映画『月の満ち欠け』評価・ネタバレ感想! 目黒蓮と有村架純の絶妙な距離感が最高だった

月の満ち欠け

 

 

週に数回映画館に通っている自分でも、普段こういう”いかにも”な邦画というのは観ないのだが、何だか魔が差したというのと、ドラマ『silent』で目黒蓮にガッツリ心を奪われたのがあって、しかも上映から3日間特典が付くのなら行くか…ということで、原作も読んだ上で鑑賞した。

 

第157回直木賞受賞の原作を映画化した作品。小説は月に数冊しか読まないので、こういった賞にも疎いのだけれど、さすがに直木賞芥川賞は分かる。それでもこの作品は全く知らず、著者の佐藤正午さんの名前も初耳だった。

岩波文庫で小説を読むのも滅多にない経験だなあと思い読み進めていたものの…非常にまどろっこしく、正直あまり楽しめなかったというのが本音である。これには明確な理由があって、小説の中では「生まれ変わり」や「前世」というワードが出てくるのが非常に遅いのである。こういう人がいました、こういう人もいました、こういう状況にありますというラブストーリーや喪失を描き、ようやくその繋がりに主人公が気付く構成。映画の予告を散々観ていた私は「前世の話なのになんでこんな回りくどい感じでやっていくんだ?」と思ってしまった。

 

それでも映画で言う目黒蓮パートの不器用な男子の感じに心を動かされたり、田中圭のクズっぷりに辟易したりと、決してつまらなかったわけではない。映画になるとどうなるのだろうとワクワクしながら鑑賞したのだが、これが結構よかった。

 

正直言って、多分普段からラブストーリー…特にこういった邦画の”いかにも”な映画を好まない人間からすると、かなりキツい部類に入ると思う。甘酸っぱさやよく揶揄される「謎の全力ダッシュ」、それに加えて「前世」というスピリチュアル要素が入っているからだ。もちろんフィクションの中で前世を持ち出すのと、現実で自分や他人の前世にあれこれ言うのは違うと思うが、それでもやはりキツいものはあるだろう。逆に言えば、そうした前世の繋がりというのを強く信じている方には、すごく感動できる映画なのではないだろうか。

 

私は前世を信じていない。正直自分の人生や考え方を正当化するための道具というレベルにまで考えているくらいだ。ふざけて、きゅうりばかり食べる人に「前世カッパだった?」と言ったりすることはあるかもしれないが、基本的には前世を信じていない。

ただこの映画の良いところは、そうしたスピリチュアル門外漢にもしっかり共感できるポイントがあるということ。それが主人公の大泉洋演じる小山内堅の物語だ。

 

輪廻転生の物語であるがゆえに、相関図が頭の中でごちゃごちゃしてしまうのだが、簡単に言うと、

有村架純 → 大泉洋の娘 → 伊藤沙莉の娘

という順番で、一人の女性が輪廻転生を繰り返していくという物語である。

映画はこの2順目に当たる、大泉洋の物語からスタートする。

 

小山内が妻となる柴咲コウ=梢と結婚し、娘の瑠璃が生まれる。彼女は7歳で原因不明の高熱にうなされ、そこから人が変わったかのように大人びた言動が垣間見えるようになった。要はここで、前世の有村架純=瑠璃の記憶を取り戻したのである。しかし、梢と瑠璃は交通事故に遭って死亡。小山内は一人取り残され、寂しい日々を過ごすことになる。

 

そんなところに目黒蓮=三角が現れ、過去に関係を持った瑠璃という女性の生まれ変わりが、小山内の娘かもしれないと話す。そこで三角と瑠璃(有村架純)の物語が語られる。ここの有村架純の人妻感がとにかくすごい。色気があふれ出すぎている。逆に目黒蓮はいきなり人妻に迫られる初々しさがとてもよかった。というか『silent』でしか目黒蓮を知らなかったので、喋る目黒蓮がすでに新鮮で、スクリーンにくぎ付けになってしまった。

Twitterで調べると目黒蓮のキス解禁が話題になっていたようだが、マジで初々しすぎて微笑んでしまうレベルである。あといきなりとりあえず脱ぎ出すのも笑った。ブカブカパンツで余計に笑った。全然ベッドシーンとかはないので、よっぽどじゃない限りファンも安心できるのではないだろうか。

 

前世という話に対し、小山内はそんなことあるはずないだろと一喝し、三角を帰らせる。しかし八戸で再会した娘の友人(伊藤沙莉)のゆいから奇妙な話を聞かされる。自分の娘は、瑠璃の生まれ変わりなのだ、と。そこから小山内瑠璃時代の死の真相が語られ、田中圭のクズっぷりがひたすら強調される。ただ、クズであることは確かなのだが、それでも死んだ瑠璃を忘れられずにいる姿は、どうしても悲壮感が漂い、どこか同情してしまう。全然浮気とかできる状況だったのに、プライドの高さゆえか、それをしなかったんだな…という一途さで完全には嫌いになれない。

 

柴咲コウの美しさも相俟って、新幹線で過去の家族の動画を観る小山内の姿に思わず泣いてしまった。そこで知る「妻が偶然を装って自分に接触するよう仕向けていた」という事実。小説では鮮明に描かれていた、瑠璃が三角と接触しようと奮闘するパートが削られていた分、ここの「真相」はかなりグッとくるものがあった。そう言うと男性目線すぎて気持ち悪いと一蹴されてしまうかもしれないが、良いものはまあ良いので仕方がない。

 

正直前世などにまるで興味のない上に小説を読んでストーリーラインを知ってしまった私には感動できるポイントはここまでほとんどないに等しかったのだが、それが小山内の心情とリンクする。愛する妻と娘を失い、孤独に生きる日々。更には母親までも病気で失いそうになっているところである。そんな時に「娘はある女性の生まれ変わりなんです。なんならまた生まれ変わってます」と言われて、怒り狂わないわけがない。それは彼のセリフにもあったように「自分が大切に娘を育ててきたのは何だったのか。ましてその娘に同行して死んだ妻はどうなるんだ」という怒りだろう。

 

私も実際そう思う。全てを失った人間に対して、手にしていたものすら実はまがい物だったと言うのはあまりに酷であろう。だからこそ、梢が生まれ変わり小山内の元に現れてくれた瞬間、「しーっ」と唇に人差し指を重ねるあの仕草は、彼にとって本当に救いだったのではないだろうか。

 

前世や生まれ変わりなんていうのは、実際には喪失から逃げるための手段に過ぎないかもしれない。前世で恋人や家族だったとどれだけ言われても、今世でそうなる保証はないし、前世の記憶を継承しているなんて話は、正直ばかげているようにも思う。それでも小山内の、信じたいけど信じられないという葛藤をほとんど表情だけで語ってくれる大泉洋、そして有村架純目黒蓮の絶妙な距離感、さらに柴咲コウの美しさ。

最後に目黒蓮の全力ダッシュ(恋愛映画ではあるあるなのだが、有村架純が死んだタイミングで急に走り出すのでさすがに唐突すぎる)が観られたので、個人的にはもう充分である。目黒蓮有村架純が好きなら観ておいた方が良い映画である。