映画『バジーノイズ』感想

 

「バジーノイズ」は日本語に訳すと「賑やかな騒音」になる。この映画は1人で音楽を作ることに没頭していた主人公の清澄が、潮という女性と出会い世界と繋がろうとしていく物語であり、それを端的に表した素敵なタイトルと言えるだろう。原作はビッグコミックスピリッツで連載されていたようだが未読。JO1のファンだと思しき女性客が多数を占める中での初日鑑賞になった。監督はドラマ『silent』の半分以上を手掛けた風間太樹。彼の映画作品を観るのは初めてだったが、『silent』にもあった切なくなる演出が随所に見られた。学生の物語ではないがどこまでも青く、青春映画のような煌めきに満ちている。ただ自分を喜ばせるためだけに作っていた、悪く言ってしまえば「独りよがり」な清澄の音楽が、いつの間にか人と繋がる手段になっていく。漫画が原作であることを強く想起させるような独特な演出やテンポ感の中で、清澄の心境の変化は真摯に描かれていた。

 

冒頭、潮が清澄の部屋の窓ガラスを粉々に割るシーン。おそらく漫画なら1ページもしくは見開きで描かれているのだろうと思わせるほど、衝撃的なシーンだった。ここから清澄と潮の物語が始まる、映画のスタートを告げる意味でもエンジンが掛かったというか勢いをつける力が込められていた。だが同時に、あまりに唐突だなあとも思ってしまったのだ。コマの大きさを自由に変えられる漫画ならばまだしも、映像で、まして実写でいきなり窓ガラスを粉々に割る女性というのはあまりに浮世離れしすぎている。それに至るプロセスも、下に住んでるのが管理人の清澄のはずなのに本人が知らんぷりをするから、という共感しづらいものだった。彼女の個性が一気に表出する場面であり、同時に清澄の人生が大きく変わる分岐点となるこのシーンが浮いてしまっているのは凄く勿体無いことだなあと思う。

 

そしてこのシーンに違和感を持ってしまったために、映画全体で潮が都合の良い女性にしか見えなかった。人との関りを拒む主人公をとにかく気にかけてくれる美少女がすごくオタク的というか…。フィクションだから別に構わないのだけれど、こんな子が現実にいるわけなくないか?と。何より、映像の質感がそれこそ本物っぽさを漂わせているリアル調の映画である分、その漫画的要素がすごく浮いて見えてしまっていたのである。一番残念だったのは、その潮の存在が最後までどういうものなのか分からない点。なお、原作では清澄と潮の関係はもっと恋愛的なものになっているらしい。しかし、映画では同棲や抱擁のシーンはあっても、その関係性はいつまでも明確にならない。清澄を支える人物だとは分かっているのだけれど、その曖昧さがどうしても違和感として残ってしまっていた。何より、録音や打ち合わせにも参加する彼女がただの動画撮影班なわけはないのに、そこに誰もがツッコまないというのがすごくズレているというか。陸が清澄に「潮のことどう思ってるの?」と訊くとかそういうワンシーンがあるだけでもいいのに、二人の関係性に外野が一切触れてこないのがちょっと奇妙に思えた。

 

もちろんこれには安易な恋愛映画だと捉えられたくないという気持ちもあるのかもしれない。現代社会を考えれば、恋愛関係と定義するより、互いを支え合うパートナーという関係性のほうが合っているとも言える。しかしそれならそもそも冒頭で潮と出会った清澄が、潮から彼氏の存在を聞かされてちょっと落ち込む…みたいなシーンは余計だったのではないだろうか。そのシーンがあるなら女性として見ていた彼女がいつしかかけがえのない相棒に変わる…という変化が必要だった。

 

何よりこの潮が浮いてしまっている問題が引き起こすのが、ラストへのそれこそ「ノイズ」なのである。この映画は音楽プロデューサーにこき使われ、作業所で黙々と作曲をするようになってしまった清澄を、潮・陸・航太郎の3人が救出することで幕を閉じる。そしてその救出劇で重要になってくるのが、清澄が3人にもたらした変化であり、清澄が3人にとってどういう存在だったのかという部分なのだが、潮に関してはそこがかなりぼかされているようにも思えた。とはいえ、航太郎に関してもほとんど描かれていなかったりと、その点はかなり勢いに任せているとも言えるのだが。窓ガラスを割るシーンが浮いていたせいで、それと重なる、部屋のドアを椅子で破壊しようとする潮のシーンにもうまく入り込めず。というかそこで「あのシーンと重ねてるんですよ~」と言わんばかりに窓ガラス破壊の回想を差し込むのはさすがに観客を信じてなさすぎるだろ…と思ってしまった。あそこまで構図が同じなら気付けるはずである。

 

と、色々文句のようになってしまったけれど、全体的な評価としては良作でした。理由は徹頭徹尾「漫画的」だったため。序盤はそれがノイズでもあったのだけれど、悪徳プロデューサーに監禁させられた主人公を関わった3人が救出に向かう…という囚われのお姫様的シナリオはすごく魅力的だった。映像の質感はリアルなのに、やっていることはかなりドラマチック。具体的には潮と陸と航太郎の3人が夜中に信号を渡るシーン。あの引きのシーンはすごく良かった。話しているうちに信号が赤になってもう一度ボタンを押さなくちゃいけなくなる点も含めて素晴らしかったのではないだろうか。潮と陸が、清澄を自分達が世に出したくせに清澄が他の誰かに渡ってしまうことへの嫉妬に耐えられなかったことを告白する。いつの間にかかけがえのない存在になれていたことは、独りよがりの音楽を作り続けてきた清澄にとって最高に嬉しいことだっただろう。何より、彼等が清澄を救おうとしていることも彼の意見を聞いたわけではなく、ただのエゴ、つまり独りよがりでしかない。しかしその思いが人の心を動かし、行動に繋がり、感動を呼ぶのだ。その前の航太郎と陸が清澄救出を決意するシーンで「一人足らねえだろ」と潮を探し始めるのも最高。かつて敵だったライバルを味方にするシーンみたいな味わい深さがあった。別に殴り合って戦うような敵がいるわけでもないし、実際には契約を切らせればクリアというすごく現実的な物語なのだけれど、そこに漫画的なヒロイックな要素が加わることで、王道の楽しみ方ができるようになっていた。むしろ結末を知って改めて観ると、その漫画らしさに序盤から感動できるのかもしれない。

 

そして映画を彩る音楽も素晴らしい。ついリズムを刻みたくなるような印象的だが優しい音楽。音楽映画としても申し分ない出来だったと言えるだろう。キャストの演技もかなり良く、陸を演じた柳俊太郎は色気が爆発しすぎていたほどである。あんなんに見初められたらそりゃあ清澄も慕うしかない。むしろ一度離れられたことがすごい。川西拓実の演技も、一人で俯き加減の時と誰かと音楽を奏でて楽しそうな時の振れ幅があった。清澄の周囲とうまくやれてなさそうな冷めたキャラクターを見事に表現していたように思う。

 

リアル調の作風で漫画的な物語をやるというのはすごく面白かったが、やはり若干浮いている部分はあった。何より、中途半端に恋愛映画っぽく描くくらいなら最初からそうでないと断わるようなセリフや描写が欲しかったし、その辺りの曖昧さは少し勿体なかったかもしれない。ただ、独りよがりの音楽を奏でていた清澄が誰かと繋がることの楽しさに目覚めていく物語という分かりやすいプロットは一貫しており、その点への真摯な姿勢は素晴らしかった。雰囲気だけが良い映画になりそうなところだが、ちゃんと中身でも心を打ってくる。