『仮面ライダーガッチャード』第1部感想 平成ライダーが目を背けてきた王道ヒーロー

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・はじめに

クリスマスイブの12月24日で第16話を迎えた『仮面ライダーガッチャード』。一言で言ってしまうと、本当に楽しい。シリーズはもうずっと追っているけれど、毎週こんなにも仮面ライダーを楽しみにできるのは本当に数年ぶりである。もちろん人によって好みはあるので「ガッチャードこそが大傑作!」とかそんなことを言うつもりはないのだけれど、ここ数年、特に令和ライダーの括りになって以降はモヤモヤしつつ自分を無理矢理納得させながら視聴することが多かったので、どうしてもこの明るく楽しいガッチャードの作風に惹かれてしまった。具体的に言うと平成ライダーで育った私は『仮面ライダージオウ』を毎週とても楽しみにしていて。過去作からのゲストの登場に胸を躍らせ、終盤ソウゴとゲイツとウォズの絆が結実していく様には思わず涙してしまった。もちろんその後も令和ライダー1作目の『ゼロワン』のインパクトの強いビジュアルに驚いたし、『セイバー』の多人数ライダーなのに最終的にほぼ全員が団結していくというストーリー作りにも目を瞠った。けれど、やはりどうにも展開の粗が気になってしまって物語にのめり込めず、同じ思いを抱く人をネットで探してしまうような4年間が続いていたのだ。

 

正直、『仮面ライダーガッチャード』も最初の1ヶ月は本当にキツかった。特に第1話。全く感情移入できない主人公がガッチャガッチャと騒ぎ立て、人命よりもケミーを優先する行動理念がヒーロー誕生譚として成立してしまうことに呆れ、「また1年ダメなのか…」と絶望したのを鮮明に覚えている。しかし、今では完全に掌を返し、何なら令和に突入してから一番楽しんでいる。この作品の持つ青春を地で行く突き抜けた明るさや、絶体絶命の危機とそこからの復活劇をしっかりと描くメリハリ。これは言わば、平成ライダー以降の仮面ライダーシリーズが最も忌み嫌っていた要素であり、乗り越えようとしていた「子供向け番組の王道」。『仮面ライダークウガ』はそれまでの特撮ヒーロー作品にはほとんどなかったリアル路線を組み込んだことで大成功し、続く『アギト』も登場人物達の心理描写やサスペンス的なドラマ展開に重きを置いていた。ライダーを序盤から3人出すというハジケっぷりを見せつけた次の年には、仮面ライダーを13人出して戦わせるというとんでもない要素をぶち込んでくるのが仮面ライダーシリーズなのだ。常に前年を超えなくてはならないという、インパクトを貪欲に求めてきたこのシリーズが、遂に一周して「子供向け番組の王道」に立ち返ったのである。ここまでくるのに『クウガ』から23年。チーフプロデューサーを初めて担当する湊Pのフレッシュさが、ここに来て痛快活劇としてうまくハマった形と言えるだろう。

 

もちろん「ガッチャード超面白いぜ!」を思う存分書き綴っていきたいのだけれど、その前にやはり、前提としてそれまでの令和ライダーに対する思いを述べていきたい。当然私の個人的な意見なのだが、多分自分が好きな作品がこういう風に言われるのはあまり気持ちの良いものではないと思うので、『ゼロワン』~『ギーツ』に強い思い入れのある方は読み飛ばしていただければ幸いである。

 

