エイリアンシリーズはナンバリングタイトルの4まで少しずつジャンルをずらして独自性を保っていた。だからこそどれも似通った作品にはならず、各作品にしかないインパクトがある。1作目の前日譚をリドリー・スコット自ら手掛けた『プロメテウス』と『エイリアン:コヴェナント』は人類やエイリアンの起源を探る方向性に進んでいき、これまでとは別のアプローチでシリーズの世界観を押し拡げていった。そして最新作『エイリアン:ロムルス』。監督は『ドント・ブリーズ』が有名なフェデ・アルバレスだが、この男がとてつもないエイリアンギークだったことは、映画を観れば一目瞭然。過去作を彷彿とさせるシーンに溢れ、しかもVFXが主流の今の時代にほとんどをアナログでこなすという並外れたこだわりを持っている。それでいてオリジナリティに富んだSF的スリルのある展開もふんだんに盛り込まれており、エイリアンの新作、そして1と2の間の物語としてこれ以上ないというほどの珠玉の出来だった。
これまでのエイリアンシリーズでは立場のある大人達がメインで物語を進めていくが(3では例外的に囚人)、今作は明るい未来を夢見る若者達の物語になっている。アンドロイドの弟・アンディと共に日が昇らない惑星から抜け出そうとしていたレインは、終わったはずのノルマが追加され、惑星脱出が更に数年後に延びたことで途方に暮れる。そんな時に元カレ達から呼び出され、宇宙に漂う廃船・ロムルス号で新天地を目指さないかと誘われる。ロムルスの操縦には同じユタニ社製のアンディが必要だった。レインは当初こそ違法なやり方に反対するが、これ以上今の惑星に留まることはできないと考え、彼等についていくことに。しかしロムルス号には大量のエイリアンが潜んでいた…という筋書き。
宇宙船の乗組員や軍人といったプロではなく、未熟な若者達の物語というプロットが斬新だった。中には妊娠している女性もいるなど、序盤から既に不穏な空気は漂っており、丁寧な話運びも印象的。シリーズでは人命よりもエイリアンの確保を優先することが多く、うんざりするような行動ばかりだったアンドロイドが、今作では旧式ということもあって、子どもたちにボコボコにされるようなポンコツなのも面白い。しかし船内で新型とカートリッジを取り替えると、途端にいつものアンドロイドに。この一人二役的な役どころの変貌ぶりが素晴らしく、彼の変化が彼を弟と呼んで一緒に過ごしてきたレインの心情の変化にも繋がっている。アンディを生きた人間のように扱うレインの優しさは、あらゆるシーンで観ている者の心を打つのだ。
映画が始まってすぐ、私の胸が高鳴ったのは、1作目で印象的だったあの古めかしいコンピュータが再現されたのを見た時である。20年代のSF映画ではまず出てこない代物だが、この映画は1作目と2作目の間の物語。ならばとアルバレス監督は1作目と地続きであることを意識させるために、あらゆる細部にこだわりを見せる。そして何より彼がこだわったのが、VFXに頼らない画面作りである。観ている時は「初代に寄せた作りにしているなあ」と軽く考えていたのだが、パンフレットを読んでその並々ならぬこだわりに気づいた。大量のフェイスハガーにレイン達が追われるシーンさえも、ラジコンのフェイスハガーを複数人で動かしていたらしい。絶対VFXだと思っていたのに…現代のハリウッド映画でこんなことができるのかと鳥肌が立った。思えば、そもそも船内の作りが凄まじい。狂気すら感じる奥行きのあるロムルス号は、映画の魅力にかなり寄与していたと言えるだろう。船内のボタンがどれも本当に押せたり光ったりするように作ったというのもあまりにすごいエピソードである。VFXが悪いとは言わないが、VFXに頼り切った映画が溢れかえった現代で、まさかこんなにアナログな作りを見せてくれるだなんて…。思えば1作目の『エイリアン』も、70年代ということでそもそもVFXが使われるはずがないのだが、アナログ的な作りに恐怖を掻き立てられる作品だった。究極かつ魅力的なエイリアンの生態を手弁当感のある作り物で演出することで、リアルさが際立ち恐怖は何倍にも増していく。キャラクターが感じる痛みやエイリアンの生物的な気持ち悪さは、やはりVFXよりも手作りのほうが強調できるのだろう。神は細部に宿るというが、ここまで徹底的に舞台を作り込んだアルバレス監督を最新作に起用してくれたことに感謝したい。
そして、監督自ら手掛けた脚本も驚きに富んだ内容で凄まじい面白さだった。人間とユタニ製アンドロイドの確執はこれまでのシリーズでも描かれていたが、アンディの二面性によって過去作とはまた違ったオリジナリティが生まれている。フェイスハガーとチェストバスターを丁寧に描くシーンは1作目を彷彿とさせるが、大量のゼノモーフが狭い通路を駆ける2作目のオマージュ的シーンもあり、を妊娠してしまう3作目的展開、そして4作目のリプリークローンの子どもを思わせる人型エイリアンなど、過去作の要素を緻密に拾い上げて完成していく物語は、それだけで充分な推進力がある。しかし観客をワクワクさせるような新たな面白さも有しているのだ。例えば大量のフェイスハガー。中盤では彼等が体温と音で標的をマークしていることに気付き、室温を上げた後で音を立てないように通路を抜けるという、正に『ドント・ブリーズ』な映像まで拝むことができる。ここに限らず、全体的にその場でのミッションと危険性がしっかり説明されながら話が進んでいくため、ゲーム的な感覚で絶え間なくドキドキハラハラすることができる。あまりにも練られすぎた脚本である。
私が一番好きなシーンは終盤、大量のゼノモーフに挑む場面。いきなり出てきたかっこよすぎる自動照準のライフルでバンバン敵を撃ちまくるシークエンスはあまりの面白さにクラクラしてしまった。エイリアンの血液が酸だから、撃ち殺せば酸が飛び散ってロムルス号に穴が空いてしまうという状況への打開策が無重力空間を作り出すというのも見事。その気付きをレインにもたらすのが父親から受け継いだ弟アンディのジョークというのも素晴らしい。そしてゼノモーフを殲滅した後にも、無重力状態でふわふわと宙を舞う大量の酸を避けて進んでいかなければならないというおまけミッション付き。私は『エイリアン2』を初めて観た時、その展開の美しさ(白眉はラストのパワーローダー)に息を呑んだのだが、『ロムルス』にも興奮に満ちた展開が山ほどあり、あの興奮と同じものを味わえたように思う。次から次へと襲い来る絶望的なピンチに、どんどん打開策を打っていくスピード感。エイリアンの新作である以上に、そもそも映画としての面白さが圧倒的なのだ。そしてラスト、エイリアンを倒して全てが終わったと思いきや…な展開も正に『エイリアン』。レインが宇宙服を着るシーンは、あからさま過ぎて笑ってしまった(1作目では身を隠すためで、今作は温度の低下から身を守るためという違いはあるが)。
『ドント・ブリーズ』が盲目の元軍人の家に侵入して命の危機に晒される若者達の映画だったことを思うと、アルバレス監督が『ロムルス』を撮影し見事な作品を生み出すのは必然だったのかもしれない。エイリアンシリーズに新たな傑作が生まれてしまったと言えるのではないだろうか。1作目だけでなくシリーズへのリスペクトに満ちた素晴らしい新作だった。