映画『はい、泳げません』評価・ネタバレ感想! 過去と向き合い乗り越えることの意味を問う

はい、泳げません

 

『船を編む』でも脚本を務めた渡辺謙作監督の最新作は、泳げない男(長谷川博己)と泳ぐことしかできない女(綾瀬はるか)の希望と再生の物語。

『はい、泳げません』と堂々と自身の欠点を曝け出すタイトルとあらすじから、長谷川博己演じる主人公の小鳥遊が「泳げます」と言えるようになるまでの物語なんだろうなあと予想はついていた。小鳥遊と静香(綾瀬はるか)がぶつかり合いながらもお互いのトラウマを乗り越えていくようなコメディ調の作品なんだろうなあと高を括っていたので、物語の深度に思わず唸ってしまう。

 

実際には人間関係やバディものの趣は薄く、小鳥遊を軸に物語がどんどん進んでいく。彼が泳げるようになりたい理由、前に進みたい理由。それらが紐解かれ、それを乗り越えようと奮闘する彼の姿に、つい涙を流してしまうような。「泳ぐ」ことが主題であるのと関係しているのか、穏やかで水のように静かな映画だった。

 

月9ドラマ『デート』で初めて長谷川博己を知り、その後数々のドラマや映画での活躍を目にしてきたけれど、長谷川さんはやっぱりコメディ系の演技がとても巧い。観ていて引き込まれるというか、「この嫌がり方する人、身近にいる~」という妙な親近感が湧いてくる。加えて今作の小鳥遊は哲学者で理屈っぽい性格なので、『デート』が大好きな私としてはその当時と似たキャラクターに、どこか懐かしさを覚えていた。

 

前半はコメディチックで進行する本作。小鳥遊と共にスイミングスクールに通う4人の女性陣が素晴らしい。時に旦那の愚痴を、時にえぐい下ネタを交えつつ、決して小鳥遊を邪険に扱わない「良いおばさん」特有の性格。それぞれ体格や性格に個性もあり、この4人の会話を聞いているだけで楽しい。そこに偏屈物の小鳥遊が加わり、それらを暖かく見守るコーチの静香という構図で、もうすでに引き込まれてしまう。

 

すごいなと思ったのは「泳げないことを馬鹿にする」みたいな点が過度じゃないこと。トラウマを乗り越える系の物語だと、1人くらいはそのトラウマを雑にいじったりするキャラクターが出てくる。実際この映画でも、女性陣が小鳥遊のカナヅチをいじるシーンはあるし、元妻の麻生久美子がそれを馬鹿にするセリフもある。だが、そこに向き合おうとする姿勢は決して否定しない。親近感の湧く登場人物の割に、「人間が出来過ぎている…!」と驚かされる一面も。『ハリー・ポッター』でいうマルフォイみたいな嫌味なやつが出てきていれば、話は複雑になってしまっただろう。

 

つまりこの映画は、再生とそれに紐づいた希望の物語なのだ。どこまでも優しい登場人物に囲まれ、小鳥遊が過去を乗り越える物語。

登場人物が心優しい反面、小鳥遊にもたらされる現実は、酷なまでに非情である。

 

小鳥遊が何故水泳を始めたのかは、中盤まで全く明かされない。意味深な麻生久美子との関係と、シングルマザーへの仄かな好意、そして自宅の子ども部屋。コメディ調のストーリーにのせて、次々と伏線が張られていく。時系列をうろうろするシーンもあるので困惑するが、真相は至ってシンプルだった。

 

小鳥遊は川で溺れた一人息子を、泳ぐことができなかったために助けられず、それでいて自身は頭を打ち付けてその記憶を失ってしまっていたのだ。過去と向き合おうにもどうしていいか分からず、泣くこともできず、夫婦関係も崩壊。離婚にまで至った彼は、5年掛けてようやく大切な女性と出会う。彼女とその息子を守れるようになるために、小鳥遊はカナヅチを克服する道を選んだのだ。

 

きっと予告の明るさからこれを予想できた人は少ないだろう。実際観に来る人というのも、どちらかと言えばスポ根ものに近い作品を求めているのではないだろうか。だが、その予想や期待を大きく裏切る真相。それでも重苦しくなりすぎないのは、前半のコメディタッチでしっかりと明るい気持ちにさせてくれたことと、キャラクターの善性が大きく出ていたためであると思う。

 

分かりやすい悪など存在せず、自身のトラウマと向き合おうとする男の物語に徹する。そして、周囲の人物もそれをサポートする。理屈っぽく、泳ぎ方すら何かに例えたり一挙手一投足を理解しないと動けない小鳥遊のおかしさにいつの間にか気持ちをほだされ、そして彼の持つ深い悲しみに、観客は自然と溺れていくのだ。

 

泳ぎを覚えた彼は、過去と向き合うことで、自信を喪失してしまう。思い出せないもどかしさが、息子を失った苦しみに変わってしまい、愛した女性との未来すらも拒絶するようになる。そんな彼を救ったのは、交通事故に遭い一度未来への不安で押しつぶされそうになった経験のある、コーチの静香だった。「前へも後ろへもいけないなら、上に進むしかない」。彼女の言葉にようやく小鳥遊は涙することができるようになる。

彼女は交通事故というトラウマを克服できたわけではない。今でも車が怖く、車が横を通ると傘を差してバリアを張ってしまうのだ。変人そのもののその行動は、彼女がプールで見せる凛々しさとは真逆。しかしそれでも彼女は、「上へ」進むことができているのだろう。

 

彼女の言葉に後押しされ、小鳥遊はシングルマザーと一緒になることを決意。理容師である彼女に、「これからもずっと頭を洗ってもらえませんか」という必死のプロポーズが最高だった。そうして久々にスイミングスクールに現れた小鳥遊の「はい、泳げます」という言葉で映画は幕を下ろす。「この言葉が聞きたかった~!!!」という爽快感が突き抜けるエンディング。リトグリの爽やかな主題歌も良い。

 

理屈っぽく、実際に居たら絶対に面倒くさい小鳥遊を、誰一人邪険に扱わず、むしろ真正面からぶつかってくれる。彼の偏屈さを個性と受け取っている(というか無意識だろうが)キャラクター達を見ていると、自然と「向き合う」ことの大切さを意識させられる。

静香のような綺麗なコーチが、一生徒にあそこまでして尽くすことは、ほとんどないだろう。久々にスクールに戻った時に「きゃ~!」と出迎えてくれる4人の女性なんて存在しないはずだ。それでもささやかな会話や仕草が、彼女らに現実味をあたえてくれる。

 

「人は何故生きるのか」その問いは、「新しいことを知る」ためである。

未知へ飛び込み、行動に移すことが未来を切り開く。そして恐怖とは、これまで行動しなかったが故に「未知のまま」であることなのだ。恐怖と向き合うことで、人はどこまでも強くなれる。演者の見事なまでに自然なやり取りと、素朴だが印象的な演出の数々が胸を打つ、素晴らしい作品だった。

 

 

 

はい、泳げません (Yes, I Can't Swim) (Original Soundtrack)

はい、泳げません (Yes, I Can't Swim) (Original Soundtrack)

  • 「はい、泳げません」製作委員会
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