スーパーヒーロータイム語り リバイス第46話・ドンブラ ドン22話

今週から、せっかく毎週しっかり観ているならと、スーパーヒーロータイムの感想を毎週上げていこうかなと思う。この1時間が1週間で最も集中していると言っても過言ではない人間だし、リバイスとドンブラザーズは特にたくさん喋りたいことがある作品。他の方がそうした感想ブログを上げてるのを見るのも好きだし、ということで中途半端なタイミングではあるものの、できる限り毎週やっていこうと思います。

 

まずはリバイスから。

 

仮面ライダーバイス第46話「向き合う勇気…真に護るべきものは何?」

はじめに言っておくと、私はリバイスに関しては面白いとは思っていないけど、色々と突っ込んだり笑ったりして楽しめてはいる、というスタンスの視聴者。物語の粗を好意的に解釈できるほどお人好しではないものの、だからと言って視聴を切るほど愛想を尽かせてはいないし、なんやかんや毎年のことだから惰性でBlu-rayなども買っている。文句を言いながらお金は落とす、ファンの鑑みたいな存在でありたいと思っている、ファンではない人間。

 

そんな目線で観た第46話。サブタイトルはOPの歌詞のオマージュになってるよう。「真に戦うべきものは何?」という、とても不穏なフレーズは、メロディーの力も相俟って、一度聴くとなかなか頭から離れない。

で、真に護るべきものは結局何だったんだろうっていう話なのだけど、これは多分、46話を観た限りだと「悪魔」っていうことになるのかなあと。

 

バイスはそもそも主人公の一輝が、己の中に生まれた悪魔と共に戦う「1人で2人の仮面ライダー」というのをコンセプトにしていて。敵も内なる悪魔と合体した一般人だったりするし、悪魔との”契約”という概念を変身アイテムでもあるスタンプに組み込んだりと、やはり平成2期以降の流れを汲んだ、ある意味正統派な作品にも思えた。そこに家族ライダーという要素も加わって、愉快だがどこか侮れないバイスという存在もあり、物語に深みが出ていた…のは年末までの話。

 

いや、年末までも十分怪しかったが、無秩序に増えるライダー、それなのに一向に出現しないライバルたりえる存在、実力が全くなさそうなウィークエンド、暴走する大二、全くキャラの見えてこない一輝、木村昴の逮捕などが重なり、もう現在はだいぶおかしなことになっている。「そうはならんやろ」と「それ聞いてない」と「今やることじゃないだろ」の3つの軸をしっかりと据えた上で毎話作ってるのかという具合にツッコミどころ満載の作品である。

 

そしてこの46話。最も驚いたのが「ギフ、倒しちゃったよ…」ということ。残り話数は4話。1話からずっと名前を出し続け、悪魔の親玉かと思いきや実は悪魔を餌とする宇宙人だったという、よく分からない事実が明かされ、主人公たちの始祖という立ち位置でありながら、別に誰と因縁を作るわけでもなく、のうのうと玉座の地位に居座っていたギフが遂に倒された。

 

正直、ギフを倒すことこそがリバイスのゴールだと思っていたので、度肝を抜かれてしまった。「あれ?」というか。

でも、この話でやりたいことというのは結構明確に伝わってきた。リバイスは各話でテーマや伝えたいことをしっかりとセリフにしてくれる。だから非常に分かりやすいし、ノリやすい。ただ、これは単話で観た場合の話である。

各話のテーマは連続性が一切なく、突然「沸いてきたぜ…!」することが多い。そんなこと言うキャラだったんだこいつ、とか、それもう終わったやろみたいなツッコミを入れないと追い付かない。「今更それやる?」という時もある。

 

で、この46話においては「悪魔との共存」、つまりは自分の負の側面を受け入れて生きていくことの愛おしさ、美しさを伝えたいんだろうなあということが強く伝わってきた。ギフとのラストバトルで五十嵐三兄弟が言っていたセリフが全てで、それはきっとリバイスという物語を通して言いたかったことでもあるのだろう。その発言に見合った作品かどうかは一旦頭の隅に追いやって。

 

普遍的な人間賛歌だと思う。少年漫画でもありそうだし、古今東西あらゆるフィクションが訴えてきたこのテーマは、圧倒的な「正論」であり、ヒーロー番組で説くことにそう違和感はない。だが、一輝や大二やさくらが言っているのを観ると、「お前ら何様なんだよ」と言いたくなってしまうのだ。

 

