デジモンのアニメシリーズ3作目『デジモンテイマーズ』を観た。実はこの作品には昔からあまり興味が持てなくて、既に2周くらいはしてるはずなのだが、中盤以降の内容をほとんど記憶していないという状態。というよりも、いつも1話から観ようと試みて序盤の数話で脱落してしまうのだ。あんまり面白いと思えないというか…。ただある程度年齢を重ねて世間の評判を見てみるとかなり高評価であることが分かり、もう少し大人になればこの良さが分かるようになるのかななどと考えていた。確かに小さい頃から、前2作に比べてダークな世界観であることはなんとなく理解していて、そこについていけなかったという可能性もある。そして今、無印に02と続き、デジモンアニメシリーズ完走のためにこの『テイマーズ』にも手を伸ばしてみたのだが…。結果としては、ほとんど楽しむことができなかった。『02』から地続きで観ると色々と新たな試みが見られて、制作陣の気概こそ伝わってくるのだが、どうにも素直に楽しむことができない。もちろん駄作などというつもりはないし、実際多くのファンを魅了している作品であることは分かっているのだけれども、自分が『無印』と『02』に感じていた良さがことごとく消し飛んでしまったかのような寂しさを覚えた。と同時に、久々の完走でこの作品が自分にどうして合わなかったのかも、ある程度言葉にできるようになった気がする。端的に言うのなら、スケールの大きい強固な世界観に対して、主人公達が能動的に関わり変えていくことが極端に少なかったことが、自分がこの作品を楽しめなかった理由と言えるだろう。それらについて各クール毎に述べていきたい。
1クール目:序章
最初の1クールはかなりミステリアスな物語が展開される。これが『02』の次にはもう放送されていたと考えるとかなり奇妙。それまで2年間培ってきたパートナーデジモンとの絆や心の成長によって引き起こされるデジモンの進化など、デジモンならではの要素に対して強烈なカウンターをかましていく。これまでの選ばれし子ども達のパートナーデジモンは運命で定められていたが、テイマー達は自分とデジモンの関係に悩み続けるのだ。タカトは自分の考えたギルモンとのコミュニケーションに悩み、ジェンリャはパートナーのテリアモンが内に秘める暴力性に困惑し、強くなりたいと願うルキはなかなか進化しないレナモンに業を煮やす。更にはパートナーの存在しないクルモンや、パートナーとの関係がトラウマになってしまったインプモンなど。とにかく過去2作とはテイストの違った物語であることが強調される中で、山木など謎めいた人々の行動も描かれ、ストーリーの奥深さを味わうことができる。デジモンを倒してロードし、自分の力とするという設定も、基本的に襲い来るデジモンを撃退するだけの過去2作と比べるとかなりシリアスである。とてもシビアで、子ども達を主人公にした物語とは思えないほどに重苦しい雰囲気の物語だが、この1クール目はルキに時間をかけすぎているのではないかとも思う。主人公の3人は三者三様の悩みを抱えているものの、最も厄介なのがルキであった。彼女がレナモンをパートナーと認めるまでのストーリーが1クール目の大部分を占めていると言ってもいい。それは確かに過去2作で既に前提だった設定に敢えて踏み込むという意味では斬新だったのかもしれないが、ほのぼのとした雰囲気の回もある中で緩やかに展開されるメインストーリーとしては面白味に欠けるものだった。また、この辺りは個人差だと思うが、自分はギルモンのキャラクターにうざったさを感じてしまい、彼の空気の読めない言動にイライラすることも多かった。デジモンが人前に出てくると驚かれ怖がられるという世界で、平気で外をうろちょろしてしまう子どもっぽさを受け入れられなかったのだ。そう考えるとアグモンやブイモン達はかなり行儀が良かったのかもしれない。
