『ルーク・ケイジ』、『アイアン・フィスト』などもNetflix版のドラマが制作され、彼らは『ディフェンダーズ』という作品で合流。言わば『アベンジャーズ』のようなことを配信ドラマで行っていた。

しかし、勢いづいたMCU、更にDisney+の登場などもあってか、いつの間にかNetflixディフェンダーズシリーズは打ち切り。ドラマ版それぞれは『アベンジャーズ』後の世界を描いていたものの、彼らの活躍がその後MCUにて拾われることはなかった…。

 

いや、なかったはずだった!

しかし今回の映画で、ミステリオ殺害の容疑をかけられたピーターを救った弁護士こそ、あのマット・マードック

やはり知名度は低かったか劇場内でのどよめきは少なかったものの、窓から投げ入れられた石を後ろ向き(どころかそもそも彼は視力がない)でキャッチし、彼を知らないファンにとっても意味深なキャラクターなのだと分かる活躍を見せてくれた。

 

彼のMCUへの登場はファンの間でも噂されており、「いつかできたらいいね」というようなニュースがつい先日報道されたばかり。

今考えると本当に白々しい…。しかし彼の登場というのは、あくまで『ノー・ウェイ・ホーム』のほんの導入に過ぎなかったのである。

 

人々の記憶を消してもらうため、ドクター・ストレンジに嘆願するピーター。しかしピーターの邪魔もあり(ストレンジも十分悪いけど)、魔術は失敗。その結果スパイダーマンの正体を知る者達が別の世界からやって来てしまうという悲劇を招いた。

 

ここまでは予告でも明かされていた段階。

面白いのは、「過去にスパイダーマンが戦ったヴィランが勢揃いして大暴れ!」という流れにいくのではなく、「僕のせいで巻き込まれた彼らを助けたい」というピーターの優しさが物語を動かしていく点。

登場した5体のヴィランは皆、スパイダーマンとの戦いの中で命を落とす直前までの記憶しか持ち合わせておらず、ストレンジが世界を元に戻せばそのまま死ぬことになるのは確定していた。

 

それを知ったピーターは、「そんなの可哀想だ!」とストレンジに反逆。一人一人を治療していくため、彼らを解放する。

しかし協力的に思えたグリーン・ゴブリンが本性を現し、ピーターは大切な存在を失ってしまう。人殺しのレッテルを貼られ続け、多くを奪われた彼の元に駆けつけたのが、別世界のピーター・パーカー2人だった。

 

トビー・マグワイアアンドリュー・ガーフィールドの登場も、以前より噂されていた。噂というか、ファンの期待の域を出ない報道もあったが、どれも「そうなるといいね」程度のコメントに落ち着いており、実現はまだまだ先かと思われていた。

本当に白々しい…。MCUは既に彼らを登場させていたのだ!

 

過去のヴィランの登場、Netflix版との接続、そしてピーター・パーカー3人勢揃いという素晴らしい題材を、敢えてサプライズとして隠し続けていた辺り、MCUのこの映画への本気度が伺えると思う。

しかし何より素晴らしいのは、ヴィランやピーター達の登場が、単なるゲスト出演に留まらない点だった。

 

 

・救済の物語

映画業界の事情に多少詳しい者なら、スパイダーマン映画の紆余曲折は聞いたことがあるだろう。

2000年代前半、『X-MEN』と共にアメコミ映画という一ジャンルを映画界に築き上げたサム・ライミ版第1作目。その後2,3と続いていき、4の構想もあったものの、ライミ版は結局3部作という形に落ち着いた。大傑作と言われた2に続いて公開された3は、登場ヴィランが多く、また、ピーターとMJの関係性もご都合主義的な部分が目立ち、どこか取っ散らかっているような印象を受けた。

 

その後、『ダークナイト』や『アイアンマン』をはじめとするMCUの拡大に伴い、スパイダーマンの権利を保有していたSONYも新たなるスパイダーマン映画誕生に向けて動き出す。

そうして生まれたのが、アンドリュー・ガーフィールドを主演に据えた『アメイジングスパイダーマン』である。トビー・マグワイアとは違い、高身長な正統派イケメンによるスパイダーマン。ライミ版3作が神格化されすぎたこともあり、当時は受け入れられずにいたファンも多かったようだが、10年近く経過した今となっては、しっかり再評価されているように感じる。

