機界戦隊ゼンカイジャー感想④ 第19カイ~第24カイ

スーパー戦隊シリーズ 機界戦隊ゼンカイジャー Blu-ray COLLECTION 2

ゼンカイジャーにもついにパワーアップが。映画の宣伝も兼ねた『仮面ライダーセイバー』とのコラボカイ、ステイシーとの決戦、バカンスなどなど。とにかく話題に事欠かないゼンカイジャーの第19カイから第24カイまでの感想をざっくりと。

 

 

 

・第19カイ!ゼンカイ改め超ゼンカイ!

ゼンカイザーがゼンカイジュウギアを用いて秘密のパワーアップ! いよいよ登場したスーパーゼンカイザー。1人+4体のロボみたいな構成のゼンカイジャーが、最後の砦ゼンカイザーまでロボっぽくしてしまう。『恐竜戦隊ジュウレンジャー』好きには堪らないフォルム。ここまでジュウレンジャーを猛プッシュしてくるとは…。武器のゼンカイテンランスっていう名前も最高だし、先にワイヤーが付いてて多彩な攻撃方法に繋がってるのもカッコイイ。

 

話としては、私が大好きな第15カイのアンサーにもなっていて。カブトムシワルドに幻覚を見せられ、永遠にカブトムシ捕りをさせられる5人。いきなりタンクトップにされ虫取り少年の恰好をさせられるのは滑稽なのだが、その最中、介人のみが家族との大切な記憶を思い出し、我に返る。15カイのレトロワルド戦ではキカイノイドの4人に戻りたい過去がなかったからこそ勝利することができたが、今回は介人に両親とのカブトムシの思い出があったからこそ活路を見出すことができたという綺麗な対比。

 

ステイシーの全力名乗りによって状態に変化が起きた介人の両親。その覚醒により生まれたゼンカイジュウギアでパワーアップと、これから始まる両親奪還を示唆する内容でもあった。それにしてもステイシー、マジで最高だな…。

 

 

 

仮面ライダーセイバー特別章 界賊来りて、交わる世界。

映画『スーパーヒーロー戦記』公開の宣伝も兼ねたコラボ回のセイバー編。オリヒメワルドを追ってセイバーの世界にゾックス達がやってくるという物語。一応紹介はするものの、セイバー成分がとても強い回。というか、縦軸の物語をぐんぐん進めていたセイバーの箸休め回でもあり、オリヒメワルドの能力をしっかり解析して立ち向かったり、小ネタが効いていたりと、何ならいつものセイバーより格段に頭に入りやすい構成になっている。比較的まとも(であるが故に考えすぎて対立することもある)なセイバーの面々をおちょくるかのように強大なインパクトを残すゾックス。

 

ここでも『ゼンカイジャー』が積み上げてきたキャラクターの魅力が爆発していて。ゾックスは「世界海賊」という肩書きと、「変身ダンス」だけで世界をかき乱すことができる。織姫と彦星の伝説を飛羽真から訊いて「呪いみたいなもんか…」と、自身の弟たちの境遇に繋げるゾックス。それはさすがに無理があるのでは…と笑ってしまう。

 

 

・第20カイ!剣士と界賊、兄の誓い。

コラボカイ後編。コラボにちなんだ仮面ライダーギアの使用だけでなく、スーパーツーカイザーの初登場まで盛り込んだ豪華絢爛なカイ。特筆すべきはコラボということもあってか、遂に香村脚本以外のゼンカイジャー本編ということ。映画も担当した毛利さんの脚本により、セイバーとゼンカイジャーの共通点があぶり出されていく。

 

ゼンカイジャーではあるものの、今回のMVPは完全に仮面ライダーデュランダルこと、神代凌牙で間違いないだろう。マスターロゴスを守護する強敵として現れた神代兄妹だったが、キャラクターの掘り下げがイマイチなされないまま飛羽真達と合流。玩具すらもプレバン限定になってしまった不遇な2人のライダー。

代々マスターロゴスの側近として戦ってきた神代家の末裔ながら、マスターの行動に違和感を持ち始めるという役どころは非常に魅力的なはず。それを活かしきれずシスコン&ブラコンという記号的なキャラクターを当てはめられつつあった2人だが、このコラボで彼らのファンになったという方は結構多いはずだ。

 

やはり、女装は強い。クールなキャラクターが女装をするだけで面白くなるということを、ニチアサは、ゼンカイジャーはよく分かっている。彼が桃色のチャイナドレスを着て女性を次々に攫うヒコボシワルドをおびき出そうとしているというだけで、もう好きになってしまうから凄い。出し惜しみなどせず、セイバーの面々を1人ずつゼンカイジャーに引き込めばセイバーは間違いなくもっと面白くなっただろう。キャラクターを大切にする作品だからこそ、凌牙からここまでのポテンシャルを引き出すことができたのだ。

 

攫われた妹を絶対に取り返そうと意気込む凌牙に対し、自身も妹を含む家族を大切にしているゾックスが寄り添う。むしろセイバーから兄妹要素を持ってくるという立案が素晴らしいし、この辺りのテーマを丁寧に汲み取る手法は、さすが毛利脚本。『仮面ライダー4号』などもそうだが、数々の作品のキャラクターが混ざる特別編において、毛利さんほど素晴らしいものを仕上げる人はそういない。思えば『仮面ライダージオウ』でもかなり丁寧に過去作を拾っていた。香村さんの監修もあり、ゼンカイジャー側に違和感もなく楽しく観られたカイ。

 

 

・第21カイ!大カイジュウの大破壊!

コピーワルドによって介人とゾックスの偽物が生み出され、各地で悪さを続ける…というカイ。「俺の姿で好き勝手されるのは許せねえ」と怒りを露わにするゾックスがいい。介人とゾックスが合体するゼンカイジュウオーも初登場。ただ、ギャグ成分が控えめで(とはいえ偽介人と偽ゾックスのレオタード姿はあるけど)、個人的にはあまり心が動かされなったカイでもある。

 

本来ニチアサに必要なギャグ成分は充分に入っているはずなのに、もうこの程度では満足できなくなってしまっている辺り、これまでの20カイで私の脳は順調に支配されているということだろう。

 

ゼンカイジュウオー初登場は、サブタイトルにもあるように気合の入った「大破壊」。大怪獣のように街を壊したいけど、ヒーローが街を壊すのは…という点から生まれた、街の偽物を作る怪人コピーワルド。偽物回はスーパー戦隊のお約束でもあるが、きちんとヒーロー側の名乗りの妨害までして自己をアピールする辺りはさすがゼンカイザーとツーカイザーの偽物。主張が強い。

 

巨大戦はさすがの迫力。ゾックスと介人が合体するというのも観ていて楽しいし、人間だった二人が怪獣じみてしまうという逆のアプローチも面白い。私は小さい頃ブイレックスの玩具で遊んでいた子どもだったので、あのフォルムには思い入れも強い。それにしてもゾックスを一旦SD状態にするの、呪いすらも戦いに取り入れてしまうフリントの器のデカさに泣いちゃうな…。リッキーとカッタナー達への配慮もあるのかもしれない。

 

 

 

・第22カイ!ウシシなモ~れつ闘牛会!

なんか、普通に泣いてしまった…。2クール目終了を前にして、ここまでなあなあにしてきたガオーンのキカイノイド嫌いにしっかりと切り込む姿勢とそのクオリティに。ご飯をつまみ食いしようとしたゼンカイジュウギアを諫めたガオーン。しかしゼンカイジュウギアはそれを気にしてか家出してしまう。そのせいか、戦いにも現れずトウギュウワルドを逃がす羽目に。事情を説明したガオーンに「人間でもそうしたか?機械だからじゃねえのか!」と詰め寄るジュランの気迫が辛い。

 

結果的にゼンカイジュウギアはただゴミネットに引っかかっていただけなのだけど、ガオーンは自身の行いを見つめなおすことに。ジュランの言葉で自分の中に未だに残る差別意識に改めて気づかされ、そんな自分にさえも気さくに接してくれる4人の優しさに、ガオーンは心打たれる。そして再び戦いに赴き、トウギュウワルドによってトウギュウのようにされてしまった彼らの攻撃を、自らを犠牲にして一身に受け続ける…。

 

ミスをしたメンバーが自己犠牲で挽回しようとする展開は王道。そこにガオーンの強い後悔やジュランの反省も相俟って、本当に素晴らしいカイになっている。基本的にリテラシーの高いゼンカイジャーのメンバー(ただしバカ)だが、ガオーンの差別意識については、やはり作中でしっかり取り上げられていなかった。ステイシーザー登場の際に戦えなくなったという描写はあっても、それがピーク。以降彼の危ない性癖は、キャラクターの個性として受け取られ、流されてしまっていたのである。

 

放送当時、ガオーンを好きになれなかった理由が正にこれで。キカイノイド嫌いという点がギャグっぽく流されていくだけのストーリーに、どうしても違和感が拭えなかった。彼がジュラン達のこともちゃんと認めているようなことは伝わってくるものの、やはり重要なエピソードが欲しいと思ったタイミングでのこの第22カイ。本当に素晴らしかったと思う。ジュランがきちんと反省するのも最高。

 

ゼンカイジャー5人が再び団結したところで、久々にステイシーザーも登場。カラフルに赴き、やっちゃんに「今日が最後かもしれません」と告げるステイシーの悲哀が辛い…。自分の中に芽生えた感情に必死に蓋をして、介人を倒そうとする彼の心境は第23カイへと続いていく。

 

 

・第23カイ!三大合体 地球最大の戦い!