そもそも物語というのは、明確なテーマ性を持つ以上、キャラクターがそのテーマを体現する作品である必要性がある。そこに独創性がプラスされることで、唯一無二の作品群が生まれていくのだ。しかしリバイスは、先達の作り出したカタルシスの上に胡坐をかき、何の積み重ねもないまま、ヒーローが言いそうな耳障りの良い言葉をひたすらに敵に浴びせる。これは『仮面ライダーゴースト』の中盤以降も観た現象である。

 

言っていることは正論だし、共感できるし、良いことなのだが、それをこのキャラクターが言う必然性が全くない。「子ども番組なんだから別にいいでしょ」という向きもあるだろう。私も「別にいいでしょ」と思う。ただ、「別にいいでしょ」と「面白くない」は明確に違う。そこまで深みのある作品を要求してはいないが、観ている作品の様子がおかしいのだからおかしいと言わせてもらいたい。

 

そもそも一輝達は「ギフの末裔」という特殊な人間で、それぞれの悪魔も一般的な存在とは異なる。結果的に3人共、何なら父である元太も「悪魔との共存」ルートを選んだが、他のライダーの多くは悪魔が体内に存在していないし、そもそもリバイスにおける「悪魔」の定義も不明瞭である。その状況で一輝達が「人間」という立場から「悪魔と共存していく」ことを宣言するというのは、どうも無理がある。自分の負の側面から立ち直れる人達の言葉なら全然いいのだが、実際それをやったの大二とさくらである。バイスは元から良い奴だったため、一輝はそうした工程を踏まずにヒーローをやっているのだ。

 

バイス、一番の問題は「悪魔」という人類全員にお馴染みの語彙に、怪人の役割を託し過ぎたことにあると私は考えている。悪魔との契約というのは確かに馴染みがあるし、不吉なものを連想させる。だが、そうした固定観念に頼り切った結果、作中における「悪魔」の定義がふわふわし続け、よく分からない形に収まってしまった。

悪魔とはこういうものです、という説明がしっかりとなされ、そのルール通りに物語が動いていくだけでも、随分違ったろうなと思う。「人間から生まれた悪魔と戦う…!」

という説明でもいいけど、それを過去のライダーは独自の世界観に落とし込んできたのに…と怠慢すら感じてしまうのだ。

 

話を戻すと、一輝は「人間に悪魔は必要だ!」とギフに説くのだが、ギフは別に悪魔を否定しているわけではない。むしろ餌だから積極的に食べたいはずである。しかし人間が愚かであることもあり、五十嵐三兄弟だけを残して、人類を滅亡させようとするとんでもない怪物がギフなのだ。つまり、五十嵐三兄弟のぶつけた人間賛歌は、ギフの主張と微妙にずれており、そういう意味でも全くエモーショナルな文脈が発生しない、バグみたいな回なのだ。

 

あと5話。一体何をやるのだろうか、『ビルド』のようにラスボスを据えながらだらだらと引き延ばすのかと思いきや、まさかの闇堕ちジョージ狩崎の新ライダー変身と、とんでもないものが提供されてしまった。でも、ギフが地球外生命体であると示された以上、人類と悪魔が向き合う物語として、ギフをラスボスに据えるのは確かに収まりが悪い。

そういう意味では人間同士の諍いで結論を見出していくというのは、ある意味理にかなっている気がしなくもない。それはそれとして、いつでも変身できそうな胡散臭いジョージを、1度デモンズにした後はずっと放置して、胡散臭ささえ消したテンションの低いジョージに変身させるとは…。マジでリバイス制作陣、全部間違った道をいくよな…。絶対ヘイヘイヘーイのテンションの方がいいに決まってるだろ。

 

もう1つの主軸がさくらの物語。自分の弱さが悪魔となったラブコフは戦闘の邪魔になる、私が守ってあげるという態度が、ラブコフの逆鱗に触れる。結果的にはジャンヌ新フォームのためのドラマなので、盛り上がりには欠けるのだが、それ以前の問題として、第46話でやることではないように感じた。こんなの20話台で終わらせておくべきなのである。

 

そもそもラブコフはいつも変身すると登場してしまい、しかしスタンプをドライバーに押印することで、あらゆる武器としてジャンヌの戦闘の手助けをしてきた。そんなラブコフに「私が守るから!足手まとい!」と言葉を浴びせるのはさすがに酷い。バズーカになったり鎌になったり、何ならジャンヌの戦闘能力を上げてくれた存在なのに。

 

これに対してさくらが、花からの言葉などもあり、共に戦う決意をすることで、ジャンヌは無事にパワーアップ。王道の流れではあるし、前述した「悪魔を受け入れる」を見事にやりきった。何でこれをやるのがさくらなのかは未だに疑問が残るが。