また、メインキャラクターが絞られ、タカト・ジェンリャ・ルキの3人になったことで、過去2作にあった「度重なる進化回の熱量」も消え失せてしまった。単純に、初進化回の回数が減ったというのもある。また、パートナーが重要な決断をしたり誰かを守りたいと思うことで、デジモンが進化して強敵を倒す…という過去2作でお約束となっていた構図を素直に通すことをこの『テイマーズ』はよしとしない。まして作中では進化が必ずしも良いものだとはされておらず、ガルゴモンへの進化を止めようとしたり、進化後になかなか退化せず生活に苦労するシーンまで描かれている。設定としては斬新なのだが、それがカタルシスの欠如にも直結しているようで、いろいろと言いたくなってしまうのがこの第1クール。ただ、世界観の奥深さや「何か新しいものが始まる」というワクワク感はそれなりにある。そのためここで視聴を止めてしまうのは勿体無いというか、タカト達が日々の生活に悩んでいる中で、これから大きく物語が動いていくのだろうという予感を抱かせてくれるのは嬉しい。
第2クール:デーヴァ編
十二支をモチーフとし、確固たる意志を持って人類を脅かす強力なデジモン、デーヴァが東京各地に出没する。それらを撃退するためにタカト達が戦いに身を投じていくのがこのデーヴァ編である。デーヴァには「神」と崇める信仰対象が存在しており、彼等の信仰では人間とパートナー関係を構築するデジモンは悪と見做されるのだ。いやはや、何という小中千昭っぷり。デジタルな存在であるはずのデジモンが人間と同様に宗教観を持ち始め、更には人間と敵対するという魅力的なストーリーは、否が応でもテンションが上がる。これまでの選ばれし子ども達が戦ってきたのは言わば世界征服を企む直球の悪役。しかし今作は善悪二元論の枠組みを超越し、主張と主張のぶつかり合いに神話的な観点から切り込んでいくのである。1クール目で主要メンバー3人と3体の関係が一段落したところで、新たに物語が展開していくこの第2クールが、私としては最も面白い期間だった。
というのも、物語の構図が非常にシンプルなのである。デーヴァが襲って来て、それをタカト達が倒す。基本的に1話完結で観やすく、これは『無印』や『02』とも同じ構造。言わばデジモンの基本フォーマットに立ち返ったということになる。十二支というハッキリとしたモチーフが存在することで、次はどんな敵が出てくるのだろうという期待も膨らむし、それぞれの完全体への進化回もなかなかにアツい。しかも基本フォーマットを踏襲しながらも、マクラモンの暗躍や山木の心情の変化、インプモンの覚悟など、あらゆる物語がどんどん進んでいく。1クール目ではデジモンをロードすることの是非を問うていたためにカタルシスも弱かったが、デーヴァは倒すべき敵と認定され、比較的明朗快活な物語が展開されるのだ。この時期の『デジモンテイマーズ』は最も活き活きとしていた。同時に、やはり各エピソードで敵デジモンをしっかりと倒すということが、シリーズの面白味に繋がるのだなということも実感できた。
第3クール:デジタルワールド編
マクラモンに攫われたクルモンを取り返すために、タカト達はデジタルワールドへと向かう。『無印』では3クール目で現実世界に帰ってきたので、その逆パターンと言えるだろう。ただ、この第3クールはさすがに物語に綻びが見え始め、自分としてはかなりガッカリした時期だった。究極体への進化や新キャラの登場など、話題には事欠かない時期なのだけれど、どうにも気持ちがついていかない。まず、クルモンを取り返すためにデジタルワールドに行くということ自体にはてなが浮かんでしまうのである。
もちろんクルモンはタカト達と無関係ではない。ではないけれども、彼等が命を賭けて取り返しに行くほどの関係がそれまでの期間で描写されていただろうか…と首を傾げてしまう。たとえばこれが、クルモンが攫われたことでパートナーデジモンが消滅してしまうなどなら、パートナーとしての絆を描いてきた物語の展開として全然ありなのだが、クルモン単体でというのは少し違和感があった。かといって見捨てるほど遠い存在でもないが…。それこそ『無印』では8人目の保護と現実世界の救済という目的があり、それがそこまでに描かれてきた太一達の心情ときちんとリンクするものだった。更には、8人目を消されるとデジタルワールドを救えないという前提もあったため、太一達が動く必然性が生まれていたのだ。それを考えると、『テイマーズ』の彼等の動機はすごく安っぽく見えてしまうのである。クルモンに助けられたとか、クルモンがいて良かったとか、そういう直接的な描写が過去にあったわけでもないので。
