『仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル』評価・ネタバレ感想! 完結編の名にふさわしい美しさ

仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル』を観た。

この記事では感想をがっつりのネタバレありで書いているので、未見の方は注意してほしい。

 

劇場に入る前から、グッズ売り場には長蛇の列。今日の上映分はほぼ満席。私はよく映画館に行くのだが、混雑具合は年末の『呪術廻戦0』と同じくらい。正直オーズの人気を舐めていた。

 

かく言う私はオーズリアタイ勢。本編は5周ほどしかしていないが、毎回ラスト2話で泣いているし、もう「マイペンライ」とか聞くだけでもそこから36話分の情報が脳内で一気に溢れ出し涙を流すような不思議な人間になってしまった。

最終回で「命」を手に入れ、映司たちと過ごした日々に「満足」し、散っていったアンク。彼が復活を果たした『MOVIE大戦MEGA MAX』は、これ以上ない素晴らしいエピローグだと思っていた。未来で映司がアンクを復活させる「いつかの明日」。それはある意味、アンク復活の理由をぼかすための演出でもあったかもしれないが、私たちがエピローグとして「満足」するには十分だった。

 

『スーパーヒーロー大戦』、『MOVIE大戦アルティメイタム』、『小説版』、『平成ジェネレーションズFINAL』、『仮面ライダージオウ』。その後も私達は映司の活躍を何度か見ることができた。「いつかの明日」を夢見て放浪する彼の姿は、震災の年に作られた作品とは思えないくらいに、明るく前向きな気持ちを植え付けてくれる。

 

しかし今回、10周年という節目で、遂に東映は本気を出した。きっとこれは、放送当時に出来なかったことなのだろう。放送時に東日本大震災が起こり、ストーリーは陽性にならざるを得なくなったという話も聞いたことがある。ディケイド、Wと築き上げてきた平成ライダーの過去作との連動を、崩したくなかったという思いもあるのだろう。何より、主人公をああした結末に導くことが、ヒーロー作品として正しいのかという葛藤もあるはずだ。

 

「完結編」などと銘打っておいて中途半端をしたらマジで許さないぞと半ば上から目線に鑑賞した本作だが、なんだろう…結果的には、ほぼ「満足」してしまった。

 

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・アンクが最高

きっとこの映画を待ちわびていた人の多くは、「オーズ新作」と「アンク復活」の文字に大きく湧いたと思う。アンクは、『仮面ライダーオーズ』という作品において欠かせない要素。だからこそ、アンクのいない『仮面ライダーオーズ』はあり得ない。しかし、最終回でアンクが「死」んでしまったからこそ、『MOVIE大戦 MEGA MAX』で復活が示唆されているとはいえ、そこが描かれることには慎重になってしまう。面倒なファン心理である。

 

だからこそ、アンク復活に納得のいく理由を! そしてオーズ完結編にふさわしい結末を! と意気込んで鑑賞したのだが、まさかまさかのアンク復活から物語が始まる。これ、『コードギアス 復活のルルーシュ』と全く同じパターンだったので、予想はできたはずなのに、オーズがそれをやるとは思えず完全に盲点だった。視聴者の意識は「どうやってアンクが復活するんだ?」から、「え!もう復活したんだけど!」に巧妙に逸らされていく。

何なら800年前の王が復活してオーズとなり、グリードを従えて世界を支配しようとしているという進みすぎな世界観についていけてない観客と、目覚めたばかりのアンクの心情がシンクロするという面白味まで発生している。「説明しろ!」「どういうことだ!」と吠えるアンクは、最早完全に『エヴァQ』のシンジくんである。

 

そこに現れる映司だが、どうも様子がおかしい。確かに元からサイコパスっぽい喋り方ではあったし、こいつは感情を隠すのがとても巧いが、それ以上にサイコパス味を感じる。結論から言うとゴーダという新たなグリードが、死んだ映司の体に憑依しているというわけなのだが、この辺りの演じ分けめちゃくちゃ上手くてさすが渡部秀…と感心してしまう。そしてこれを毎話何体ものイマジンでやってた佐藤健もすげえ…。

 

そしてとにもかくにも、この映画はアンクが素晴らしかった。MVP。鳥とか関係なくこの映画で一番高い位置に上げてあげたい。命を知り、満足した先で、彼は別人となった相棒に出会う。こんな絶望があるか?