ゴジラ映画オマージュのサブタイトル。介人とステイシーの一騎打ち。カラフルでのやっちゃんとのやり取りをこっそり聞いており、ステイシーの思いを汲み取った上で戦いに臨む介人。そして、引くに引けなくなったステイシー。優しさや熱さで人を惹きつけるタイプの戦隊リーダーは数多くいたが、介人はそれだけでなくしっかりと相手の立場に寄り添えるところが素晴らしい。

 

自身を倒すということが、大切なやっちゃんを悲しませること、つまりはステイシー自身と同じ境遇に立たせることだと介人は分かっている。それでも、「それはステイシー自身が一番分かっているだろうし、覚悟を決めてきてるはず」だと、どこまでも優しさを見せつける介人。それによりステイシーの哀れさが強調されかねないバランスだが、彼の孤独っぷりを知っているこちらは、介人の思いやりも含めて、ますますステイシーを好きになってしまうのだ。

 

ゾックスも感じていた介人の迷い。そんな彼を支えるのは、年長者のジュラン。ラーメンのシーン、本当に感慨深いものがあるというか。悩んでいる人をあんな風に支えられる大人に憧れる。ステイシーはダークセンタイギアで偽物のスーパー戦隊を使うことすら正当化してまで、介人を倒そうとする。そうすることで自身のアイデンティティが確立すると、半ば疑いながらもそれしかないという彼の選択に、自然と涙してしまう。そしてそんなステイシーに対し、「なら俺たちも介人の武器だ!」と参戦するジュラン達。孤独を強いられ、偽物を召喚することしかできないステイシーと、仲間たちにフォローされる介人の対比でステイシーを甚振る。

 

結果的に新合体もあり、バトルシーザーロボ2世が敗退。川辺に倒れるステイシーをトジテンドまで運んでくるゲゲ。「もう用済み」というイジルデの言葉が辛い。ステイシーは「捨て石」でもあるかもと俳優さんが言っていたが、それを直接的に言葉にされると、さすがに込み上げるものがある。今思うと、ゲゲの暗躍はちゃんと描写されていたのだなあと。

 

・第24カイ!侵略完了!できるか奪回?!

第22カイ、第23カイとしっかりシリアスをやってしまってすみませんでしたと言わんばかりのガッツリギャグカイ。開始数分でバカンスワルドにより世界の侵略が完了。人々はバカンス状態へと突入し、ただひたすらに楽しい生活を送ってしまう。介人達も例外ではなく、ビーチバレーにスイカ割りと、バカンスを満喫。しかしそれはバカンスワルドやゴールドツイカー一家も同様で、三つ巴のスイカ割り対決がスタートする。

 

いつもなら「一見無害そうに思えた敵の洗脳が、実は大変なことに…」というパターン。レトロワルドのカイなんかが正にそうで、レトロで過去を懐かしんでいたら、追憶のあまり無気力にさせられてしまった。しかしこのバカンスワルド、本当にバカンスをさせるだけという何とも言えないキャラクター。悪さを一切していないので憎めないワルドでもある。色々と検索をかけていると、バカンスワルドのあまりの善性にかなり人気も高いようだ。

 

しかしあまりの呑気さと、人々がバカンスを楽しんでしまっている事実にバラシタラが激怒。なんとバラシタラ自らバカンスワルドを撃破してしまう。東映公式でも言われていたが、これはバラシタラ史上最大のミスでは…。ゼンカイジャー達もバカンスワルドの死を悼むのが、何とも言えない。

 

それでいて介人の中にはバカンスワルドと楽しんだ記憶がしっかりと根付き、これが「ステイシーとも仲間になれる」という意識へとつながっていくのだから、ゼンカイジャーは侮れない。ただのギャグカイにもちゃんと意味を持たせるのがこの作品なのだ。

 

 

・最後に

第22カイが個人的には印象深かったが、ゼンカイジュウギアの登場によって更にパワーアップした彼らの活躍が眩しい。ステイシーの存在感にやや押され気味なツーカイザーも心情描写でしっかりと存在感をアピール。ここからは介人の両親に更に迫っていき、縦軸の要素がぐんぐん強くなっていく。テニスカイの足音が近づいてくる…。

 

 

 

 

機界戦隊ゼンカイジャー感想③ 第13カイ~第18カイ

スーパー戦隊シリーズ 機界戦隊ゼンカイジャー Blu-ray COLLECTION 2

 

1クールが終了しながらも、まだまだ登場したばかりのゾックスの暴走が止まらない。

ステイシーにも転機が訪れ、ゼンカイジャー、ゴールドツイカー一家、ステイシー、トジテンド4勢力の構図が徐々に浮き彫りになっていく第18カイまでの感想を。

 

 

・第13カイ!リサイクルすりゃもう一回!

今回の敵はリサイクルワルド。怒涛の販促…そして販促すらほとんどされていないステイシーザーの登場などでさすがに予算が嵩んだのか、ゴミワルドにリサイクルマークを付けただけの怪人を登場させ、再生怪人回をする気持ちの強さ。

 

このカイでもまだ、ゾックスの追加戦士としての厄介さが強調されている。クダックに変えられた人間たちが持つトジルギアを奪うため、人間クダックにも容赦なく攻撃を加えるゾックスと、それを止めようとする介人達。前回に引き続き、介人には家族を救いたいというゾックスの気持ちが痛いほど分かるからこその、「回収は俺たちがやるから!」と相手の意思を尊重した折衷案の提示。そこからサンバに繋がるのは本当に意味が分からないんだけど、その暗くなりすぎない演出こそがゼンカイジャーの良さ。

 

相手も傷つけない、自分も納得のいく、そんな方法を全力全開で探し出す介人だからこそ、きっと4人もゾックスも惹かれているのだろう。今回で結ばれたゾックスとの絆は、次の第14カイにも持ち越されていく。

 

このカイもそうだが、介人は本当に相手の意思を尊重した上で自分の正義を貫き通す解答を全力で取りにくるというか…。正解かどうかではなくて、とにかく全力でっていう姿勢が、やはり彼をヒーローたらしめているのだと思う。キラメイレッドも同じタイプではあったけど、そこにしっかりと彼なりの独創性やセンスが入っていて。ただ介人はとにかく方法が馬鹿げてしまうのだけど、それが個性になっている感覚。

 

敵がリサイクルワルドということもあってか、ゼンカイジャーという番組の魅力をもう一度再提示するようなカイでもあったように思う。

 

今回はツーカイオーリッキーが初登場。しかし、前回お株を奪われたことに腹を立てたかのように、再びバトルシーザーロボにステイシーが搭乗し、なんとダイリサイクルワルドを撃破。何事にも全力全開な介人と、家族を救うためならどんなことをも厭わないゾックス。この2人がメインで話が進むからこそ、身の振り方を決められないステイシーの葛藤は、なんとも言えない哀愁を醸し出す。

 

 

 

・第14カイ!決闘!ゼンカイVSツーカイ!

ステイシーがゾックス達に協力を持ち掛け、ツーカイザーとゼンカイザーが勝負をすることに。実はステイシーは邪魔なゼンカイザーをゾックスに倒してもらおうとしていただけなのだが、そこはヒーローサイドが一枚上手。「こいつらの方が面白いから」という理由でステイシーを裏切ったゾックス。結局何もかもから見放されるステイシー…。

 

ゼンカイザーとツーカイザーの対決は、お芝居にしても本気だとしても、ダンス対決が始まったりといつものノリなので、そこまで深刻にならず。ただ、いつも以上にセンタイギアをふんだんに使ったアクションは、見どころ満載だった。

介人とゾックスの絆が試されるカイでもある。これまでゾックスの海賊らしい暴挙を介人がどうにかフォローするという流れが続いていたが、ここに来てゾックスが介人達を認めていることが明らかに。

 

ステイシー、確かに『ゼンカイジャー』という番組の中で1人だけシリアスをやらされているというメタ的な面白さが強いだけで、面白い人物かどうかで言うと、かなり面倒な中二病患者ではある。そういう意味ではゾックスの意見も正しいかもしれない。しかしこっちはトジテンドですら誰にも相手をしてもらえないステイシーの悲哀を知っているわけで…。ほぼ初対面のゾックスにすら暗に「つまんねえ」と言われる彼の心中に、どうしても同情してしまう。早く来てくれ、テニス回…。

 

 

 

・第15カイ!ガチョーン!レトロに急旋回!