 

アメイジングスパイダーマン2』は、ピーターの恋人であるグウェンの死、そして彼女の生前のスピーチを受けてどん底から這い上がり立ち直り、再びスパイダーマンとして戦う決意を決めるピーターのシーンで終わる。

ヴィランの動きから考えるに続編を作る気は満々で、何なら『シニスター・シックス』なるヴィラン軍団の映画すら視野に入れていたSONY。

しかし、同じ頃にMCUを盛り上げようと画策したディズニーが、スパイダーマンの映画化権に関してSONYと和解。

 

これにより絶対に不可能と思われていたスパイダーマンのMCU入りが果たされ、同時に『アメイジングスパイダーマン』シリーズは実質上の打ち切りとなってしまう。

アメイジングスパイダーマン2』で号泣した人間としては、この打ち切りのショックはなかなかに大きく、しばらくトム・ホランド演じるスパイダーマンを受け入れることすらできなかった。

 

スパイダーマン ホームカミング』の陽性のノリにどうしてもついていけず、MCUの衝撃的な展開に歓喜しつつも、心のどこかではアンドリュー演じるピーターの続きが観たいと、そんな気持ちを抱えてしまう二律背反。

 

当時高校生だった時、『アメイジングスパイダーマン2』を観て、ハリーが抱える孤独、エレクトロが感じた失望、そして何よりどん底から立ち上がるピーターの姿に勇気をもらえたからこそ、あの続きをMCUに奪われたことに納得がいかなかった。

 

だからこそ、この映画は自分にとって「救済」だったのである。

スパイダーマン3』で親友を失ったピーターと、『アメイジングスパイダーマン2』で恋人を失ったピーター。彼らの登場、そしてセリフや行動の一つ一つは、それぞれのスパイダーマン映画を愛するファンにとって、救済となったのだ。

 

メイおばさんを亡くし、失意に暮れる彼を支えるMJとネッド。そしてそこに合流する2人のピーター。共に大切な人を亡くした彼らの言葉は、MCUのピーターにとっても非常に重いものだった。

 

そこからの治療薬開発、怒涛のバトル。

この流れに感動しないものはいないはずだ。ライミ版からの20年という時の重みが、観ている人間を「生きててよかった」と思わせてくれる。

 

一つ一つ語っていてはキリがないので、敢えて二つだけ。

まずはこの映画で自分が最も感動したシーン。

それはやはり、ビルから落下したMJを、アンドリュー・ガーフィールド演じるピーター・パーカーが助けるシーン。

ヴィランの妨害により、トム・ホランドは間に合わなかったものの、すかさずそこに飛び込む彼の姿。そして抱きかかえた後に一瞬表情が涙ぐむ。

大切なグウェンを救えなかった彼が、今回はMJを見事に救うことができたのだ。

多分自分は、この映画のこのシーンを一生忘れないだろう。

あのシーンで覚えた感動と、一生向き合うことになると思う。

大好きなピーター・パーカーの心がようやく救われたシーンを、これからも胸に刻み付けることになるだろう。

 

そして、ピーターとグリーン・ゴブリンの最終決戦。メイおばさんを殺されたピーターの怒りは激しく、それはこれまでウェブやスーツをふんだんに用いて戦ったピーターが、敢えて肉弾戦でゴブリンに向き合っている演出からも、よく伝わってくる。

 

殺意にまで発展した彼の怒りを止めたのは、トビー・マグワイア演じるピーターだった。

思えばオズボーンの死は、ライミ版でピーターが常に抱え続けたトラウマでもある。オズボーンの死、実際には彼は攻撃を避けようとしてジャンプしたに過ぎないのだが、それでも親友であるハリーとの関係が大きく変わってしまう出来事だったのだ。

 

2でも3でもその後悔は色濃く描かれており、3でハリーが一時的に記憶を失った時、ピーターはどこかそれを喜んでいたのかもしれない。

そんな相手を殺してしまうことの重みを知る彼が、現代のピーターを止める。

これは言わば彼自身を救済することでもあり、非常に意味深なシーンでもあったと思う。

 

 

