映画『アンデッド/愛しき者の不在』ネタバレ感想 やや地味なゾンビ映画エピソード0

 

 

最初に映画とは関係のない個人的な話をさせてもらいたい。この映画を観る前に『君の忘れ方』という邦画を観たのだけれど、これが完全に失敗だった。『君の忘れ方』があまりにも自分にクリーンヒットしすぎたのである。しかも映画の内容が「恋人と死別した主人公が喪失感と向き合う」物語。この映画にはホラー要素は特になく現実の物語なのだが、題材が似通ってしまっている。というわけで、連続で大切な人を失った喪失者たちの物語を鑑賞することになってしまったのだが、所謂ゾンビ映画の中でも『アンデッド/愛しき者の不在』はかなり変化球というか、すごく特殊だなあというのを感じた。良くいえばしっとりとしていて、悪くいえば地味。雰囲気こそ良かったものの、自分としてはもっと外連味のある展開を求めてしまった。でもゾンビ映画の派生形としては全然アリだと思っている。

 

すごく簡単に映画の内容を言うのなら、「ゾンビ映画の冒頭を丁寧に描いた作品」だろう。ゾンビ映画はとにかくゾンビが出るまでが早いし、映画の冒頭では既に世界にはゾンビが存在しているというものも多い。大体は善人の主人公サイドが、殺戮略奪何でもありの悪人グループと抗争を繰り広げる物語になっている。ゾンビ映画というジャンル自体が、そもそも世界の終末を描くのに適しているのだと思う。もちろん、数多作られたゾンビ映画の中にはゾンビをコメディチックに描いたものなど、多種多様なゾンビ観が存在しているわけだが、この映画におけるゾンビもといアンデッドは、我々がよく知るゾンビとそう大きく違ってはいない。ただ、「ゾンビが世界に蔓延るまで」の3つの家族の心の動きを真摯に捉えている点が大きく違う。要はゾンビ=死者が復活して人を喰らうという考え方がない状況で、愛する人が復活した喜びを噛み締める人々の物語なのである。

 

監督はテア・ヴィスタンダル。この映画が長編映画初監督作である。共同脚本としてクレジットに名を連ねているのは『ボーダー 二つの世界』などのヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト。『ボーダー』は北欧ホラーとしてすごく見応えのある作品だったのでよく憶えている。この人が映画に関わっていることは鑑賞後に知ったのだが、言われてみれば確かにあの映画の雰囲気が体現されていた。THE・北欧ホラーとでもいうような感じ。

 

3つの家族はそれぞれ、孫を失った老人と娘、妻を失った夫と二人の子ども、パートナーを失った老婦人という構図。3つの家族の物語が交わることはないため群像劇的な要素こそないが、三者三様の悲劇が描かれており、どこかオムニバス映画のようでもある。それぞれについて話していきたい。

 

孫を失った老人とその娘である家族A。汚く狭いアパートでの2人暮らしから漂う邪悪な倦怠感。孫を失った悲しみもそうだが、あと一歩背中を何かに押されたらあっさりと命を絶ってしまいそうな危うさに満ちている。そして実際、娘は自分の顔にラップを巻き付けて自殺を図ろうとした。だが、そんな彼女に生きる理由を与えてくれたのが息子の復活である。既に墓に埋められていた子どもを、女性の父である老人が墓を掘り返して自宅まで運んできたのだ。狭いバスタブで優しく彼の体を洗ってあげてはいるが、映画を観る私達からすればそれはどう見ても死体なのである。それでも愛する者がよみがえったとなれば、家族として大切に扱わずにはいられないのだろう。墓荒らしがバレたのか、翌日家には警察がやって来る。追及を免れるために、二人は孫と共に湖畔の家に身を隠すことにする。

 

正直、最後はあ~あという展開ではあるのだが、この親子がそもそもギスギスしているのが観ていて一番辛かったかもしれない。小さな子どもを失って、生きる希望が途絶えてしまっている。ただ呼吸をしているだけみたいな生活。喜びも未来もない世界に光を差し込んでくれたのが、孫の復活だったのだ。逃げた先の湖畔で彼等は別のゾンビに遭遇。老人がゾンビに抵抗するが、逆に噛まれて絶命してしまう。事態が只事でないと悟った娘は息子と二人でボートに乗り、彼を湖の不覚へと沈める。やっぱり、お墓を掘り起こしたりしてはいけないのである。この家族Aのパートで湖畔のゾンビが登場したことでこの映画がはっきりと「ゾンビ映画の序章」を描いていることが明らかになる構成。

 

家族Bは不慮の事故で母親を失った家庭。しかし病院で母親が突如復活。とはいえ病院側も初めての事態であるため、様々な検査のためなのか家族と母親はなかなか会うことができない。ただ会いたいだけなのに病状すら知らされない父親の苛立ちと、母を失って家族の絆がより深まる点に焦点が当てられる。年頃の娘と両親は明らかにうまくいっていない風だったが、母親の不在によって家族の距離はより近くなっていくのだ。母が事故死した日は、両親が息子の誕生日プレゼントを選んでいた日だった。後日、プレゼントのウサギを受け取り、それを母親にも見せようと、家族は遂に母親と再会する。

 

しかし、待望の再会となるはずが、そこにいたのは母親であって母親でない怪物だった。ゆっくりと動かした腕で、静かにウサギを絞め殺す母。かわいらしいウサギの断末魔が耳に残る嫌さ。父親がウサギを奪おうとしても、母親の力が強すぎて全く取り戻すことができない。ポタリと垂れるウサギの血。観ているこちらはうすうす分かっていた展開だが、実際に自分の母親が事故死して復活して待望の再会というところでペット初日のウサギを絞め殺されたら本当に言葉が出ないと思う。家族関係は快方へと向かっていたのに、最後の1ピースである母親だけが怪物になってしまっていた悲劇。

 

家族Cは、家族というよりも女性同士のパートナーである。映画を観ている時は姉妹かと思っていたのだが、公式サイトによるとパートナー関係らしい。この2人で印象的なのは、アンデッドに対して丁寧にバターを塗ったパンを食べさせてあげるシーン。家族Aの孫は割と放置気味だったが、こちらの老女はアンデッドに対し、過去の生活を取り戻させるかのようにお化粧をしてあげたりするのだ。その動作の一つ一つに深みがあって、長年連れ添った素敵な2人だったのだなというのを感じ取れる。まあ、パンの食べ方があまりに乱暴で、そこで観客はこのアンデッド達の異常さに改めて気付くのだが。

 

この映画は小説が原作で、その原作者こそ共同脚本を務めたヨン・アイヴィデ・リンドクヴィストらしい。邦訳はされていないようなので、どれほど原作に忠実なのかは分からない。とはいえ、そう聞くと確かに小説らしいというか、心情描写にステータスを全振りしたような内容ではある。逆に言えば映画らしくないのだ。惨劇前を描いたゾンビ映画として素晴らしくはあるが、掴みはかなり弱く、起伏に富んだ展開が待ち受けているわけでもないため、少々退屈だったのも事実。過度にグロテスクにならず最後まで静けさで世界観を統一させたのは偉いと思っている。ただ、どうしても地味だなあとは感じてしまった。どこか一つでも、すごく印象に残る演出やシーンがあれば違ったかもしれない。