TVシリーズで1年間ずっと自分の体、そして命に執着していた彼が、あの結末から映司との別れを惜しむ。もうこれだけでグッときてしまう。ラストがどうこうという意見はあるかもしれないが、復活したのにもう誰より大切な人がいないと知った時のアンクの気持ちに寄り添ってみれば、私達が映司君を奪われたことなど、大したことがないのかもしれない。

 

映司の体に憑依するゴーダ。これは本編でゴーダ自身も言っていた通り、泉刑事の体を乗っ取ったアンクと同じ状況。要するにこの作品におけるアンクからゴーダへの感情は、TVシリーズ序盤の比奈ちゃんからアンクへの感情と似たものということになる。大切な人の体が奪われて別人にされて勝手をされて、それでも死なせないために憑依を許すというやるせなさ。アンクを通して、当時の比奈ちゃんの器の大きさと悲哀がバンバン伝わってくる。この作品、そういう本編の感情増強もめちゃくちゃ強い。

 

後は乗っ取りといえば忘れられないのが、アンク(ロスト)によるアンク吸収。思えばオーズは乗っ取りだの憑依だのが多い。映司はアンクを取り戻すためにアンク(ロスト)を倒し、そのことが映司からアンクへの気持ちを再確認することにも繋がる。そこでアンクのメダル壊しちゃってアンクの完全復活を妨げちゃうのがな…。

 

話が逸れたが、今作の主人公は最早アンクと言っていい。彼は映司達によって、生きることを全うし、心情に変化がもたらされた存在。主要メンバーは完成されたキャラクターが多いだけに、「満足」へと突き進んでいくアンクの姿は、私たちの心を打った。そんな彼が、今度は映司を、そして世界を取り戻すために戦う。もうこの筋書きだけで満点である。

 

そして今回何度も挿入されたアンクの涙。思えば『仮面ライダーオーズ』は、やはり震災の影響で暗い物語を避けたのか、「喪失」が圧倒的に少ない作品だったように思う。人が死ぬことはほとんどなく、伊達さんも生き永らえ、アンクの最期も「いつか会う日まで」のような、希望を予期させるラスト。だがここに来てアンクは、大切な人との死別、「喪失」と向き合うことになる。涙を流すアンクは非常に珍しいのだが、逆に言えばアンクが涙を流すほど、映司との関係を大切に想っていたということ。完結編で、まだ知らないアンクの姿を知ることになるとは、完全に予想外だった。

 

 

・映司の死

率直に、「すげえ!やりやがった!」という感想が浮かんだ。私は感動こそしたものの、泣きまではいかず、それ以上に驚きが勝ってしまった。

それは、主人公を殺すという選択を、まさか作り手側がするはずがないだろうという予想が裏切られたことへの驚き。だからゴーダが「映司は死んだ」と言った時も、とかいってギリギリの奴だろ…と高を括っていた。真司くんですらライダーバトルリセットで生き返ったし、剣崎だって悲しい結末ではあるが死にはしなかった、フィリップも帰ってきた、神様になった後にちょくちょく地球に戻ってくる奴までいる、1話で死んだライダーだっている。今後の作品に出るかもしれないし、そんなことをするはずがないだろうと、最後の最後までハッピーエンド…少なくとも映司は生き残るエンドを予想していた。

 

しかし、火野映司は死んだ。完結編と銘打った最新作で、命を散らした。

 

それ自体は悲しいことである。発狂する人が出てきてもおかしくはない。

だが、非常に映司らしい最期だったと、私は思う。映司はそもそも、自分の命を顧みず、他人に手を差し伸べるような異常者。だからこそ、紛争地域で少女を救えなかったことで、一気に乾いていったかのように、無欲になってしまう。しかし戦いを通じて自身の欲望を思い出し、世界を救いたいという気持ちを新たにし、その上で「自分の手の届く範囲には限界があっても、人と手を繋いでいくことで、どこまでもその手を伸ばしていける」ことに気付く。だからこその、オーズの力をくれたアンクに対しての「ありがとう」なのだ。

 

映司は決して、大きな変化のあるキャラクターではなかった。アンクに比べれば、本当に僅かな変化しかしていない。ただそれでも、「人と手を取り合う」ことの意義に気付いたことは、彼にとって大きな収穫。それに気づかせてくれたアンクは、彼にとって何より大切な相棒なのだろう。だからこそ、彼に会いたいという願いは、アンクを復活させるに至らしめた。ちょっとファンタジーが過ぎる気もしないではないが、そもそもオーズという作品は人の欲望の力を原動力としているので、納得ができないということもない。

 

そして今作、ようやく映司が「人を救う」ということが直接的に描写される。それは彼が救えなかった女の子と同じ年頃の少女。10年空いた完結編にしては美しすぎる終わり方というか、もしかして当時の最終回もこれのつもりだったんじゃないかとさえ思えてしまう鮮やかな帰結。思えば完結編は、「人と手を取り合う」というオーズが終盤にして明確に打ち出してきたテーマすらも、映司の自己犠牲の精神に呑まれてしまうようなことになっている。アンクが腕だからこそ、「手をつなごう」というテーマにしたと、何かでメインライターの小林さんが仰っていた気がするのだが、もしかすると武部Pや毛利さんは全く別の方向性を考えていたのかもしれない。

 

映司が気づいた手をつなぐことの大切さ。しかし結局彼は、正義感を捨てきれず、自分の身を挺して少女を守る。それこそがきっと、映司にとっての「本当にやりたかったこと」なのだろう。そして死を感じ行く中で、思い残したことこそが、アンクとの再会だったに違いない。