このカイ、他のカイに比べるとそこまでのインパクトはない(というか他が強すぎる)のだが、私はかなりお気に入りのカイでもある。

レトロワルドの能力により、街がレトロ(大正や昭和初期っぽいけど色々混ざってもいる)な雰囲気にされ、当初は懐かしんだり楽しんだりしていた人々。しかし、レトロワルドの能力はそれだけで終わらなかった。レトロな世界に浸ってしまった人々は、戻りたい過去に囚われ、無気力になってしまう…。

 

東映のHPにもあったが、観ながら「絶対撮影大変だったろうに…」と裏側の事情を察してしまう。この記事を書きながら毎週分を一気にチェックしているものの、ゼンカイジャーは表面的なこと以外でも革新的な番組だったんだなあということを強く実感する。撮影方法とか技術とかも、かなり凝っていて感心させられることがほとんどである。

 

レトロワルドによりゼンカイジャーもツーカイザーも無力化されると思いきや、キカイノイドの4人には、実は戻りたい過去などなかった!というオチが最高。勇気を出せなかったり、トジテンドにひたすら虐げられていた彼らにとっては、介人と共に戦っている今こそが人生で一番楽しい時なんだ、誰もが過去を懐かしむと思うな!というのが本当に堪らない。それでいて過去に囚われる介人達を愚者として扱うでもなく、戻りたい過去があるのは良いこと、進みたい未来があるのも良いことと、どちらも立てる構成になってるのが感動してしまう。

 

介人もゾックスも、戻りたい過去、取り戻したいものがあるからこそ、今を全力で楽しく生きようとしている。過去は未来へと進む原動力にもなるけど、過去がなくたって未来を楽しくはできる。そんな強いメッセージを受け取れるカイだった。後、タイムレンジャーギアを使ってのジュランの「俺たちは今を生きる未来人なんで、よろしこ!」というセリフ、アドリブらしいけどマジで気が利きすぎてて痺れる…。

 

ゼンカイジャー、各話単位で「答え」を出さないのがすごくいいなあと思っていて。物語として「これが正しいよ」と伝えることはあまりなく、強いて言えば「個性を受け入れよう」という多様性の話になっているのだと思う。正しいものを提示するのではなく、多様な価値観の一つ一つを、傷つけないように押さえないようにと、それぞれの価値観の良さを引き立て合う構成になっていて。

これが意図的なのか結果論なのかは分からないけど、キャラクターの魅力が本当に素晴らしい作品だなと、強く実感させられた第15カイだった。

 

そして、これまでトジテンドにも物語にも虐げられ続けてきたステイシーにも新たな出会いが。レトロな世界で自身の母の面影を持つやっちゃんと出会ったことで、彼の運命の歯車が急激に動き出していく。

 

 

 

・第16カイ!磁石シャクだぜもう限界!

ジシャクワルドの能力に振り回されるゼンカイジャー。特にキカイノイドの4人はゾックスの母艦までをも磁力で引き寄せてしまう程の大ピンチに陥る。勝ち方がジョジョ3部と全く同じなことに笑ってしまうが、このカイの見所は何よりもステイシーのカラフル初来店である。

 

ゼンカイジャーもゴールドツイカー一家も、既に「何をしても面白い」の域にまで達しているこの番組。彼らのせいで逆説的に1人悲哀を背負うステイシーすらもその領域に突入してしまう。何も知らず、ただやっちゃんに会うためだけにカラフルに来店。変装もせず堂々とサンデーを食べているところに、ゼンカイジャーの5人が帰宅。サトシと偽りその後も堂々と店に居座るステイシー。こんな面白い展開があるだろうか?

 

ステイシーはバラシタラの息子という出自を持つが、母親を失い、心境としてはジュランやガオーン達、トジテンドに虐げられていた庶民キカイノイド達と何ら変わらない。ただ違うのは、トジテンドに属しているという境遇だけである。自分たちを虐げてきたトジテンドを倒す、大切な人々を守る、という大きな目的を持ってゼンカイジャーに加入したジュラン達だが、ステイシーには自身がトジテンドとして人々を苦しめてきたという自責の念がある。

 

友も仲間もいなかったステイシーにとって、父親であるバラシタラの存在は、良くも悪くも大きくなってしまったのだろう。亡くなった母親のことを想うことはあっても、過去はもう戻らない。彼にとってはトジテンドこそが唯一の居場所なのだ。だが更に辛いのは、彼自身本当にトジテンドを居場所だとは思っておらず、消去法での選択でただ居座っているだけという事実…。

 

 

 

・第17カイ!ぬぬっとオカルト同好会!

ジーヌカイと見せかけて地味に透明にされたジュランの活躍が光るカイ。改めて観ると、既にゲゲが甘ったるい声で不穏な動きを見せていたりして、既に正体の伏線が張られていたことに驚く。この頃から色々決まっていたわけではないかもしれないが、ゲゲが重要なキャラになるかも、くらいは織り込み済みだったのかも。

 

レトロワルドのカイもそうだが、この頃から単発ゲストが出るようになり、往年のスーパー戦隊らしさもある。学校の怪談を確かめようとする無邪気な子どもたちの夢が壊されないかと心配するマジーヌ。オカルト好きで周りに馴染めなかったからこそ、そうした子ども達への理解と愛情は誰よりも深い。孤独にそうして寄り添えるのが、彼女の強みでもある。

 

トウメイワルドに恨みを募らせるマジーヌも面白いのだが、それだけで終わらないのがゼンカイジャー。トウメイワルドによりトウメイにされてしまったジュランは、結局変身も名乗りも透明でやらされ、撃破するまでずっと透明。必殺技でも横並びでもちゃんとジュランの立ち位置を空白にする等の演出の妙で、逆に存在感が強調される面白さ。この辺りのユーモアも本当にさすがだよなと感動する。

 

そしてゼンカイジャー名物、ひたすらギャグをやって最後の最後、次回予告直前に一瞬挟まれるステイシーのシリアスパート。「僕は一体どうしたいんだ」という一言のセリフだけなのにこんなに面白くなってしまうのは最早お家芸である。

 

 

 

・第18カイ!いのち短し、恋せよゼンカイ!

17カイをマジーヌカイとするならば、今回はブルーンカイ…どころじゃなかった。レンアイワルド(デザインのキューピッドが秀逸すぎる…!)の能力により、人々は次々と恋愛を始める。ジュランとガオーンが、マジーヌとフリントが、ゾックスはシンガーソングライターっぽいキカイノイドと、介人はやっちゃんの新作サンデーに…。そしてブルーンは介人の中学時代の同級生・花恋に惚れてしまう。

 

ゼンカイジャーはギャグ戦隊だのカオスだのと言われているが、このカイはそれを象徴するカイでもあったと思う。基本が笑えるノリの戦隊が更にブーストをかけると、ここまでのものができるとは…。このカイの良いところは、それぞれの個性が爆発しているところ。「いつものメンバーが変なことをしている…」という笑いではなくて、「この人たちが恋愛をしたらきっとマジでこうなんだろうな」というある意味めちゃくちゃキャラクターへのリアリティに溢れたカイなのだ。

 

介人が片想いをしたらきっと全力でベタベタして空回りしてしまうだろうし、ゾックスはああいう気障なセリフを平気で吐くし、ブルーンのぎこちなさもよく分かる。ジュランとガオーンのいちゃつき具合は観ているだけで面白い。ここまで全ての脚本を担当してきた香村さんだからこそできる解像度抜群の恋愛カイである。

 

ジェットマンギアの能力がちょっと過剰すぎないかと物議を醸してもいたが、正直あれだけ切り取ってゼンカイジャーという番組を判断するのは違うなとも思っている。このカイはゼンカイジャーという基本がギャグの番組の中でも屈指のギャグカイ。だからこそのあの演出であるわけだから、不快に思う人はいるかもしれないが、それはあくまでゼンカイジャーのいつものテイストとはちょっとずれているわけだし。

 

ちなみに個人的にはジェットマンギアは最高だった。元ネタを知っている身としては、あそこまでの再現度の高さにまず笑ってしまうし、これまであくまで「ヘンテコな技」を重ねてきただけのセンタイギアが、ああいう使われ方で度肝を抜こうとしていることも面白い。

 

 

・最後に

なんとなく6話分で区切ってしまったが、14話までで一通りの販促とキャラクター説明が終わり、15話からがゼンカイジャー第2部のスタートという感がある。何が劇的に変わったかというと、ゾックスがゼンカイジャーを認め、ステイシーとやっちゃんが出会ったということなのだけれど…。ステイシーの葛藤はそれ自体が物語をぐんぐんと前へ進めてくれるわけではないのだが、これから起きる様々な要素にきちんと濃いめの味付けをしてくれる。

こうして振り返って観ていても細かい内容を忘れているカイがあったりするので、本当に面白い。

 

 

 

機界戦隊ゼンカイジャー感想② 第5カイ~第12カイ

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最終回に間に合うように『機界戦隊ゼンカイジャー』という素晴らしい作品を振り返ろうと第4カイまでの感想記事を書いたはいいものの、日付は過ぎ、既に最終回まであと7日しか残されていない。

果たして無事にこの感想を完走することができるのか…。

とにかく全力全カーーーーイで行くしかないので、今回は一気に8カイ分の感想を。ステイシー登場にゾックス登場にと話題に事欠かない1クール目を一気に駆け抜けた。

 

 

・第5カイ!握り握られスシ大会!