 

私が気になったのは、「これってジャンヌ初変身の時に既に解決してない?」ということ。自分は無敵だと、己の力を過信してたさくらが一輝や大二に守られてばかりの日々から抜け出し、弱さを、ラブコフを受け入れることで成長し、ジャンヌに変身する。確か第9話第10話だっただろうか。それをわざわざ蒸し返して、「弱さを受け入れる」話をもう一度やる真意が分からない。前回は自己解決で、今回はラブコフという意思を持った相手がいる、という違いはあるけど、やっていることは大差がないのだ。

 

もっと言うと、一歩進んで「守る側」になってしまった自分に、さくら自身が気づいてほしかったなという気持ちがある。当初あれだけ「守られること」に抵抗していたさくらが、強くなり、いくつもの死線を乗り越えていくうちに、「守る側」へと身を置き、「守られる側」の気持ちに寄り添えなくなっていた…そんな話が私は観たかった。特にさくらは一輝よりも優遇され、大二よりもメンタルが安定していたキャラクターだったので、終盤に取って付けたような強化フォームエピソード(しかも焼き増し)を見せられ、非常に残念でならない。

 

後は玉置くん!映画で先行変身してしまったが、無事に変身出来て本当によかった。あれほど無尽蔵に仮面ライダーを生み出しておきながら、玉置を焦らす辺り本当に怖かったのだが、まずは拍手を送りたい。ただ、ギフ撃破、さくらパワーアップの陰に隠れて、ひっそりと変身してしまったのは勿体なかった。彼はデッドマンズ時代のキャラクターと、一人称が小生の学生時代、そして変身失敗回や持ち前の健気さなどで、「いつ変身してもおいしい」キャラクターになっていた。そんな彼が、まさか大した見せ場もなく「初変身ヤッホー!」みたいなアホテンションで戦いに参加するとは…。これなら光君と順序を入れ替えてほしかったぜ。彼の初変身の方がよっぽど劇的だった。

 

最後に、東映公式HPによると、劇場版の『バトルファミリア』は、46話と次回47話の間の物語だそうで。確かにヒロミさんが弓使いだしたしな…ってそうはならないだろ!

46話ラストのテンションのジョージじゃなかっただろ、劇場版は!どんな情緒視点だよジョージ。まあ劇場版もいつものリバイス感を、何とかアクションでごまかしたみたいな作品だったけど、公式が変な時系列を公式設定にしないでくれ~。ますますリバイスが難解になってしまう~。

 

ただ、ここからの物語は全く予測不能だったし、「悪魔と向き合う」ことを訴えての最終回だろうなと予想していた分、それを早めにこなしてアフターストーリーをやろうとする制作陣の狙いが全く見えない。期待は見事に裏切られた形だが、これがどちらに向かうかはまだ分からず。でもどうせ大二がずっと叫んでさくらが喚いてるだけなんだろうなと思っていた7月中盤までよりかは、期待できるかもしれない。

 

 

 

 

暴太郎戦隊ドンブラザーズ ドン22話「じごくマンガみち」

対するドンブラザーズに関しては、毎週楽しく観ている。結構冗談抜きで「これがあるから生きていける」状態である。今人生で最も楽しみにしている番組かもしれない。

 

先週のサブストーリーであった、はるかとソノザの物語がメインストーリーに上がってくる。怪人に「マンガを描け!」と監禁されるという結構カオスな展開なのだが、「私のマンガが脳人にまで感動を与えている!」とポジティブ思考なはるかがもう面白い。ドンブラザーズは早い段階で「はるかがツッコんだら面白いし、はるかが調子に乗っても面白い」域に突入したため、今週も安心して観ることができた。

 

もしかしたら今後鍵となるかもしれない、はるかの作品を盗作した謎の人物・椎名ナオキ。劇場版にも着ぐるみ状態で登場していたが、本編にもがっつり絡んでくるとは。世間では「未来から来たはるか説」が流布しているようで、自分はその意見に当初懐疑的だった。というのも、「敏樹がそんなことするか?」という疑問が浮かび上がってしまうためである。事前に長期的な伏線を仕込むなんてやり方は、どことなく井上敏樹らしくないというか…。自分も平成ライダー初期に育てられた人物なので、そういうクレバーさはどことなく合わない気がしていた。

 

