映画『水深ゼロメートルから』感想

 

演劇をほとんど観たことがないしまして高校演劇など全く知らない自分にとって、演劇の映画化はすごく複雑な気持ちになる。なぜなら原作を知らずに映画を観ていいのかという問題が常に付き纏うからだ。原作のある作品はなるべく原作から入りたい。しかし漫画や小説と違って演劇はすぐに手を出せるようなものではない。映像化されておらず現行で上演もされていなければ鑑賞は絶望的である。公演を1回観る金額も映画より遥かに高い。きっと何かきっかけがなければこれからも自分は演劇を鑑賞することはないのだろう。そういう意味で、映像化して媒体が変わってしまったものを観て素直に楽しんでいいのだろうかという気持ちがある。作り手はそんなことを考えていないかもしれないし、むしろ全国の映画館で上映されることでこの物語が広く伝わることをこそ望んでいるかもしれないけど、演劇だと観ないのに映画なら足を運ぶという感覚が、既に個人的に媒体ごと差別をしているような気持ちになってしまうのだ。だが、演劇を映像化した映画に強く感動した経験もある。『今度は愛妻家』がそれだった。観たのはサブスクでだが、あまりに泣き過ぎていちいち一時停止をしなくてはならないくらいだった。こんな経験は他にはないし、きっとこの作品が映画にならなければ自分はあの感動を知らないままだっただろう。

 

と、難しいことを書いてしまったのだけれど、結局は観に行った。年始の『カラオケ行こ!』の山下敦弘監督作品の余韻が続いていたというのもあるし、『リンダリンダリンダ』好きとしては山下監督の撮る女子高生の物語という符合を黙って見過ごすことはできなかった。肝心の映画だが、前半はかなり退屈。普通の女子高生の話が延々と続き、そこには起伏もなく驚きもなく、正直肩透かしの印象を受けてしまった。当時現役の高校生だった方の脚本ということもあって、登場人物達の悩みは等身大のものである。そんな等身大の会話を楽しめるという意味では悪くないのだけれど、あまりに普遍的すぎて、それこそ夕方のファミレスにいるような感覚だった。若者達の会話を盗み聞きしているような。

 

物語感の薄い言葉の応酬、舞台もほとんどが水のないプールで展開されて動きがない。こんなものなのか…とかなり退屈に感じていたのだけれど、終盤ココロとミクが互いの心情をぶつけ合うところで一気に映画に引き込まれた。そこまでの展開を退屈に思い、真面目に観ていなかったのが悔やまれるほどの強い感情のやり取り。おそらくスクールカーストも異なり、チヅルというムードメーカーの力もあって良くも悪くも無難な会話しかしていなかった2人が初めて意見をぶつけ合うのだ。校則違反のメイクをするココロは、女性として生きることを早くに覚悟し、その中で優位に立つためにとにかく美しくなろうとしていた。対するミクは幼い頃は阿波踊りの男踊りをできていたのに成長すると女踊りを強制されることに納得がいっていない。彼女は自分が生まれ持った女という属性に縛られることが嫌なのだ。

 

縛りの中で一番になろうとするココロと縛りからの解放を望むミクの対立は、現代社会の構図にも当てはまる。彼女達は彼女達なりに、社会の持つ不自由さを感じ、自分で行動しているという点には力強さが宿っていた。きっとこれから先も彼女達は女でいることを強制されていくだろう。それを認めるか認めないか。映画はそこに明確に答えを出さないが、この脚本を高校生の時点で書き上げた中田夢花さんが本当に凄い。等身大の高校生だからこそ出せるエネルギーと、学生に見合わない大人びた感覚が作中に同居しているのである。何より、男性部員で構成される野球部によって無自覚に砂で汚されたプールを掃除する構図が、男性優位の現代社会と重なるのが素晴らしい。どうやったら10代でこんなことを思いつけるのか。いや実際に何か経験があるのかもしれないけれど、それを物語に昇華していることがもう凄い。

 

男子だけがインターハイに行った水泳部で、負けたくないと思いながらも恋にうつつを抜かしてしまうチヅルの決意表明のシーンも良かった。野球部のグラウンドに砂を戻す。ただそれだけのことだし、周りからすれば酷く滑稽なのだけれど、彼女にとってはそれが大切な儀式なのだ。こういう「青春っぽい儀式」に自分は弱い。誰かが笑ったとしても、当人にとっては大きな意味のある行動なのだ。そしてラストシーン、突然の土砂降りの中、男踊りの構えを見せてエンドロールに突入する流れにはかなりやられた。か、かっこよすぎる…!あそこで踊り始めてももちろん良かったし、あの流れならミクが中断することはまずないのに、敢えて構えの時点で切る。チヅルに見せることすら恥ずかしがっていた彼女が、対立したココロの前で堂々と男踊りを踊るのだ。それは彼女にとっての決意表明であり、そして彼女の心を動かしたのはチヅルの行動やココロとの対立なのだろう。

 

終盤までの間延び感がどうしても否めず集中できていなかったのだけれど、そのセリフ1つ1つがラストに集約されていくような細かい感情や情報のやり取りがあったはず。自分はそれをいくつも取りこぼしてしまったかもしれない。ラストに爆発するタイプの映画なのでそれまでがやや退屈だが、もう一度じっくり観たくなるような素敵な作品だった。