ゼンカイジャーが5人揃ったところで突然放り込まれた寿司カイ。『仮面ライダーゼロワン』も第3話で寿司職人ヒューマギアをやっていたりと、令和のニチアサは何故か序盤に寿司を持ってくる傾向がある。

今回の敵はスシワルド。人や物を握ってくっつけ、身動きを取れなくしてしまうという能力を持った怪人。それにより、介人とジュランが背中合わせにくっついてしまい、他の3人はスシワルドをおびき寄せるため、とっておきの酢飯を作ることになる。

 

あらすじを紹介しているだけで頭が痛くなりそうなカイだが、全力でふざけつつも、中身はかなりシリアス目。5人の仲間が揃ったことで、再度ジュランと介人の関係性を見直そうという筋書きだ。

前回のラスト、ブルーンの言葉により、行方不明だった介人の両親が、トジテンドに誘拐されたかもしれないという疑惑が浮上した。長年求め続けた両親の行方に近づけるかもしれない、トジテンドから一刻も早く救い出さなければという焦りもあって、介人はうまく戦えなくなってしまう。

 

スシワルドに握られた後に我を忘れていた自分に気付き、人々のことまで考えきれなかったと呟く介人。そこでジュランが「そんなの当たり前だろ!俺たちもちゃんと巻き込めよ!」というのがもう最高で最高で。

周りに事情を話さず一人で抱えて一人で片付けることこそがヒーローの美学という側面もあるが、ゼンカイジャーは家族の物語なので、それを良しとしない。まして兄貴肌でもあるジュランは、頼られないことで周りが抱える寂しさを知っているのだ。せっかくの仲間なんだから、一緒に戦おうぜ、一緒にやろうぜ、ということを、重苦しい雰囲気にせず、さりげなく言葉に出来るジュランのキャラクターが光る第5カイ。

シンケンジャーが1年積み上げてきながら、影武者の登場でぶっ壊した展開を、既に第5カイでやってしまう辺りが、とってもゼンカイジャーらしい。

 

 

 

・第6カイ!不快不可解ゴミあつかい!

スシワルドの次はゴミワルド。街中をゴミだらけにし、発するゴミ電波によって人々を無気力にしてしまうという、これまた恐るべき怪人。私も部屋が適度に片付いていないと何事もやる気が起きない人間なので、気持ちはよく分かる。

 

このカイは、マジーヌとブルーンを軸に据えたカイ。前の記事で、「ゼンカイジャーは戦隊お馴染みの個人回がない」と言い切っちゃったのだが、さすがに序盤はちゃんとあったので反省。前回ガオーンに言われるがままに酢飯づくりに勤しんだ二人の性格のちぐはぐさが、しっかりと強調されるカイだった。

 

スーパー戦隊では凸凹コンビが互いを認め合う展開はお馴染み。『メガレンジャー』のレッドとブルーなんかが個人的には印象深い。今回は、部屋を片付けられない大雑把な性格のマジーヌと、お掃除大好きなブルーンの活躍が光る。ゴミワルドに対して、ひたすら片付けて道を切り開いたブルーンと、汚部屋で生活してきたからこそ危機を乗り越えられたマジーヌ。

 

どちらが正解と言うでもなく、互いを認め合う展開は王道だが、1年かけて「家族」の物語を提示するゼンカイジャーにおいては、結構重要なカイでもあると思う。おふざけ名乗りも段々と板についてきた。強調されるメンバーがいると、他のメンバーはひたすら賑やかしに徹するのも、この作品の良いところである。

 

本当に少しだけだが、ステイシーが初登場。ちょっと高いところにいるのは悪役の性だが、ポーズも意味不明で笑っちゃうんだよな…。

 

 

 

 

・第7カイ!魔界の王子は気がみじかい!

満を持して、ステイシーザーが登場!元々の想定にはなかったというのが嘘にしか聞こえないレベルで物語を牽引してくれたキャラクターの記念すべき初変身。ステイシーのいないゼンカイジャーなんて今だったら本当に考えられない…。

 

ゼンカイジャーもゾックスもワルドも好き勝手にふざけるせいで、番組のシリアス成分を一手に引き受けることになり、境遇の不幸さと不器用さも相俟ってついつい応援したくなる中二病キャラ。そんな彼のどこまでも中二病を極めたかのような暗黒チェンジ。初登場にしては戦隊をバンバン召喚し、ロボもバンバン登場させ、ゼンカイジャーをピンチに陥らせる。

 

ゼンカイジャーにおける過去戦隊要素は、ギア使用による技の再現くらいのものだったのに、まさかまさかのライバルキャラは仮面ライダーディエンドの如く次々とヒーローを召喚。更にロボまで召喚。しかもひたすら出す。ヒーローが利用される云々以前に、あまりの数の差に絶望感が凄まじいカイ。ロボを大量に出した後に次回に持ち越すの、本当にどうなることかと思った…。

 

ドラマパートでは、ステイシーザーの登場により、戦うことを躊躇した介人とガオーンの葛藤がメイン。ステイシーや過去ヒーローはトジテンドではなく人間なのではと考えてしまうと、ついつい手が出せなくなる2人。これを弱さとして描かず、2人の戦う決意を重苦しく描くでもなく、何なら「迷わずに戦えるジュラン達はすごいよ」と、残りのメンバーを立てることすら忘れない構成に脱帽。

 

もう少し前なら、というか平成ライダーなら「あいつらは人間かもしれないんだぞ!」とチーム内で意見が割れて険悪ムードになるパターンにまっしぐらに突入していく展開。しかし『ゼンカイジャー』はそんな古い価値観は既に捨てているし、強気に仲間を説得しようなんて考えのメンバーはいない。彼らは自分の意見を添えた上で、お互いに分かり合おうと、歩み寄ろうとする姿勢を忘れない。

 

困ったらフォローする、間違いそうだったら優しく伝える。これができる関係性って、本当に貴重だと思うし、ゼンカイジャーのそういうところには、他のヒーロー番組にはない優しさがあると思っている。

 

 

 

・第8カイ!ドアtoドアで別世界?!

ステイシーザーの猛攻は、ギアトジンガーの消耗という形であっけなく幕を下ろす。間一髪のところでピンチから抜け出したゼンカイジャーへのトジテンドからの次なる刺客は、ドアワルド。ドアを開ける度にどこかに飛ばされてしまうという展開も、戦隊で何度かあったもの。次々と海外へ飛ばされるゼンカイジャー。

 

何とかステイシーと再会した介人だったが、両親のことで嫌味をぶつけるステイシーに激昂。いやしかしこれはステイシーの煽りスキルが低すぎる。介人が単純な性格だったからこそ良かったものの、彼の出自を思うと全部空回って聞こえるし、ただ妬み嫉みを言い連ねているだけにしかなっていない。そこがまた哀愁を誘うステイシー。

 

バラシタラの息子であり、人間とキカイノイドのハーフ。父親であるバラシタラからは見放され、トジテンドでも不遇な扱いを受ける彼の闇が、存分に表現されていた第7カイと第8カイ…と思ったのも束の間、より強力な個性を持つ男・ゾックス・ゴールドツイカーことツーカイザーの登場により、事態は更なるカオスへと突入する。

 

ステイシーザーとの戦いに割り込んできた歌って踊る謎の男が突如ゴーカイジャー似の金色の戦士に変身し、先週登場したばかりのステイシーザーをボコボコにするシーンは、涙なしでは見られない。ゼンカイジャー全編を通して、私が最も衝撃を受けたのも、このカイである。

 

通常追加戦士の登場は20話前後。早くても1クール終わりくらいなのだが、第8話にしてツーカイザーは登場し、出来立てほやほやの新キャラに殴り掛かっていく。スーパー戦隊のお約束、そして様式美でもあった悪役ライバルと追加戦士。それらを例年より早い段階で畳みかけるように登場させ、しかも各キャラがギャグとシリアス、両極端に絶大なインパクトを誇るという、話題に事欠かないセンセーショナルな展開。

 

お約束をぶち破ってやろうという白倉Pの意気込みを感じられる第8カイは、ゾックスのダンスもあって、かなりお気に入りなカイでもある。

 

 

 

・第9カイ!世界海賊、愉快ツーカイ!

