1章、2章はまだ序盤のため巻き返せたが、第3章でこのレベルということは当初からこの路線をtri.は突き進むつもりだったのだろう。私は第2章で愛想を尽かしてしまったため、公開当時この第3章以降は観ていない。自分がお金を払いたいと思える作品ではなく、楽しみにしていた続編は自分の中で実質「なかったこと」になった。その後最終章まで一気に鑑賞したが、その分記憶は薄れてきており、今回改めて観るといろいろと気付きが多いことに驚く。その気付きがどちらかといえば「粗」なのが悲しいところだが…。
今回はテントモンが究極進化を果たし、ヘラクルカブテリモンに。しかし、2体の究極進化へと全体の流れが向かっていった2章に対し、今作はかなり唐突で、ああだこうだとつい文句をつけてしまいそうになる出来。2章の究極進化への流れもだいぶ雑だったが、今回と比べるとまだマシなレベルと言えるかもしれない。何より、前回で2体が進化したのに今作は1体だけというのは露骨にキャラクターの扱いに差が出ているようで悲しい(4章まで2体ずつ進化するものだと自分がそもそも勘違いしていたのもある…)。
順を追って話していきたい。
まず前作から引き継がれた要素は、メイクーモンの感染とそれによるレオモンの消滅、そしてデジモンカイザーの暗躍である。1章でクローズアップされた、太一の戦いへの恐怖心のことは一旦忘れたほうがいいのだろう。1章であれだけ時間を割いておきながら、3章ではほぼ触れられなかった。もちろん、今回の話の流れが太一達が敵デジモンを食い止めるために戦うという向きになっていないのも要因だろうが。また、レオモンの消滅に関してもほぼスルー。これがかなりキツい。パートナーデジモンでこそないものの、レオモンは子ども達にとって大切な仲間であったはず。だからこそ、彼が消されてしまう展開を、衝撃を与えられるイベントとして2章ラストに配置したのだろう。そう、スタッフはレオモンの価値を理解しているはずなのだ。それなのに、子ども達はレオモンのことを一切気にしない。それがメイクーモンの感染を自分のせいだと嘆く芽心への配慮だとするのは早計に思える。それならばそういう描写(たとえばミミがレオモン消滅に涙を流してしまうが、空が芽心を気遣い空気を読んで彼女を止めるなど)があるはずだ。やらなかったのは単純に、製作陣の配慮が行き届かなかっただけのように思えてしまう。私達観客にとってはtri.の新キャラよりも冒険に関わったレオモンのほうが思い入れが深いため、この扱いの差は非常に残念。また、デジモンカイザーについてもヤマトが姫川に賢の行方を尋ねるだけというお粗末さ。太一達にとっては大切な仲間であるはずなのに、これで賢に関しての彼等の心配をカバーしたつもりなのか…と怒りさえ湧き上がる。しかも実際には太一達以外の選ばれし子ども達は消息不明になっているらしい。そんな恐ろしいことが起きているというのに、あの光子郎が全く気付かないのも不自然。せめて大輔達に直接連絡する描写があれば…。
ということで、今回は残りの要素「メイクーモンの感染」がクローズアップされる形。実はメイクーモンは以前から感染しており、芽心はそれを知っていた。そしてメイクーモンこそが、デジモン感染の元凶だったのである。更にパタモンを皮切りに主要デジモン達も次々と感染していき、それを自覚したデジモン達のパートナーとの切ないやり取り、そして、感染デジモンによる被害を食い止める唯一の方法であり、同時にデジタルワールドをリセットしデジモン達の記憶を消去してしまうリブートを決行するか否かの判断を、子ども達は迫られることになる。「感染」というワードがそもそもまんまだが、ゾンビ映画のような「感染していることを隠す」展開も入っており、何より別れ(正確には記憶消去)を覚悟したパートナーデジモン達と子ども達とのやり取りからして、この第3章の狙いは明確であると言える。つまりはデジモンアドベンチャー最終回の「パートナーとの別れ」自体をリブートしようとしているのだ。当時は平和が訪れた世界の中で唐突に知らされた別れなわけだが、今回はリブートを行わなければ被害が広がることになる…という、より一層悲痛な展開。その辛さを如何に強調できるかがキモなわけだが、これに関してもかなり粗末で、御涙頂戴展開の連続。自分の目は乾き切り、あまりの雑さに呆れ果ててしまった。感動ものをやりたいのなら、まずレオモン辺りの問題をきっちり片付けて、こっちの疑問をゼロにしてからにしてほしい。
パタモンが感染していることに気付き、このままでは何があるか分からないと、人々への危険を承知でパタモンを連れ出してしまうタケル。気持ちは分からなくもないが、タケルがそもそもそういうことをやる人物だったか…という疑問は残る。彼が無印と02で繰り広げた冒険の果てに、こんなに弱い姿があるのは素直にショックである。展開によって在り方が変わる作り手の都合のいい存在にしか見えず、タケルというキャラクターの息遣いがまるで聞こえてこない。なんなら無印の時よりもガキになっていないだろうか。しかも、彼が誰にも言えなかったパタモンの感染を最初に話すのが芽心なのである。空が彼女の心のケアをするシーンをしっかりと描く配慮はできるのに、タケルはどうして自責の念に駆られ満身創痍の彼女にそんな恐ろしい不安をぶつけるのか…。彼女がメイクーモンのことで、「他のデジモンにも感染が広がったらどうしよう」と悩んでいるのは明白なのに、一体どうしてそんな残酷な仕打ちを…。最年少ゆえの幼さを描こうとしたのだとしたら、あまりに幼すぎて嫌気が差してしまう。タケルはこんな人物ではないはずだ。本来ヤマトを説得するほどの強い意志の持ち主のはずなのに…。