デジタルワールドに行ってからのエピソードは、過去作を彷彿とさせるバラエティの豊かさでなかなか良かったと思う。早速ルキがタカト達と別れてしまい、しかもケンタとカズヒロと共に行動することになるというのが面白い。また、ケンタとカズヒロが加わったことでキャラクターや話にもバリエーションが生まれていた。ジェンリャの妹・シュウチョンがデーヴァの1体をパートナーにするというのも、2クール目を楽しんだ人間としてとても感慨深い。
しかし、問題は3クール目最大の見せ場である、デュークモンの登場である。主人公の究極体進化、それも人間とデジモンが一つになるという斬新な試み。しかも敵は強さを追い求めた先でデーヴァの手先となったインプモンの進化系、ベルゼブモン。このデザインも最高にクールで、かつて共に遊んだ2人が死闘を繰り広げるという、設定だけなら本当にこれ以上ないというくらい極限の見せ場である。だが、正直全く意味が分からなかった。話のベクトルが様々な方向に向かってしまい、結局このバトルのゴールはどこだったのか、今でも分からない。
この辺りの流れを整理してみたい。まずインプモンは、パートナーの姉弟の遠慮のない無邪気さに恐怖を抱いてしまい、それ以来人間を信じられなくなってしまった。そのため、パートナーが実質存在するにも関わらず彼は進化することができず、弱いままである。だが、インプモンは誰よりも力に固執しており、パートナーの存在抜きに強くなる方法を探し求めていた。そこでデーヴァと契約し、究極体のベルゼブモンに進化する力を与えられる。その代償として、ギルモン達を葬ることを求められ、手始めにジュリのパートナーであるレオモンをロードした。
正直、パートナーに嫌われたわけでもなく、単に子どもの無邪気さに怯えてしまったという部分があまり飲み込めないのだけれど、ここは以前から語られている部分なのでもう仕方ない。個人的には悪いパートナーに利用されていたとか、それこそルキのような力に固執する人間に弱いと見限られたとかのほうが人間不信に陥るのがスムーズだと思うのだが…。とにかく、ベルゼブモンは力に固執し、ギルモンの敵になってしまったというわけである。もう進化できたんだから別にギルモン達を倒す理由もないと思ったが、そこはやはりパートナーを通して進化する彼等への憎しみが大きかったのだろう。
そしてベルゼブモンによってレオモンが命を落とす。パートナーデジモンの死という、前代未聞のとんでもない出来事が起こる。過去2作では負けてもデジタマに戻ったが、この作品はあっさりと現実を突きつけてくる。失った命はもう戻らないのだ。そして、それを見たジュリの悲しみが、タカトの怒りに直結する。憎悪を激らせたタカトによって、ギルモンはメギドラモンという邪悪な究極体へと進化してしまうのだ。いや、ちょっと待ってほしい。確かにスカルグレイモン然り、間違った進化というのは燃える展開ではあるのだけれど、この作品はその流れに移行できるような前フリをしていただろうか。究極体への進化が安易ではないとか、正しい心で進化しないとねとか、そういうちゃんとした前フリもなしに、いきなりメギドラモンが登場するのだ。確かにジュリが悲しむのも分かるし、それを見てタカトが怒るのも分かる。けれど、そこからシームレスに暴走してタカトとギルモンの絆に立ち返る作劇は、ちょっとあまりに暴力的すぎやしないだろうか。何より、悲しみを抱えたジュリは一体どうなるのか。もちろんその後の展開を知っているから安易にジュリを立ち直らせることができないというのは分かるけれども、だとしてもジュリきっかけでスタートしたこの流れで、タカトがギルモンのケアに時間を割かなければいけないというのは、何とももどかしい。先にジュリとのことを解決してくれよ、と思ってしまう。