ステイシーザー登場、ツーカイザー登場。今回はツーカイザー含めたゴールドツイカー側のキャラ説明を丁寧にするのか…と予想した矢先で突然放たれたカシワモチワルド。ツーカイザーの歌って踊るインパクトも、ステイシーザーのあっけない幕引きも、初登場のフリント達も、全てこのカシワモチワルドが持って行ってしまう。

 

人々が柏餅への欲求を抑えられなくなり、柏餅を手に入れるためなら何でもするようになるという洗脳系の攻撃を放つカシワモチワルド。初登場のフリントですら、ずっと柏餅を食べ続けてしまう。桜餅と間違えたり、柏餅の転売など、細かい芸も挟みつつ、人々にひたすら追われるゼンカイジャーというなかなかにピンチなカイでもあった。

 

しかし当然おふざけ一辺倒ではなく、販促もストーリーもしっかり進めるのが『ゼンカイジャー』。ツーカイザーのシンケンフォームとオーレンフォーム、どちらも不思議な踊りとBGMが癖になる強キャラ。戦闘スタイルの違いをしっかりと打ち出しつつも、そもそも超力って何ぞや、とオーレンジャーアイデンティティを揺るがしているような気がしなくもない。

 

ストーリーとしては、ゼンカイザーとゾックスの一騎打ちが見どころ。勝負はカシワモチワルドの登場によって一旦保留となるものの、ゼンカイザーが偶然にもカシワモチワルドの能力を無効化していたことに気付いたゾックスは、勝負の負けを認める。これによりゴールドツイカー一家の海賊的振る舞いはなしに。それにより、ゾックスの借りはしっかりと返す、約束はきちんと果たすという律義な一面が明らかになる。どれだけふざけたカイだろうと、芯を一本通すことは忘れない姿勢。ゼンカイジャーのこういう、「しっかりふざけてしっかり落とす」取捨選択とコントラストが本当に堪らない。

 

 

 

 

・第10カイ!お昼も夜でもブルースカイ!

カシワモチに続くは、マヒルワルド。マヒルワルドの能力で、夜でも明るくなってしまう地球。天体にまで影響を及ぼすなかなかのスケール感。前回が柏餅だっただけに、一気にグレードアップである。

 

このカイでは、ゴールドツイカー一家の目的が明らかに。SDトピアでドジを踏み、SDの姿になってしまった双子の弟、カッタナーとリッキーを元の姿に戻すために、戦っていたのだ。SDトピアに戻るためには、SDトピアをトジルギアに封印してしまったトジテンドを倒すしかない。だからこそ、彼らはトジテンドと戦う決意を固めたのだった。

 

そのこともあってか、無茶苦茶な戦い方で人々への被害や周囲への迷惑を全く顧みないゾックスの姿勢に、介人は思い悩む。これに関しても強く説得するでなく、スシワルド戦の葛藤と合わせて、「家族のことになると前が見えなくなる時あるよな…」と相手に寄り添う姿勢が本当に素晴らしい。介人、若いのに人間が出来過ぎている。

 

その上で、ゾックスが好き勝手戦ったとしても、ゼンカイジャー5人がちゃんと人々を守るから安心してくれ!と言う答えを出すのが、いかにも介人らしいというか。この番組らしいというか。この天真爛漫さが、これからゾックスの心をも動かしていくことになるのを知っている身としては、なんとも楽しいカイだった。

 

演出的には、地下道で体育座りをしているマヒルワルドと、そこにいきなり歌って現れ踊って変身するゾックスが最高。

 

 

 

・第11カイ!渡る世間は鬼ゴッコかい?!

「鬼ゴッコかい?!」なんて言われても…となってしまうサブタイトル。オニゴッコワルドの能力により、タッチされた者は次々と鬼となり、仲間を増やしていくこれまたカオスなカイ。この第11カイと続く第12カイは、ゾックスの妹であるフリントに焦点が当てられている。自分をかばって鬼になった双子の弟に、SDになってしまった時の後悔を重ねるフリント。

 

フリントは結局最後まで追加戦士になることはなかったが、メインで唯一の女性素面キャラとして、作品の元気印として、ゴールドツイカー一家のメカニックとして、本当に良いキャラクターだったなと思う。変身ヒーロー以外にもスポットを当てていき、キャラクターを掘り下げるのは、ゼンカイジャーだからできることでもある。フリントを掘り下げることが、結果的にゾックスを掘り下げることにも繋がっていて、一家の絆が感じられる構成はさすが。

 

彼女の活躍によりツーカイザーもセンタイギアを使えるようになり、主に追加戦士の技などを発動できるように。初手がゲキチョッパーなのがなんかいい。

 

 

 

・第12カイ!ノロノロマイマイ、カタイ貝!

タツムリワルドにより、人々がノロノロになってしまい、ジュランとマジーヌ、そしてゾックスまでもが巻き込まれてしまう。ゾックスを快く思わないジュランとマジーヌだが、共にノロノロにされたことで接する機会ができるというのが、なんともゼンカイジャーらしい。

 

このノロノロの演出もすごくバカバカしくて大好き。同じロケーションでゆっくり動いて、後から声を入れればいいだけなので、コロナ対策としてもかなり良かったのではないだろうか。

 

そしてこのカイ、しばらく鳴りを潜めていたステイシーが再登場し、イジルデが開発した巨大ロボ・バトルシーザーロボがようやく登場するのに、やはり販促には勝つことができない。フリントが巨大空母をパワーアップさせ、ツーカイオーカッタナーが完成。ここまでツーカイザーに美味しいところを持っていかれると、既に可哀想なステイシーが本当に哀れに見えてしまう。「今日はここまでにしておいてやろう」というセリフも、もはやお似合いにすら聞こえてくる。

 

フリントの知的な一面が役立つカイでもあり、ゾックスとジュラン達の仲間への価値観が擦り合わされる重要なカイでもある。ゾックスにとっては妹と弟たちはあくまで守る対象。一家の長として、彼らに危険が及ばないように、最終的にケツ持ちは自分がやると、矜持を持っている。

 

大してジュラン達は、「それってフリント達は寂しいんじゃないの?」と問いを投げかける。5人で難局を乗り越えてきた、5人だからこそ乗り越えられたと強く信じる彼がそこに切り込むことも素晴らしいが、単発カイですぐに答えを提示しない辺りにもセンスを感じてしまう。このセリフは第5カイのスシワルド戦にも繋がっており、ジュランは隠しごとをされたり、1人で悩まれたりということが大嫌いなのだろう。家族なら、仲間なら、1人で背負い込まず相談するべきだと、そう考えているのだ。

 

だからこそのムードメーカーで、相手が話しやすいような雰囲気を作ることを心掛けているのかもしれない。そういうのって本当に大切だし、ジュランみたいな年長者の存在が、どれほどの若者を救うことに繋がるか…!そういう意味でジュランは本当に大好きなキャラクターである。

 

 

 

 

・最後に

前回の記事よりも中身が薄いものになってしまったかもしれないが、今回はゼンカイジャー全体の話というよりは、各話各話で感じたことをそのまま綴ることにした。第5カイから第12カイは本当に怒涛の展開で、ステイシーの悲哀が物語を引き立て、ツーカイザーの衝撃がその悲哀すらもぶち壊してしまうという、スクラップビルドな構成だった。しかし撒かれた種はまだ芽を出したばかり。これから40話近くかけて、キャラクターは徐々に成長していくのだ。何とか最終回までには一通りの感想を上げたいところ…。

 

 

 

機界戦隊ゼンカイジャー感想① 映画・第1カイ~第4カイ・スピンオフ

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『機界戦隊ゼンカイジャー』が最終回を迎えようとしている。この記事を書いている時点で、残すところあと2カイ。例年以上に早く感じるのは、きっと『ゼンカイジャー』という作品にのめり込んでいたからなのだろう。

 

そんな『ゼンカイジャー』最終回に向けて初回から観返した上で、いろいろと感想を書いていく備忘録の第1カイ。

 

 

 

『機界戦隊ゼンカイジャー THE MOVIE 赤い戦い!オール戦隊大集会!』

 

実質映像媒体での初お披露目となった、初回放送前の劇場版。リュウソウジャーの後日譚やキラメイジャーとの合作で、3作目に上映されるのがこの作品。タイトルが「大集会!」と占められていて、TVシリーズのサブタイトルとしっかり共通させていたことに今更気づく。

 

1年前の『魔進戦隊キラメイジャー』がやったような「エピソードZERO」方式ではなく、6話と7話の間くらいの時系列のため、既にゼンカイジャーは5人。役者は揃っている状況。

 

今観ると、冒頭で5人のアクションがしっかりあって、しかもちゃんとした名乗りシーンがあることに驚かされる。ゼンカイジャー本編ではスーパー戦隊のお決まりである名乗りを、わざと「ハズす」ことが様式美になっていたが、初お披露目となる今作ではしっかりやっていたのだ。

これが異常であることに気付くのは、本編にギアが入ってから。収録も最初だったということもあってか、マジーヌのキャラもどことなく本編と違うような気がする。オタク度が薄く、普通のドジっ子くらいの印象を受ける。

 

全体的にコメディチックではあるんだけど、「ゼンカイジャーの初お披露目」をちょっと笑かす風にやってみました!くらいの勢いで、本編に比べればまだまだマトモなほうだなあと思う。