仮面ライダーゼロワン』は第1話のインパクトやAIに対してのそれぞれのキャラクターの立ち位置などが示された序盤などは非常に楽しんでいた。次々に登場するライダーの価値観がそれぞれ異なり、それは各組織の中でも時に対立することがある。次々に色々なお仕事ヒューマギアが出てくるのも面白かったのだが、年末放送辺りから雲行きが怪しくなってしまう。ザイアのお仕事五番勝負はスカッとしない展開が続きさすがに飽きていたし、その裏で進行する滅亡迅雷の復活や不破の過去の捏造などの問題にどんどんついていけなくなってしまった。「ヒューマギアは夢のマシン」という或人と「ヒューマギアは危険」という不破の対立構造に惹かれていた部分が強かったため、そこの根本が否定されることで一気に物語への熱が冷めてしまったのである。また、AIの扱いについても「ヒューマギアとうまく付き合っていこう」なのか、「ヒューマギアを生命体として認めよう」なのかハッキリせず、その曖昧さが目まぐるしく動く物語の足を引っ張ってしまっていたように思う。キャラクターの正義感や価値観を時に対立させ時に一致させる作風なのに、その根幹がグラグラと揺らいでいたことが残念でならない。

 

仮面ライダーセイバー』は初回からかなりガッカリした作品だった。私は第1話はどんな作品でも面白くなる(伏線とかも自由に張れるし王道をやっても面白いし)と思っていたのだが、『セイバー』によってその考えは破壊された。コロナの反動を大いに受けた恵まれない作品であったことは百も承知なのだが、それでも神山飛羽真という人物の価値観や良さが一切分からないままに、飛羽真が周囲からどんどん受け入れられていく展開には抵抗があった。しかし、『ゴースト』で高橋Pのファンにはなっていたので、物語の裏側に配置されている大きな構図に関してはかなり好き。『ギーツ』までの4作では最もお気に入りの作品である。ファンタジー色が強く、シリーズの中でもかなり個性的な作品だったし、ライダーがほぼ全員仲間になる、スーパー戦隊的な持ち味は独特ですごく良かった。ただ、どうにもその中心にいる飛羽真の心情を理解することが難しく、もっと単発回がたくさんあればなあ…と。好きな部類の作品ではある。

 

仮面ライダーバイス』は序盤こそ大二の持つ劣等感や一輝の無自覚に人を傷つけてしまうような危うさ、「家族」という言葉の持つ二面性に突っ込んでいくような作りを楽しんでいたものの、後半からはあまりにまとまりがなく、毎週かなり悪い楽しみ方をしてしまっていた。せっかく序盤から仕込んでいた謎も、「そんなわけなくない???」と思ってしまうほどに(一輝が写真から消えるとか特に)お粗末なオチがついてしまい、残念を通り越してゲラゲラ笑ってしまったのである。意外性という意味ではかなり面白かったのだが、ちょっと途中から真面目にやっているとは思えなくなってしまい、真面目に観ることもできなくなった。ただ、序盤の危うい感じとかはすごく好きだったので、詰めの甘い作品だったのかなあという印象である。詳しくはこちらの記事を。

 

curepretottoko.hatenablog.jp

 

 

仮面ライダーギーツ』はかなり挑戦的な作品であることは伝わってきたのだが、こちらの予想を常に裏切ろうという狙いが強く出すぎてしまったようにも思う。うまく言葉にできないのだが、「いつかこれがめちゃくちゃ面白くなるんだろうな」という思いを1年間ずっと持ち続けてしまったというか。爆発するような展開がなく、常に先の展開への仕込みを続けていたように思えてしまった。カタルシスよりもライブ感を優先していたのかもしれない。パンクジャックが出てきた辺りは楽しんでいたし、ジーン達未来組の介入もかなり好きだったのだが、これも『ゼロワン』と同じで話の矛先や前提がどうなっているのかを考えてしまった。もっと単純に、「俺達の願いを食い物にする未来人許さねえ!」という話なら単純だったのだけれど、「未来人のせいでこの世界は叶う願いの総量が決まってしまっている」という前提が全然呑み込めず。なんならその前提を受けてメインキャラがどう変わったかみたいなことがちゃんと描写されないのがちょっともどかしかった。物語自体はどんどん動いているのに、それに付随するキャラクターの変化や行動がちょっと雑に思えてしまったのである。

 