そして何より憤りを感じたのが、今作の山場であるヘラクルカブテリモンへの究極進化。そもそもデジモンアドベンチャーにおいて進化とは、パートナー同士の絆や、それぞれの紋章の覚醒など、子ども達の成長がトリガーとなって発動するものだったはず。成熟期への進化は「助けたい」などの互いを想う気持ちが重要となり、完全体への進化は各々の持つ紋章=個性を輝かせることで果たされた。ウォーグレイモンとメタルガルルモンに関しても、太一とヤマト、そしてヒカリとタケルを始めとした、選ばれし子ども達の絆が結実した形態と言える。ゆえにミミと丈が「自己中」を自覚して究極進化に至った第2章の2体にも軽さにも呆気に取られたが、今回のヘラクルカブテリモンはあまりに酷い。なんと、絆や覚醒すら関係なくあっさりと果たしてしまうのだ。
メイクーモンが街に現れ暴走し、それを止めようとしたデジモン達も次々に感染してしまう。遅れて現着した光子郎とテントモンと何故か感染の遅いメタルグレイモンが最後の砦となるが、リブートに備えて光子郎が用意したバックアップ可能なゾーンにデジモン達を放り込むのはなかなか難しい。成長期に戻ったテントモンに対して「お前だけでも!」と光子郎が他のデジモンを見捨てるような発言をするのも辛いが、とうとう最後の1体となったアトラーカブテリモンがいきなりヘラクルカブテリモンに進化する脈絡のなさの前ではその辛ささえ霞む。結果的にヘラクルカブテリモンが襲い来る他のデジモン達を一気に引き受け、横綱よろしく力業でデジタルワールドへのゲートへと全員を押し込むことに。
パートナーデジモンの進化が、パートナーである光子郎との「決別」になってしまっている点は、何より問題だと思う。いやそもそも公式が出してきた作品なので問題も何もないのだが、ここまでパートナー同士の絆を強調してきた作品の続編が、パートナーと相反する意見を持ちながら究極進化へとデジモンを至らせるという禁じ手をやってのけたことに驚きを隠せない。別れを意識して力を振り絞ったと言えば聞こえはいいが、シリーズのお約束から逸脱されすぎてはいないだろうか。そもそもデジモンが勝手に自分の意思で進化を果たせるのなら、選ばれし子ども達の存在意義がなくなってしまう。せめて進化だけでも光子郎と息を合わせてくれれば納得がいくのに、目先の感動を優先してシリーズの伝統まで破壊してしまう。「tri.」とはいえトライしすぎである。テントモンがあれこれと耳障りのいい言葉を並べてくれてはいたのでそれなりに雰囲気は出ているが、私の心には全く響かなかった。そもそも究極進化が何をトリガーとして起きるものなのかが明確でなく、何より現在の彼等の戦いに絶対に必要なものであるとも言えない状況なのがもどかしい。パワーアップというのはパワーアップをしないと倒せない敵や打破できない状況があるからこそ燃えるのに、その意義を完全に失い登場ノルマのためだけに最強形態の初陣が描かれ、しかもそれが味方同士というカタルシスゼロの顛末。
無印のアトラーカブテリモン回は浦沢脚本で相当カオスなのに、「知りたがる心」を抜かれた光子郎に対してモチモンが涙を流し、それが光子郎が元に戻るきっかけになるという王道な展開が美しかった。浦沢脚本にさえ存在していた道理を簡単に投げ捨てるような展開には、全く賛同できない。その他、せっかく面白そうな謎だったデジモンカイザーの復活も、賢は関係なく黒ゲンナイの変装だったというガッカリなオチ。賢に関する描写をヤマトが姫川に言われてあっさり引き下がる程度で終わらせるなら、せっかくデジモンカイザーを起用した意味がないのではないだろうか。姫川は黒ゲンナイと共に何かを企んでいるようだが、そもそも姫川をそんなに好きになっていない上に、子ども達8人ではなく新キャラが物語を引っ張っていくという構造なのはどうなのだろう。終盤ではアグモン達に再会するため、8人はリブート後のデジタルワールドへ足を踏み入れる。冒険の過酷さをよく知るメンバーがどうして制服で行くんだよ…と、どうでもいいことが気になってしまった。あと普通に、デジモンアドベンチャーの続編なのにデジモン達の記憶を消去してあの冒険をなかったことにするというの、とんでもないことをしたなあと。正直製作陣の変わった続編で手をつけていい領域ではないと思うが、逆によくそんなものを繰り出してきたなという感心もあり、その気概はきちんと評価したい。クオリティが伴っていれば素晴らしかったのだが…。
第1章・第2章に比べるとかなり切ない物語となっていたが、その切なさの詰めが甘く、自分にとっては全く見どころのない作品であった。tri.が原作の良さを丁寧に破壊していってくれることで、逆に原作の面白さの根拠がよく見えてくるような楽しさはある。あるが…できれば破壊しないでほしかったなというのが本音。第6章まで観終えたら書籍や製作陣のインタビューにも目を通そうと考えているので、この作品がどういった経緯の下、どういった信条に基づいて生み出されたのかという点が書かれていることに期待したい。