というのも、今回のワルドは44作全てのラスボスの力を備えた(?)スーパー悪者ワルド。語尾が「悪者」で関智一

ゼンカイジャーのコミカルさはつまるところ、ゲスト怪人であるワルドの個性に依拠しているような点があって。柏餅とかゴミとか正月とか、怪人のユニークな侵略方法に、介人達が呑まれながらもユーモラスに戦うっていうのが、『ゼンカイジャー』のコメディの作り方だと感じている。

 

スーパー悪者ワルド、確かに名前は笑っちゃうけど、ラスボス達を召喚するというストレートな能力を持った怪人なので、この映画はそこまでカオスになってはいない。むしろ「1人の人間と4人のキカイノイド」「ゼンカイザーは赤じゃなくて白」みたいな、表面的なインパクトに磨きをかけるような作風になっているとも思う。

 

初鑑賞の際に一番興奮したのは変身シーン。ゴレンジャー由来の「バンバン!」という音に合わせてクルっと回って「バン!」と撃って…という一連の流れに感動した記憶がある。

テレビ本編ではクルっと回ることが少なくなったので、今改めて観ても結構感動した。

 

後は、スーパー悪者ワルドのデザインは東映御用達の篠原保さん。44作品のラスボスの意匠が各部位に施されているのだけれど、両腕の曽我町子ビームでめちゃくちゃ笑ってしまう。やっぱり偉大な女優さんなんだなあと痛感。

 

 

 

 

 

第1カイ! キカイ世界はキキカイカイ!

記念すべき第1カイ。正直制作発表の時点で十分インパクトがあったし、映画も観てるしでもう驚くことはないだろうと思っていた。しかし蓋を開けてみるとまさかの、1話で1人ずつ仲間が増えるシステム。色々な戦隊が試みながらも、近年ではなかなかできなかった手法でもある。キョウリュウジャーは一旦集合しながらも、素面の姿で出会うまでには数話を要した。キュウレンジャーは9人スタートと言いつつ、初回は5人で徐々に仲間を増やしていくシステムだった。

 

やはりスポンサーや東映としても、5人は初っ端から出してほしい…みたいなところがあるのだろう。『ONE PIECE』のように、丁寧に仲間集めをしている時間はない。それはきっとロボや武器の販促を早めに進めたいという側面も関係しているはずだ。

 

しかし『ゼンカイジャー』、そうした暗黙の了解を取っ払い、4話かけて5人となっていく。背景には、素面役者が介人しかいないということもあったのかもしれない。おかげで、1話ずつきちんとキャラクターが掘り下げられていく。何なら、5話以降は各キャラを掘り下げることすら少なくなる。これが『ゼンカイジャー』の特異な点でもあり、強みなのだとも思う。

 

多くのスーパー戦隊は、1年かけて「戦隊」になることの意義を説いていく。それぞれトラウマや悩みを抱えた5人が、互いに支え合い一つになっていく。そこに追加戦士や敵勢力の増強、後は何かレッドの父親登場とか…。そういったターニングポイントで、更に絆を強めていくような、そんな作品が多い。

 

逆に言えばこれは観ているこちら側の怠慢でもあったのかもしれない。1クールが終わった頃に1度集大成的な回が入る、もしくは追加戦士がちょっと早めの登場。追加戦士は20話前後くらいの時も。追加戦士のロボがメインロボと合体して…その頃に敵側にも新たな幹部怪人が登場して…30話辺りでメイン5人がパワーアップ…と、例年の販促スケジュールから何となく展開を予想して、そこには各作品の様々な特色が押し出ているけど、結局は様式美をただ思考せず受け入れているということでもある。

 

白倉Pは、そんなマンネリを打破して戦隊が培ってきたものの中から取捨選択をしていきたい、と放送開始当時の各所のインタビューで言っていた。人間が1人という表面的なことだけでなく、スーパー戦隊の精神性すらも説いていきたいと。最終回が近づいてくる今、その試みはしっかりと成功したなあと強く感じる。

 

というのも、『ゼンカイジャー』ってアレに似てるよね、という意見をあまり聞かない。白倉Pがメインで戦隊を仕切るのが初ということもあるだろうが、ここまで作風が独特な作品もあまりない。例えばスーパー戦隊は脚本家繋がりで紹介されることがある。『シンケンジャー』が好きなら、同じ小林脚本の『トッキュウジャー』など。

 

しかしこの『ゼンカイジャー』。次にオススメできるものが全くない。これはもう『仮面ライダークウガ』や『シン・ゴジラ』が到達した域。かなり面白いのに、作風がシリーズの他の作品と異なり過ぎるが故に、次に薦めるものに悩んでしまうという現象が起きている。ただ、『ゼンカイジャー』はアニバーサリー作品。劇中で過去のスーパー戦隊が語られ、過去戦隊の技や特徴を好き勝手イジっているので、その中から気になったものをピックアップすることができる。これはかなり凄いことであると、私は思う。

 

そしてゼンカイジャーの特異性の話に戻る。4話かけて5人となるゼンカイジャーだが、これ以降、各キャラクターの掘り下げは最低限に留まる。強いて言えば、ガオーンがキカイノイドの3人を受け入れていく、というくらい。

 

スーパー戦隊は基本的に1話完結で、大概が「ブルー回」「イエロー回」と、各話でメインを張るキャラクターが決まっている。一通り終わると、「ブルー×イエロー回」「レッド×グリーン回」など、組み合わせのパターンが始まり、繰り返される。追加戦士が入ると、追加戦士と各5人の組み合わせに5話分まるっと使うなんてことも少なくない。

 

だがゼンカイジャーは意図的にそのシステムを排している。この変革こそが、アンチが多いことに繋がっているのかもしれない。

 

『ゼンカイジャー』の作風は、「5人(戦隊)になる」ということではなくて、「5人(戦隊)である」という点に重きを置いているのだ。一人一人が抱える葛藤よりも、ちょっとおかしな5人が力を合わせて難局を乗り越える面白さに、ステータスを全振りしている。それを「ふざけすぎ」と罵るか、「革命」と称賛するかは自由だが、この一点がゼンカイジャーの特筆すべき点であることは間違いないだろう。

ちなみに、その分葛藤やトラウマ、出自への悩みなどのシリアスパートは、ほとんどステイシーが抱えることになってしまった。

 

白倉Pは、「キャラクターものにしていきたい」ということを言っていて、要は縦軸の強さよりも、その場その場を全力全開で生きていく介人たちを描いていきたいということなのだと思う。これは平成ライダーで言う「Over Quartzer」でもあり、白倉Pお得意の手法。キャラクターに愛着・含み・一貫性を持たせることで、キャラクターが何をしても面白いの領域にまで持っていってしまう。香村脚本の魅力と素晴らしい縦軸も相俟って、目論見が成功した奇跡的な作品だと、私は思っている。

 

と、全体的なことを語ってしまったが第1カイについて。キカイノイドの中だとジュランが最も好きなのだが、この回は世界観の説明や介人の紹介だけに甘んじることなく、しっかりとジュランという仲間の存在を強調している。

 

突然キカイトピアの一部と融合してしまった介人の世界。連れて来られたジュラン達キカイノイドは一ヶ月で馴染んでしまうものの、トジテンドの侵攻によって、それまで仲良く遊んでいた人々が、ジュランに怯えることになる。

そこでジュランは、「まあ、人間からしたら俺もトジテンドと変わらねえか…」という諦めじみた言葉を呟く。きっとジュランは長いものに巻かれるタイプなのだろう。内に野望や熱意を秘めながらも、トジテンドには勝てないという現実に、様々なものを諦めてきたのかもしれない。そんな彼に訪れたのが、介人との出会い。初対面の彼が放つ「あいつらとは違うだろ」の一言で、ジュランは戦う決心をする。

 

自分らしさを認めてくれることの喜び、そうした仲間がいることの嬉しさ。『ゼンカイジャー』という作品は、介人の世界以外全てがトジテンドの手中に収められているというディストピア状態からスタートする。自由に生きられなかった、生きることを諦めてすらいたジュランが、自分らしくあるために変身するシーンは、本当にかっこいい。

 

ゼンカイジャーはキャラクターを強く打ち出す作風でもあるため、各キャラの個性を認めることが非常に重要になってくる。そしてそれは、多様性の物語へと昇華されていくのだ。トジテンドという圧力からの解放、自由の謳歌、好きなものに全力でいられるように、というテーマ性が、この1話でジュランと介人を通してしっかりと描かれている。

 

 

 

 

第2カイ!ガオな野獣がごやっかい!