という具合に、私は『ゼロワン』から『ギーツ』までの令和ライダーにかなりモヤモヤしていた。消化試合というか、参考書を開くような重い気持ちで毎週視聴していたのかもしれない。誰かにネタバレされないよう、情報だけを抑えていくような視聴だった。しかし今、『ガッチャード』に関しては日曜日のリアルタイムが本当に楽しみになってきている。もちろん『ゼロワン』から変わらずライダーを楽しんでいる人もいるだろうし、逆に『ガッチャード』を全く楽しめていない人もいるだろう。ただこれはあくまで個人ブログなので私の感想を書かせてほしい。と前置きした上で、『ガッチャード』のここがすごい!ここが好き!という点をまとめていく。

 

 

 

 

平成ライダーが目を背けていた「王道ヒーロー」

前述の通り、平成ライダーは常に過去作のカウンターを行うことで新たな作品を創造していった。特撮ヒーローのお約束に理屈をつけていった『クウガ』。「ライダーは1人」という原則を序盤からぶち破った『アギト』。3人やったなら13人でもいいだろと開き直ったかのような『龍騎』。怪人みたいなライダーをやったんだからライダーみたいな怪人がいてもいいだろという『555』。当時はいつシリーズが終わるか分からないという意識もあってここまで奇抜な作品が続いたのだろうが、ある程度シリーズが安定してきても、仮面ライダーは常に挑戦を続けてきた。「2人で1人」の『仮面ライダーW』、フルーツモチーフの『仮面ライダー鎧武』、バイクではなく車に乗る『ドライブ』。もちろん24作もあれば各ライダーが始まった時に「前のあれと同じだね」みたいなことは起こり得るのだけれど、それでも各作品が独自の強みを持っているという、かなりとんでもないシリーズになっている。

 

しかし、そんな仮面ライダーが一切手を付けてこなかったものこそが、「王道ヒーロー」。それもそのはず、そもそも平成ライダーはこの「王道」へのカウンターとして生まれたのだ。常に捻り曲がり、歪なスタートから形を整えていったり時に大きく逸脱したりするその様を私たちは楽しんでいた。それは間口の広さであると共に、1作を好きだからと言って他の作品が好かれるか分からないという危険性をも孕んでいる。常に奇をてらってきたこのシリーズは、バリエーションがとにかく広いのだ。そんな中で『ガッチャード』は、これまでの作品にはなかった突き抜けた明るさで勝負を仕掛けてきた。正直、驚きである。これが自覚的なものなのかはよく分かっていない。雑誌等のインタビューに目を通してみても、湊Pは「ケミーを好きになってもらいたい」と作品の根幹にケミーがいることばかりを話しており、作劇について明確に「こうしたい」という意思を汲み取ることは難しかった。始まる前までは、「ケミー云々よりも作品の方向性を話してほしいんだけどな…」と思っていたのだが、実はこの「ケミー推し」の作風は、幼い頃に楽しんだキッズアニメの流れの延長線上にあったのだ。

 

作中独自のモンスターがいて、それを利用する悪い奴らがいて、モンスターと友だちになろうとする主人公がいる。そこに思惑や理屈は正直不要。キッズアニメの主人公とはそういうものなのだ。根っからの善。誰よりもそのモンスターを理解する。そしてその優しさに、モンスター達は主人公を慕うようになる。どの作品なんて名前は出さずとも、きっと子供の頃にこういった作品に触れた人は多いだろう。私は『妖逆門』を思い出した。王道ならやはり『ポケモン』や『デジモン』だと思う。スーパー戦隊ではこの手のモンスター的作劇がロボになる相棒として描かれたことも多いが、ライダーではまだあまりない手つき。『ドライブ』のシフトカーや『ゴースト』の偉人達が近いかもしれないが、それとはまた異なる直球のモンスターはやはり愛嬌を感じる。そんなキッズアニメの王道をいく『ガッチャード』は、その熱量も王道ヒーロー。主人公の前に悪い奴等が現れて、それをひたすら倒していく。ただ、その「王道」の純度の高さはここ数年の仮面ライダーに大いに欠けていたものと言えるだろう。序盤からスケールの大きな物語を展開してきたり縦軸をどんどん進めてきたりと忙しなかった仮面ライダーシリーズに、キッズアニメの見易さ、つまりは善悪という整備された構図がもたらされたのがとても良かった。また、間に挟まるケミー集めの眩しさも微笑ましい。