彼の死は、視聴者にもアンクにも比奈ちゃんにも、決して簡単に受け入れられることではない。だが、映司自身はずっと後悔していたことにようやく手を伸ばし報いることができたはずである。満たされて命を散らす…これはアンクが最終回で迎えた結末と全く同じであり、この完結編は最終回の映司とアンクの立場を逆にしたものと言えるかもしれない。

 

・きつかった点

ここまで割と絶賛をしてきたし、実際構成やストーリーやテーマの扱い方に対しては、ほぼ文句の付け所がない。10周年記念でよくここまでのことをしたなあという感心すらある。『テン・ゴーカイジャー』で我々を油断させておきながら、主人公を殺す東映の姿勢に驚きを隠せずにいる。

だが、やはり「う~ん」と思ってしまった点もないではない。これは結構個人差があると思うのだが、私は全体的に「TV本編を想起させるファンサービス」的な側面のセリフや演出がキツかった。

 

一つはゴーダがタトバに変身した後のシーン。アンクに対し「歌は気にするな」って言ってよ~とおねだりするくだり。確かに、映司の体に憑依している嫌な奴感はすごく出ているし、実際これ言われたらアンクはめちゃくちゃ嫌だろうなあとも思うのだが、ちょっとやりすぎ…というか。

「歌は気にするな」やコンボソングって、ファンや演者が作品外で色々言っているくらいが丁度良いと思っているので、こうして作品の中に取り入れられるのは、ちょっと嫌だなと思う。これはきっと毛利脚本ならではなのだろう。オーズの「ファンに愛されている部分」を抽出した結果が、このセリフなのだろうが、小林さんならきっとこんなことは言わせないだろうな…という気持ちがよぎってしまった。

これもそうなのだが、全体的に作品とファンの距離感には、もっと気を遣ってもらいたかったなというのがある。近年のライダーの多くに言えることでもあるのだが、ファンがそれをネット等でネタにしているからといって、それを安易に作品に組み込む作風が私はあまり好きではない。特にオーズ放送当時はまだTwitterなどの文化もそこまでの普及はなかったからこそ、そういった点に強い違和感を覚えてしまう。

 

後は最終回のセリフを意識したであろう、タジャドルエタニティ変身シーン。「お前がやれっていうなら…」のところである。これも正直、聞いていてキツかった…。最終回の映司のセリフであることは明白なのだが、それをまんまアンクが言うという展開がどうしても受け入れられない。既に映司が死んでいるor助からないことを理解しているなら、あのセリフにはならないだろう。最終回でアンクに対し映司があれを言ったのは、メダルが割れ、死の危険性がある中でも自分を変身に使ってくれと指示したアンクの決意を汲み取ってのこと。

今回アンクが言うには、あまりに積み重ねが弱すぎる。アンクのキャラならもっとツンデレ的に「はっ!今回だけだぞ」とかあっさり目でもよかっただろうに…。それにアンクは欲望の権化であるグリードなのだから、「死ぬんじゃねえぞ」くらい映司との別れを惜しむセリフがあっても…。きっと感動させることを意識したセリフだからこそ、余計にサムく聞こえてしまった。その後のエタニティ+生身映司君も申し訳ないけど無理だった。

 

最後も似たようなものなのだが、途中の比奈ちゃんとアンクのシーン。「また手を繋げるようになるかな」みたいな点も、個人的にはダメだった。言いすぎというか、きっと最終回を演出した田崎監督だからこそ、色々と「逆」や「セルフオマージュ」をやろうとしたという気概は分かるのだが、正直要らない…というか。もちろん逆にこれが刺さってここで涙腺が決壊する人の気持ちも分かるのだけど、ちょっとファン目線に寄り添い過ぎてる感じが、どうしても受け入れられない。もっと突き放してくれても良かったのにと思う。最終回と対の構造になっていることは明白だし

 

 

・最後に

自分が10年以上好きだったものに続編が作られるということが人生で初だったせいか、観る前は本当に緊張してしまった。楽しみよりも心配が勝ってしまう。1番怖かったのは「自分だけがこの完結編を受け入れられない」というパターン。世間では絶賛されながら、自分にはハマれなかったというのが本当に辛い。まして大好きな作品がそれになってしまう可能性があったことが本当に苦しかったし、『スター・ウォーズ』のファンの気持ちがわかったような気がした。

だが結果的には、ほぼ「満足」の出来。彼らが彼らのままでいてくれたことに、まずはお礼を言いたい。演技も声もみんな変わらず、またオーズの世界に浸れたことが素直に嬉しい。ラストを受け入れられるかどうかは個人に依るし、オーズという作品が陽性で突っ走っていた様を見てきたからこそ、これまでファンだった人の中にも拒否反応を示してしまう者もいるだろう。だがそれでも私は、『仮面ライダーオーズ』という作品に出会えたこと、そしてこの『完結編』が作られたことに、とても感謝している。

 

主人公を欠いた『仮面ライダーオーズ』だが、グリードがメダルを9枚という欠けた数字に変えたことで誕生したように、この喪失感を埋めようという気持ちが、更に何かを生むかもしれない。

とにもかくにも、素晴らしい10周年記念作品を作ってくれた方々に、本当に感謝である。