第2カイは、ガオーンが仲間入り。正直言うと、最初はかなり嫌いなキャラクターだった。それは単純に、好き嫌いが激しいからである。

 

キカイノイドでありながら、冷たくて固いキカイを愛せず、暖かくて柔らかい人間や動物たちを好むという、特殊性癖の持ち主。キカイノイドと人間のカップルとかも続々と登場するので、それくらいなら許せるのだが、ガオーンの愛情は差別にまで発展してしまっている。

介人とは積極的に話す…どころかボディタッチまで遠慮もないのだが、ジュランの言葉は無視。明確な悪意を持った存在が、ヒーローとして描かれることに最初は違和感があった。

 

考えてみれば、ジュランのおじさんキャラもガオーンの異常性癖キャラも、人間キャストだったらかなり無理があっただろう。キャリアの少ない若手の役者さんに、ここまで分厚いキャラクターを押し付けるのは、作品としてもちぐはぐな印象になり、マイナスにしかならないはずだ。マジーヌやブルーンも含め、こうしたキャラクターはキカイノイドだからこそ生まれたとも言える。

 

当初は苦手だったガオーンだが、物語が進むにつれて態度は徐々に軟化していく。これについては該当回の感想で触れようと思う。

ただ終盤まで鑑賞した今の時点からだと、ガオーンの過去を様々に膨らますことが実はできる。というのも、ゼンカイジャーは前を向き続ける作品なので、キャラクターの過去を語らないのだ。

 

私は勝手に、ガオーンはかなり孤独な若者だったのではないかと思っている。踏み出す勇気を持てなかったマジーヌとはまた異なる、疎外感から来る孤独。性のあり方が見直されている現代においても、自身の性について葛藤を抱えている人は少なくないだろう。きっとガオーンは、キカイトピアでそうした悩みを1人抱えていたのではないだろうか。

 

冷たくて固いキカイしか存在しない世界で、何にも興味が持てず、何事にも熱心になることができず。恰好や言葉遣いも相俟って、そんな空虚なキャラクター性を保持しているように思えてしまうのだ。しかし彼の人生は、世界の融合によって一変する。

 

(おそらく)知らなかったであろう、人間や動物という未知の存在。自分が夢中になれるものを見つけたからこそ、第2カイでのあの態度があるのだと、私は思う。好きなものを見つけた時、好きなことに夢中になれた時、「生きている!」という強い喜びに身を包まれる経験が、誰しもあるはずだ。何だかやる気が出ない日に、偶然聴いた音楽が、スッと心に入ってきたりしたことがあるだろう。そしてそれは、正に運命の出会い。

 

ガオーンは「キカイノイドが嫌い」という側面が強調されてしまっていたが、そのパーソナリティに行き着いた背景には、我々の計り知れないほどの虚無感があるのかもしれないと、ふと思わされる。

特に説明があったわけでもないのにそうした深みを推し量ってしまうのは、本編で彼らが魅力的に描かれていたことの証左なのだろう。

 

キノコトピアというキノコの世界の存在が明らかとなり、人々の頭にキノコを生やすキノコワルドが登場。過去作で言えばまあ「ギャグ回」くらいの扱いだろうが、『ゼンカイジャー』においては、まだボルテージが上がりきってないなという印象すら受けてしまう。

 

アクション面でいうと、ガオーンの野性的なワイヤーアクションはかなり好き。ガオレンジャー世代というのもあるかもしれないが、あのシルエットだけでグッとくるものがある。

 

 

 

 

 

第3カイ!マジでぬぬぬな魔法使い!

 

ゼンカイジャーの紅一点、マジーヌが遂に仲間入り。最初は女性素面キャストがいない(やっちゃんは戦闘要員ではないので一旦ノーカウントで)ことに驚いたが、観れば観るほどマジーヌの動きと声と性格の可愛さに惚れていってしまう。このオタクキャラも、確かに素面キャストでやるにはちょっと厳しいかもしれないが、キカイノイドの姿と声優さんの声なら大丈夫なのだ。

 

この第3カイ、今観るとゼンカイジャーの中でもかなり堅実なカイとなっている印象を受ける。敵はコオリワルド。文字通り周囲を凍結させる能力を持っており、介人の世界を瞬時に氷漬けにしてしまうというハイレベルなワルドなのだ。

 

氷で滑って戦いづらい~というお決まりのギャグはあるものの、やはり前述した通りゼンカイジャーのギャグ度はワルドの個性によって決定づけられるところがあるので、他のカイに比べると、やや平凡な印象すら受けてしまう。これはおそらく、マジーヌが勇気を振り絞る姿が、丁寧に描かれていることも関係しているだろう。

 

内気で自分の趣味である占いを理解されないことを恐れた彼女は、なかなか友だちを作ることができなかった。人見知りでどう人と接していいか分からないという現代的な悩みを持つ彼女を救ったのは、どんなものでも認めて肯定してくれる介人の明るさだったのだ。

 

占いが自分の背中を押してくれたという大切な記憶を思い出し、自分を認めてくれた介人達の仲間になることを決意するマジーヌ。なんだろう…普通に良い話で泣けちゃうんだよなこのカイ…。マジーヌは自分からガツガツ動くキャラクターではないせいか、介人の明るさ、リーダー感が強く打ち出されるカイでもあったように思う。

 

特筆すべきは、東映公式サイトでも触れられていた新たな撮影方法、「リアルタイム合成」。要はグリーンバックで撮影した時点で、リアルタイムに合成を行うという手法なのだが、この第3カイは凍らされた世界の表現が、ほとんどその手法で行われている。こうした撮影方法や専門分野に関してはちんぷんかんぷんな私でも、明らかに「いつもと違う」と思わせてくれる映像は刺激的。

 

コロナ禍でなかなかロケが出来ないが故の代替案という側面もあるのだろうが、ゼンカイジャーはそういった部分でも戦隊に革命を起こそうとしているのだなという気概を感じるカイでもあった。

 

 

 

 

第4カイ!ブルブルでっかいおせっかい!

 

ゼンカイジャー5人目の仲間はトジテンドの掃除係、ブルーン。好奇心が全開で、知りたいと思ったことがあると、人に訊かずにはいられないというちょっと面倒な性格の持ち主。文化系なのにガツガツ来るしガタイが良い。ある意味一番暑苦しいメンバーかもしれない。そんな彼の元トジテンドという出自が、終盤であんな風に効いてくるなんて誰も思っていなかったじゃんかさ…。

 

このカイで、彼がトジテンドに入ったのは好奇心が故だったことが明かされるのだけど、これって結構ヤバいことだと私は思う。敵組織に居たという出自は、大概が潜入だったり洗脳だったりするわけだが、彼は自分の意思でトジテンドに入ったのだ。これはもう「人を殺す人の気持ちを知るため」とか言いながら殺人を犯すサイコパスレベル。ましてジュランやガオーンのように、トジテンドに虐げられていたキャラクターの過去を分かっているのだから尚更である。

 

しかしそんなことをものともしないのが介人。まあそもそも掃除係でしかなかったので、「トジテンドだろうが!」と否定する謂れもないと言えばそうなのだ。知りたいことを教えてくれなかったイジルデに対し、介人はブルーンの質問にも素直に答えてくれる。人と関わる中で、相手にどれだけの熱量を持てるかというのは非常に大切なこと。介人が自分にも全力全開で向き合ってくれていることを知ったブルーンは、反逆者としてトジテンドに立ち向かう。

 

これにより、ゼンカイジャー5人が集結。それと同時に、ボクシングワルドの能力も相俟って、ようやくゼンカイジャーのカオス度が平均値くらいに来たなという印象を受ける。頭の中でゴングが鳴ったら急にボクシングを始めてしまうようになる…正直滅茶苦茶すぎる。しかしカイを増すごとに、これが「普通」に思えてしまうのだから更に凄い。

 

白倉Pは、ゼンカイジャーが5人であることの意味を、「単純に、1人じゃ勝てないから」と見せるようにしているそう。確かにこのゼンカイジャー、誰か1人だと全く敵に勝てなさそうなんだよな。連携がうまくいっているというわけでもないし、特別強いキャラが居るわけでもない。例年ならこう、ちょっと弱気なメンバーが1人取り残されるんだけど、機転で他の4人を解放して「やったな!」みたいな回がある。だが、ゼンカイジャーにその構図は似合わなすぎる。

 

良くも悪くも、5人の家族で戦っているような、成長よりも団結を促すような、そんな作品こそが『機界戦隊ゼンカイジャー』なのだと思う。

 

 

 

 

 

スピンオフ ゼンカイレッド大紹介!