 

ライダーでは観たことがないが、ライダー以外ではどこかで観たことのあるような作り。その王道さに高校生のフレッシュさが加わって、ニチアサの中ではかなり独自性の強い作品となっているように思う。この手つきの仮面ライダー、逆に斬新だなあ、みたいな。斜め上をやろうとしなくても、ストレートに面白い作品をやるというだけでこんなにも楽しめるものなのかという発見があった。

 

 

 

 

・構図のシンプルさ

既に少し述べたが、王道路線を往く『ガッチャード』の勢力の構図は非常にシンプルである。錬金アカデミー側が善で、冥黒の三姉妹が悪。三姉妹が人を扇動し悪意を際立たせ、ケミーとの融合を促進することでマルガムを生み出す(場合によっては自分がマルガムになる)。それに対し、ケミー回収を目的とする錬金アカデミー側が対抗するという至極単純な構図なのだ。そう言うとかなりあっさりしているようにも思えてしまうが、ここ数年の仮面ライダー作品はこの善悪の対立という概念を何度も捻ったような形で出してきていた。それこそ『ゼロワン』はヒューマギアに対しての価値観の違いを、『ギーツ』もバトルロイヤルという形で善悪に分断できない、状況に振り回される人々を描いてきた。『セイバー』や『リバイス』の構造も決して単純ではなく、言わば「誰が味方で誰が敵なのか信用できない」作品が続いていたのである。もちろん状況によっては完全に敵味方が整理されている場合もあるが、基本的にはその二元論に偏らないよう、キャラクターの群像劇として物語を進めていく作品が多かった。

 

もちろん私も群像劇は好みだし、そういった作劇が面白さに繋がる要素ならばどんどんやってほしい。しかしここ数年は群像劇だけで物語が動く場合もあれば、デザイアグランプリなどの大きな流れに振り回されるようなことも多く、せっかく生んだ対立や葛藤がうまく機能していない場面も多く見られた。何より「今このキャラクターはどういう立場なんだっけ」というのを逐一確認しなくてはならない作劇は、視聴者にとってはかなり難しい。更に言うと、前回で解決したはずの葛藤や対立がまた勃発しているなんていう変なことも起きるのがここ数年の仮面ライダーだったのだ。そんな中で『ガッチャード』の構図は非常にシンプル。敵が出てきて、それを倒しケミーを回収する。もちろん錬金アカデミーも一枚岩ではなさそうだし、スパナが宝太郎に対して好意的かというとそんなことはないのだけれど、それでもこの善悪の構図は揺らぐことがない。令和ライダーに顕著だった「いつ誰が裏切るか分からない」という緊迫感は鳴りを潜め、徹底的に王道路線を突き進むこの作劇はかなり新鮮だった。塚田Pの『W』や『フォーゼ』がイメージとしては近いかもしれないが、この2作の特徴はそれぞれ探偵ものと学園ものという「箱庭感」、つまりは世界観の深みが物語の面白さに繋がっているため、『ガッチャード』の面白味とは少し異なっている。

 

また、構図から更に一歩進んで『ガッチャード』の素晴らしいところは、「絶体絶命のピンチをしっかりと描く」という点である。私がかなり好きなのが第12話「暴走ライナー!暗黒ライダー!」で錆丸が仮面ライダードレッドに変身させられてしまうシーン。きっと『ガッチャード』に魅せられた多くの方々が、このシーンの恐ろしさに心が震えたのではないだろうか。