・大いなる力には、大いなる責任が伴う

スパイダーマン ホームカミング』公開時、ファンの間では「またベンおじさん死ぬのか」と、スパイダーマンの権利を巡る3度目のリブートを揶揄する声もあった。素直にアメイジングスパイダーマン続投でもいいだろうという意見もあり、自分もそう思っていた。

 

しかし結果的に『アメイジングスパイダーマン』とは異なる方向に舵を取り、アイアンマンを慕う陽性のスパイダーマンという新たなイメージを確立させた功績は大きい。ネッドやMJと共に脅威に立ち向かうその姿は、戦いの疲れの中で青春を共に過ごす仲間の存在をも強調していた。

 

ヴァルチャーとの戦いにおいて彼が人の死につい深く考えることはあったものの、それは過去2人のピーターに比べると明らかに薄いもの。

とはいえ、MCUというバリエーションの中では、それは些細な問題に過ぎなかった。

 

だが今作は、ようやくピーターが自分の力、そして責任と向き合うフェーズがやってくる。

正体が世界中にバレ、大切な人たちが危険に晒され、自分が原因で育ての親であるメイおばさんを失ってしまう。

ベンおじさんが存在するかすら怪しかったMCU版スパイダーマンだったが、なんと3作目にして、ライミ版やアメスパが1作目で取り扱った「大いなる力には、大いなる責任が伴う」をテーマとしたのだ。

 

完結編でありながら、究極の原点回帰とも呼べる『ノー・ウェイ・ホーム』。彼を支えるのは親友2人だけではなく、多くの戦いと喪失を経験した2人のピーター。

過去のキャラクターが登場して主人公を導いていく最高のパターンに加え、その2人のピーターまでもが、戦いの中で物語上の救済を受ける。

 

しかしそこはMCU。『エンドゲーム』でもそうだったように、決して話の軸を暗い方向に持っていかず、ピーター3人の自己紹介的な軽快な会話でテンポよく話が進んでいく。

その一つ一つは私たちファンが観てきた彼らの戦いの記録であり、喪失の記憶なのだ。もしまだ過去のスパイダーマンを観ていない方がいるのなら、今からでも観てほしい。それは『ノー・ウェイ・ホーム』の感動を、何倍にも押し上げるものであるはずだ。

 

 

・ノー・ウェイ・ホームの意味

ノー・ウェイ・ホームというサブタイトル。過去2作の「ホーム」とつくサブタイトルを受けたものの、「帰れない」という意味深なタイトルはどこか不穏な物語を連想させていた。

 

予告を観た限りだと、勝手に集合させられた故に行き場を失くしたヴィラン達を帰してあげようという意味なのかなと思っていたのだが…。

もちろん、それも含まれているだろうが、この「ノー・ウェイ・ホーム」には様々な意味が仕掛けられているように思う。

 

正体がバレ、これまでの日常に突如別れを告げることとなったピーター。

MCUの世界に参戦させられ、しかも戻れば死ぬ運命が決定づけられているヴィラン

心の拠り所であったメイおばさんを失った心境。

そして何より、自らの記憶を全人類から消し去り故郷を失くすという意味での「ノー・ウェイ・ホーム」。

 

ピーターが自分の記憶を全人類から消し去ったことには、映画化権のことも大きく影響しているのだろう。

とはいえ、新たに3部作を作る予定もあるようなので、その辺りはまた別の物語として期待したい。

 

別れの直前、自分のことを話して絶対に思い出してもらうからと約束するピーターとMJとネッド。

しかし、新たな世界でMJの頭の傷を確認し、自分の生きた証は確かにそこに存在していたことに気づく。メイおばさんを失った喪失感は、彼の心に孤独になる決意をもたらしたのだ。

子どもっぽいと揶揄されていた彼が、表面的な絆だけでなく自身の残した功績、そして力の意味を悟る…。これほどまでに美しい終わり方をしたMCU版スパイダーマンに今はとにかく感謝を送りたい。

 

言いたいことは尽きないが、どれだけ時間と言葉を費やしても足らないくらいの感動をくれた『ノー・ウェイ・ホーム』。

MCUの次回作は今回も登場したドクター・ストレンジの2作目ということで期待値も大きい。

ヴェノムも動き出し、SONY単独でのスパイダーマンの動きにも目が離せない。

にしてもピーターの正体を知っている者だけがやってきたはずなのに、何故ヴェノム達が巻き込まれたのか…。