そして絆を再確認したタカトとギルモンは1つとなり、デュークモンへ究極進化する。ううむ…。本来番組最大レベルの見せ場のはずなのに、全く気持ちがついていかない。大体、かつての友と戦うという因縁も、弱まってしまっている。インプモンと戦うことが正解なのかという問いと、パートナーを失ったジュリの悲しみ、そしてタカトの反省、さらにはギルモンとの関係性、人間とデジモンが共に戦うということ。あまりに多くのものが乗っかりすぎている上に、結局デュークモンになってベルゼブモンを倒す!という理屈を取っ払ってしまったかのような結論の出し方をされ、最早ついていくことは不可能だった。逆に言うと、この辺りから「テイマーズってそんなに肩肘張って観るものでもないかもな」と気楽になれた気もする。
また、この第3クールで唐突に登場したリョウも、存在感は抜群なのに背景が一切語られないのがすごい。元々ゲームに登場していたキャラのようなのだが、スポット的に登場して事態をあっさりと解決してしまうのはあまりにジャスティスが過ぎる。リョウの姿勢を見て誰かが自分の行いを改めるとかそういう回があってもいい気もするが、ルキやカズヒロとの掛け合いにばかり用いられ、キャラクター性がかなり希薄だったように思う。
そして、ベルゼブモンを撃退していよいよデーヴァの崇める神と対峙するテイマー達。四神モチーフの四聖獣というのは、当時子どもながらに心を掴まれた記憶がある。その朱雀担当がスーツェーモン。人間を忌み嫌い、テイマー達とも敵対する存在。デーヴァがタカト達を襲うのも、このスーツェーモンの影響が大きいのだろう。そんなスーツェーモンに対して、テリアモンとジェンリャが究極進化を果たし、セントガルゴモンとして戦いに挑む。え、神に!?と思ったのも束の間、一度勝ってしまうのだから驚きである。だが結局倒すことはできず、青龍モチーフのチンロンモンの仲介によって何とか事なきを得る形に。これも正直どうなんだろうか。せっかくの究極体なのに初登場で敵の撃破すらできないとは…。その次のサクヤモンの初進化も、包んだものを消滅させてしまう泡状態のデ・リーパーから逃げるためだけに使われて、クライマックスも近いというのにかなり視聴モチベーションが下がる。
何より、第1クールから常に強調されていた「人間とデジモンのパートナー関係への懐疑的な目線」という部分がこんなにおざなりな形で終わってしまったのが本当に惜しい。結局タカト達が神の意思を変えたとかそういうことは一切なく、スーツェーモンを説得したのは同じ神であるチンロンモンで、最終的な納得もデ・リーパーが猛威を振るったことでそうせざるを得ない状況に陥ったために起きてしまった。ここまでのタカト達の旅はなんだったのか…。しかも「クルモンを取り返す」という目的からもかなりかけ離れてきてしまっている。あっさりとクルモンと再会したところで、本当に唖然としてしまった。
クルモンこそ取り戻せたものの、デ・リーパーの登場によって神との戦いは全て有耶無耶になり、しかもテイマー達は大人の力を借りて現実世界に帰還する。ここも自力でやってほしいというか…。過去2作に比べて大人の介入してくる割合がかなり高く、そこは子ども任せにしないという意味で素直に評価できる部分なのだけれど、一方の子ども達が自力で状況を改善するということがほとんどないのはいただけない。タカト達は言い出しっぺである上に大人達に反発してまで自分の意思を貫こうとしたのに、結局大人の力を借りるのだ。これはタカト達が悪いというよりは、脚本の視点として、もっとテイマーが主導で物語を進めてもよかったのではないかと思う。