ただ、白倉PのTwitterでの発言や、オーディオコメンタリーの渡辺監督の話を総合するに、どうやらその正体は本編の根幹にもなっていそうな気配がある。確かにドンブラザーズは先週の猿原回もそうだったが、「ヒーローとそうでない者」の対比を描く意欲にあふれた作品である。ドンブラザーズに変身する機会を手にした人間は実は結構いるが、人を救う正しき使い方をできたのは、今お供をしている4人。ハナタカの回でも、力を私利私欲のために使う危うさなどが描かれていたと思う。

 

その上で、鬼頭はるかの人生に椎名ナオキがいなかったら…?と考えると、はるかはきっと漫画家としての人生を謳歌したのではないだろうか。もちろん変身して人を救おうともするだろうが、人生の主軸を漫画家という肩書に据える彼女の姿は容易に想像できる。例えば自分の過失のせいでタロウが傷ついたり死んだりして、それを悔やんだはるかが過去へ赴き、椎名ナオキとして自分が漫画家になる未来を妨害した…なんて展開は全然あるだろう。

 

仮面ライダーキバ』で謎のタイムトラベルを突如行った井上敏樹ならその手の突飛さはお手の物。自己を優先してしまった未来のはるかと、戦士を優先できる現在のはるかの対比なども面白いかもしれない。でも敏樹のことだから、全く知らないおじさんっていう可能性も全然ある。まだまだこちらを振り回してくれそうで、期待が高まる。

 

持たざる者という話でいうと、ジロウはやはりまだドンブラザーズの器ではないなあと今週の回を観て思った。タロウはもちろん、お供の4人は困っている人がいたら後先考えず手を差し伸べられる人間であり、それが戦士たる所以である。雉野は一度ヒトツ鬼になってしまったが、彼の中でそれほど奥さんへの愛情が強いということでもあるのだろう。

 

しかしジロウの目的は、タロウや人々に「認められる」ということにある。ドラゴンファイヤーズの回でもそうだったが、彼もまた、私利私欲のために力を使う存在なのだ。もしドンブラザーズであったなら、お供にはなれていないはずである。ドン家と何らかの関わりを持ち、ドンドラゴクウの力を持っているからこそ、ギリギリ戦えているという側面がある。

 

今週ラストの「僕もロボタロウに…!」というようなセリフがそれを象徴している。ドンブラザーズの目的は、ヒトツ鬼を倒し人々を救うことなのだが、ジロウは「ロボタロウ」という力にこだわる。正義のための力ではなく、力のための力なのだ。二重人格であることにも何か謎があるのだろうが、彼が真の意味でヒーローに、お供になっていくというドラマにも、かなり期待できそうな予感がある。

 

演出面で言うと、かなり満足し、ワクワクした回でもあった。私はスーパー戦隊の中で『電磁戦隊メガレンジャー』が最も好きなので(全作品観ているわけではないですが…)、100万倍の好奇心を常に刺激され続けるアクションシーンに興奮しっぱなしだった。メガレンジャーのSEを聞いただけで体が反応してしまうし、いつもより元ネタ戦隊の要素が多かったのも嬉しい。頭に掃除機が浮かぶのも、サーフィンも、巨大戦のサーベル電磁鞭やスーパーギャラクシーナックルも。思えば、漫画の中の話とは言え、転校生の学園ネタで進むというのも、高校生戦隊のメガレンジャーがこの回のモチーフになった理由なのかもしれない。

 

5人全員でのアバターチェンジも新鮮で、こういうのもっとやってくれてもいいのに!という気持ちになった。ドンブラザーズのアクションはタロウが高笑いしながら無茶苦茶をやるだけで充分面白いのだが、こうして過去作を意識した作りも決して悪くはない。メガレンジャーも色構成的に5人アバターチェンジができる戦隊なので、今後出てきてくれると嬉しい。

 

マンガパートもキャストのいつもと違う一面を堪能でき、なかなか新鮮。敏樹は最近ソノイで遊ぶことを覚え、マスターですらドンブラ世界にずぶずぶになってきているので、毎週本当に楽しくて仕方がない。欲を言えば猿原にも出てきてほしかったが、何か事情があったのだろうか。

 

次週はついにジロウがロボタロウに。人格が分かれてそれぞれ龍と虎に…。一体どうなるのかと目が離せないが、おそらく謎を明かすよりも物語の推進力が優先されると思うので、その辺りを純粋に楽しんでいきたい。ジロウがロボタロウになる回だとしても、物語のメインはチェンジオフできなかった犬塚のようだし…。

 

バイスは残り5話で、新番組『ギーツ』に早くも期待が高まる。来週の制作発表はどれほどのサプライズを仕掛けてくれるだろうか。ドンブラも折り返し地点。何が起こるかまだまだ油断できない状況である。