ガッチャードは敵に敗れ、ヴァルバラドですら倒されてしまう。他の錬金術師では手も足も出せない。まして相手は仲間である錆丸。誰も成す術がないという地獄のような状況で物語は進んでいく。近年、ここまでピンチに陥ったヒーローもなかなかいないのではないだろうか。もちろんヒーローにピンチが訪れることはままあるのだけれど、あの流れで醸し出される絶望感は、タブレットを通じて錆丸の声が聞こえてくるという演出も相俟って、相当なものであった。この状況を打破できる策を心の底から求めてしまうような。そんな強い絶望感があったのだ。これは錆丸の夢を事前に強調していたこともあるし、それまでのエピソードでガッチャードの面々を好きになっていたこともある。この手の絶望は大体が敵の体力が尽きることで撤退して終わってしまうのだが、錆丸が無理矢理変身させられている以上、そうもいかない。何より、それまでのエピソードの暖かみから、ずっしりと重いシリアス展開をこなす振れ幅が、絶望感を際立たせている。しかし、そこは王道路線を往く『ガッチャード』。絶望感は充分なのに、きっと何らかの形で道を切り開いてくれるであろうという納得感と安心感に満ちているのだ。これが王道ヒーローか…と思わず唸ってしまった。第4話までがかなり駆け足な展開だったので不満もあったのだが、この第12話で完全に『ガッチャード』という番組を認めることになったのである。

 

話に関して言うのなら、やはりベテランの長谷川圭一さんが書くミニエピソードの話がとにかく素晴らしいので思わず引き込まれてしまう。京都編の加治木の片想いも本当に素晴らしかった。きっとないだろうけれど、加治木に仲間に加わって仮面ライダーになってほしいと思っている自分がいる。いやでも彼はあのポジションだからこそ面白いのかもしれない。長谷川さんは『W』や『ドライブ』、『ゴースト』、『セイバー』でも脚本を担当しており、特に前2作ではちょっとビターテイストな短編を書いていたので、この辺りの面白さに関してはかなり信頼している。しかし思わぬダークホースだったのがメインライターとして名を連ねている内田裕基さん。正直これまで内田さんの担当した回を楽しめたことはないのだが(短編をやるというより大きな流れの1エピソードや配信サービスの番外編を担当することが多かったせいもある)、第7話と第8話のサボニードルのエピソードがすごくよかった。『ガッチャード』は短編の良さでキャラの魅力をどんどん引き出してきているので、これからもできることなら大きな流れに呑まれることなく、ケミーを回収するなんてことのない単発回を続けてほしい。

 

 

 

・最後に

まとめてみると言った割に大したまとめはできていないのだが、とにかく今の『ガッチャード』は非常に面白い。ただ、令和ライダーは年明けから物語のトーンがガッツリ変わることも多いので(やたらと怪人=人間問題をやりたがる節がある)、できることならこのテイストやクオリティを維持してほしいなと思っている。しかし第16話…マジェードは出るのかなあなんてちょっとした予想をしていただけなのに、デイブレイクなんて凄いものが唐突に出てきて正体を引っ張り続けるので本当に度肝を抜かれてしまった。その上新しいキービジュアルの解禁。新しいガッチャードに仮面ライダーになったヴァルバラド、そしてスピンオフから仮面ライダーレジェンドが参戦。このリアルタイム感も仮面ライダーの醍醐味なので、こういう仕掛けが施されているのは素直に嬉しい。湊P、結構好きな手つきで物語を展開してくれるかもしれない。

もちろん序盤のキャラクター説明を全然せず物語をがつがつ進めていく感じとか、完璧な作品だとは言えないのだけれど、それでも愛嬌があって既に大好きになってしまっている。新キャラも登場してきたが、きっと短編の趣を崩さずこのまま進んでくれれば素晴らしい作品になるだろうし、逆にここから長編に突入しても面白くなるポテンシャルは充分にある作品だと思っているので、とにかく好きにやってほしい。

宝太郎が忘れている過去のケミーとの記憶、風雅の所在、新たな敵との戦いなどなど。熱い路線で残りの約8ヶ月も突き進んでいってくれればと思う。また区切りが良いところで感想を書いていきたい。