それと現実世界に帰る流れで、インプモンを探しに行くのがルキとレナモンなのも違和感。いやそこは死闘を繰り広げたギルモンとタカトが行くべきなのでは。確かにジェンリャ達よりは関係性が濃いものの、ルキとインプモン!?という組み合わせに驚いてしまった。そんなにインプモンを救いたいみたいなことも言ってなかっただろうに。
第4クール:デ・リーパー編
現実世界に帰ってきたタカト達だったが、時を同じくしてデジタルワールドと同様に、こちらにもデ・リーパーの魔の手が忍び寄る。いや忍び寄るどころか都庁を不気味なフィールドで覆っているのだけれども。この最終クールではデ・リーパーとの戦いが描かれるが、正直かなりキツかった。デ・リーパーは一塊の敵であるため、毎話敵を撃破するカタルシスは全くなく、テイマー達よりも大人達のほうが積極的に行動し、舞台もほとんど変わらない。人間とデジモンが和解を果たした後に、共通の敵に立ち向かうと言えば聞こえはいいが、メンツはいつものメンバーなのでそういった新鮮味はない。ただ、とにかく不気味なデ・リーパーの設定はすごく斬新で、何より帰還したジュリがとにかく怪しい最終クール序盤は、そのホラー演出だけでモチベーションを維持できるくらいに恐ろしい。トラウマ回などというチープな表現では太刀打ちできないほどに、子供向けアニメとは思えない異常な描写が続いていく。ホラー好きとして、この手つきは脚本も演出もかなり楽しめた。その分、物語がもっと面白ければなあと常に考えてしまうのだ。電車の中で薄く笑って動かないジュリ、夜中に観たら泣いていたかもしれない。しかもレオモンを失った悲しみでおかしくなってしまったとテイマー達が解釈してるのも上手い。安易に触れられない精神状態、という立ち位置になっており、その正体が不気味な怪物の擬態というのもかなり唆られる設定だ。
というようにホラー描写が際立っている最終クールだが、前述したように物語としてはかなりつまらない。無機質なデザインのデ・リーパーにはデジモンほどのバリエーションもなく、最終決戦ということで話の連続性も高いため、各エピソードの面白味もあまりない。とはいえ、縦軸はぐんぐん進んでいく。それもタカト達の意思を無視してとにかくデ・リーパーが膨張し、山木達が対抗しているだけなのだけれども。
終盤に来てベルゼブモンの復活という大きなイベントがあるが、これもかなり酷かった。アイとマコトに再会し、彼等のパートナーとして復活を果たすベルゼブモン。新宿で膨張するデ・リーパーのことを知り、パワーアップしてタカト達の元へ駆けつける。これは正直よかったと思う。アイとマコトがそもそも悪意を持っていたわけではないので仲直りも何もないのだが、自分を想ってくれていたということを知りインプモンが立ち直る展開は悪くなかった。しかし、いざデ・リーパーとの戦いになると途端に意味不明になる。状況としては囚われたジュリを全員で助け出そうという流れになっており、ベルゼブモンの火力でジュリのすぐ近くまでたどり着くことに成功。この辺りですでに「俺が助けるんだ!!」みたいなことを言っているのだが、それがそもそも変。レオモンを葬ってしまったことでジュリに対して負い目を感じているのは分かるのだけれど、最終的にやるべきことはジュリに直接謝ることではないだろうか。それなのに「助けてやるぜ!」なスタンスなのがだいぶキツい。お前が始めた物語だが!?とつっこんでしまう。そもそもジュリの心情からすれば、自分のパートナーを殺した相手に助けてほしいわけがない。お互いにそれ以降の接触はないため、ベルゼブモンは自分勝手な理屈でジュリを救おうとし、彼女の心に全く寄り添えていない。加害者の自分が彼女の前に現れたらどうなるかということが想像できていないのだ。もちろんベルゼブモンは子どもじみたインプモンの進化体なので、考えが甘いというのならまだ分かる。しかしタカト達もそれを止めることはせず、突如現れて味方してくれるベルゼブモンがヒーローのように扱われているのがよく分からない。お前は一番ジュリの前に出てきちゃいけない存在のはずだが…。もしこれが、タカト達がジュリ救出まであと一歩という段階に来ていて、その後押しをベルゼブモンが密やかに行う、という流れなら分かる。「あいつに顔向けできねえ…」的なことを言うなら分かるし、個人的にはそれがセオリーだと思う。それなのに本編では「俺が助けてやるぜ!待ってろよ!」とヒーロー気取りで、誰一人彼を止めようとしないのだ。何ならレオモンの必殺技である獣王拳まで繰り出す始末。案の定、ジュリの精神状態は更に悪化し、結局彼女を救うことはできないまま、ベルゼブモンは致命傷を負う。いやマジでなんだったんだ…。せっかく人間との絆を認められたのに、どうして人の気持ちを汲めないヤバいやつに成り下がってしまったのか。これならまだジュリを助け出せた方がマシである。ジュリが最終的に彼を拒絶するのなら、タカト達にもその危機感を待ってもらいたかった。タカトはジュリのことが好きなのだし。
そこから先も最終回までずっとジュリを救う流れが続いていく。デ・リーパーに精神を分析されトレースされたという意味では重要人物なのだが、実はここも、彼女を救い出すこととデ・リーパーを倒すことが結びついていない。ジュリを助け出せたとしてもデ・リーパーを倒すことにはならないのだ。普通ここは彼女を救い出せば弱体化するから勝機が見出せるとか、そういう流れじゃないのか。それに加えて、デ・リーパーの出来ることや弱点が明確にされていないため、タカト達が何故勝てないのかという理由がきちんと存在していない。ただ、強いのだ。それに対して特に策のないまま毎回つっこみ、中途半端に戦って帰ってくる。終盤はこれが繰り返され、正気を疑ってしまった。デ・リーパーにはデジモンの攻撃が通用しないが、人間とデジモンが融合した究極体なら攻撃が効く、しかしジュリが中にいるために安易に攻撃はできない、一刻も早くジュリを助け出そう、とかそういう理屈や制限があれば良かったのにと心底思う。何となく戦ってとりあえずその場を凌ぎ、ジュリはずっと囚われているラスト数話。本当に意味が分からなかった。しかも最終決戦ですら大人達の行動が鍵となる。テリアモンにインストールされたデータによってデ・リーパーを撃退することが可能だと突然設定が湧き、4クール目を丸々使って戦っていたデ・リーパーを、セントガルゴモンが猛スピードでくるくる回転するだけで退けることができてしまう。デ・リーパーが消えれば当然ジュリは助かる。しかもこの時点で、精神が不安定だったジュリは自力で立ち直っている。いやタカト、お前主人公だろ…とつっこみたくなるが、状況はそのまま流れていき、唐突にデジモン達との別れが訪れる。これは大人達も予期していたことらしいのだが、ラスト10分でこんなに急に別れがきても、全く感動できない。それらしい別れの言葉も言えず、見たことのない幼年期の姿のデジモン達が宙へと消えていく。何の感情も込み上げない。
総括
世界観の奥深さは随一だし、不穏な陰が暗躍していて物語の輪郭がハッキリとしない序盤は、そのミステリアスさに興味を惹かれていた。2クール目でデーヴァとの戦いに突入すると、往年のデジモン観が再臨し、街中でのバトルはさながら怪獣映画のようなスケール感があって興奮できた。しかしデジタルワールドに入って以降はまるでついていくことができない。キャラクターが向かうべきゴールが曖昧になり、物語の目標設定が明確でなくなっていくのだ。敵対していた人間とデジモンが手を取り合い、新たな敵に立ち向かう物語と言えば聞こえはいいが、主要メンバーはそもそも仲良しなので1年を掛けるほどのカタルシスはない。何より、奥深い世界観の中でタカト達の物語が置き去りにされているのが辛かった。彼等は物語の中で何度も決意を強いられているのに、そのゴールはいつもごまかされる。神との決着をつけるでもなく、デ・リーパーを自分達の力で倒すでもなく、囚われのジュリに手を差し伸べることもしない。彼のどこが主人公なのだろう。やりたいことの1つ1つはよく分かるし、物語としてかなり興味を唆るのだが、その構成がちぐはぐだった印象を受けてしまった。