放送開始直後にTELASAで配信された突然のスピンオフ。まさかまさかの赤いゼンカイザー、ゼンカイレッドが登場し、「リーダーは赤だろ!」と主張するという展開。スーパー戦隊のメタな部分を意図的に破りつつも敢えてそれを前面に打ち出さなかったゼンカイジャーだが、まさかスピンオフで戦隊の宿命と戦うことになるとは…。

 

時系列では第7カイの前だが、配信時期がこの辺りと重なっていたため、敢えてこの記事に感想を。

 

これは配信ではなくBlu-ray発売で観たからかもしれないが、やはり香村脚本でない『ゼンカイジャー』は違和感があるなあというのが一番の感想。介人はゼンカイレッドのことを「アンタ」なんて呼ばないだろうし、語尾も少し変な感じがする。ちょっと生意気に見えてしまう。ほぼ全話を同じ脚本家が書いていることは、やはりキャラクターに一貫性を持たせる上で非常に重要だったなと強く感じる。

 

ただ、作品としてはスピンオフならではのメタ的な要素も多分に含まれていて結構面白い。白を基調としたデザインのゼンカイザーにいちゃもんをつける男が変身する赤いゼンカイザー、ゼンカイレッド。ギアトリンガーから細長い炎を放出して剣のようにして敵を斬る必殺技もかっこいい。これゼンカイザーもやってほしかったな。

 

怪人はスーパー悪者ワルドのスーツをノーマル悪者ワルドと言い張り、語尾は何故か「ノーマル」。結果的にはゼンカイレッドのギアはノーマル悪者ワルドが生み出したものだったが、ちょっと面倒なゼンカイレッドすらも受け入れてしまうのが介人の良いところ。後はアドリブっぽい前後編それぞれのエンディングシーンが凄く好き。

 

ただやっぱり香村脚本じゃない違和感という一点だけで、ちょっと認められないでいるのもまた事実。メタ的な要素をしっかりと孕んだ面白い作品ではあると思うのだが、スピンオフの域を出ないというか…本編に還元される要素は薄いので、今後あまり観返すことはないかもしれない。

 

 

 

 

 

最後に

序盤はまだまだ仲間集め。ここからがゼンカイジャーの本領発揮である。おかしなワルドに翻弄され、ますますカオスを極める彼らの戦いを、これから4話1記事ペースくらいで書いていこうと思う。最終回までに間に合えばよいのだが…。

 

 

 

Netflix映画『恵まれた子供たち』どこかパンチに欠けるごった煮ホラー<ネタバレあり>

2022年2月9日にNetflixで配信が開始された映画『恵まれた子供たち』。ドイツのティーン向け映画ということで、ちょっと期待しつつ観たので感想や考察を。

 

ただ良くも悪くも、いつものネトフリ映画だなあという印象。

期待を上回るような展開がなく、ホラー映画としてもあまり怖がることができない残念な出来だったように思う。

 

意志薄弱な主人公

今作の主人公フィンは、ホラー映画でよくある巻き込まれ型の主人公。要は怪異に振り回されるタイプのキャラクターなのだ。

幼い頃、18歳の姉と留守番をしていた時に、突如姉が叫び出し血塗れに。包丁を突き付けられ「口を見せなさい!」と脅された挙句、悪霊のような存在に二人共々追い回される。そうしてダムのような場所に逃げたものの、狂ってしまった姉に怯え、フィンは姉を突き放し、殺してしまう。そのトラウマを拭えないまま、フィンは18歳になり、物語はここから始まる。

 

双子の妹、レズビアンの親友、突然距離の縮まるガールフレンドなどなど。

冴えなさそうな雰囲気とは裏腹に、やけに女性に恵まれているフィン。

ある晩妹が自宅で老婆たちと怪しげな儀式めいたことをしているのを目撃し、その日から妹の様子が豹変。姉のこともあり、心配するフィン。更に、父親の勤める製薬会社から処方された薬に、死体に寄生する寄生虫が入っていたことを知り、戸惑いを隠せない。

 

そこから霊媒師親子が現れたりと事態は二転三転するのだが…。

どうにもこのフィンが、自発的に動かないのである。

薬の成分の件はさすがに怪しいと思い専門家に調べてもらったものの、基本的にフィンは「身の回りで異常が起きている、何かがおかしい」と違和感を抱えるだけのキャラクターになってしまっている。

 

せっかく姉を殺してしまったトラウマがあるのだから(せっかくというのは酷いけど)、ピンク髪の親友やガールフレンドが危険に晒され、彼女らを命懸けで護るみたいな流れに持っていっていいはずなのに。

狙われるのはフィンばかり。そのため、開示されていく謎に、「フィンが自分で探り当てた情報」という付加価値がなく、行き当たりばったりな印象を受けてしまう。

 

衝撃的な展開もあるし、その御膳立てもオープニングからされているのだから、もっとのめり込めるような流れがほしかったなあというのが本音である。

 

ラストも結局親友に助けられての逃走。「えっこれで終わり?」という呆気なさ。

せっかくトラウマがあるわけだし、フィンが怪異に立ち向かうようなシーンがもっと観たかった。

 

・結局寄生虫ホラーなのか怪異ホラーなのか

ホラー映画と一括りにしても、そのジャンルは更に細分化される。心霊もの、スプラッターもの、クリーチャーものなどなど。血飛沫は平気だけど、心霊系は全く受け付けないという人もいるだろう。

 

しかしこの『恵まれた子供たち』は、どうにもその区別が難しい映画であると言える。

映画の中での説明がちょっと弱い面もあるので憶測も含むのだが、最終的な結末からすると、「悪魔や鬼と呼ばれてきた邪悪な存在」的な側面が強い映画かなと思う。心霊とモンスター半々と言えるかもしれない。

その存在が巨大な製薬会社という後ろ盾を得てますます力を強め、怪しげな薬を作り、人間を自分たちが乗り移れる器として利用しているということなのだろう。

 

最初は『ハリー・ポッター』の吸魂鬼のような怪物が出てきたので、その手の悪霊系ホラーかと思ったし、霊媒師の登場で悪魔祓い的な要素も出てきた。しかし蓋を開けると、口から虫を入れるという気持ち悪さもあり、最終的には怪物が若者の体を乗っ取ろうとしていることが明らかになる。

これについては、『ゲット・アウト』との類似性を指摘する意見もあった。

 

ただ実際には、心霊・悪魔・怪物・カルト宗教…などなど、ホラー映画に多く用いられる要素が混在しているように感じた。

カルト宗教ではないけれども、街ぐるみくらいの規模で若者を囲おうとしている辺りは、そうした不気味さを思わせる。

 

ただその一つ一つがうまく組み合わさっていなくて、説明も不足気味。

観た後にいろいろと脳内で補完して、ようやく一つになるというか。「あの時のあれはああだったんだ!」というアハ体験的なものよりも、「えっ、幽霊みたいなのが出てきたのにそっち系のホラーなの?」という戸惑いが大きくなってしまう。

 

私はホラー映画と聞けばとりあえず観てみるくらいの精神なのだが、きっと映画を観る人の多くはあらかじめジャンルを知りたいだろうし、それが想定と違うとテンションも追い付かないだろう。

要素がたくさん盛り込まれているだけに、そういった齟齬が非常に残念だった。

 

ただ、気の強い女性キャラクターとか、「まだ恐怖は続く…」的なラストとか、そういったホラー映画のお約束もしっかり踏襲している点では、めちゃくちゃ間口が広いなあと感心させられた。

要は闇鍋感というか。ホラー映画っぽいものをふんだんに盛り込んだ作品という意味では、意欲作だと思う。

それでまとまりがなくなってしまったのは、非常に残念だが…。

 

それと、映画界における、霊媒師の悪魔祓いというのは基本的に「中盤での失敗」か「ラストでの成功」の2パターンで。今回は前者の「中盤での失敗」に当たる内容。

そしてこの失敗は、「力を持った霊媒師でも敵わない相手」であることを強調する役割を担うことが多いのだが…。

 

今作の怪物は、製薬会社を利用して人間社会に溶け込もうとしている、精神性の恐ろしさという着地をしてしまう。

この辺りはカルト宗教系の作品めいている。

それゆえに、「悪魔祓いの失敗」というシーンが何とも虚しくなってしまっているのだ。

 

有能な霊媒師でも倒せないような相手だから特別なアイテムが必要になるとか主人公の出自が鍵になるとか、そういう展開でもない。

ただただ、霊媒師が倒されるだけのシーン。

この辺りのちぐはぐ感も、きっと私がこの映画にのめり込めなかったことの一因なのだろう。

 

・絶対要らないベッドシーン

観た人には伝わると思うのだが、ベッドシーン、要らなくないですか???

 

一応説明すると、霊媒師親子との悪魔祓いを両親に目撃され、フィン達3人はやむを得ず車で逃走。近くの建物で一夜を明かすことになる。そこで感情が昂ったのか、3人でのベッドシーンが披露されるわけなのだが…。

なんだろう、フィンとヒロインの関係がそこまで遠いわけじゃなかったから、別に感慨深くもなし、そこに親友まで入ってくることの意味もよく理解できない。

 

3人の絆が深まったぜ!という象徴として入れたとしても、ヒロインは偶然フィンの家に遊びに来たら巻き込まれた…という流れなわけだし。そこでやることって、フィンに事実を問い質すことじゃないの?と思ってしまう。

 

ただこのシーン、ヒロインはこの時既に怪物に取って代わられていたとなると、また見方が変わってくるかもしれない。

ヒロインが既に寄生されていたことは最後の最後で明らかになるので、そのタイミングは分からない。つまり冒頭では既に寄生されていて、フィンと仲が良くなったことにも、そういった悪意が込められているという可能性は十分にある。

 

とはいえ、最初に書いたように意志薄弱なフィンがヒロインを救うという展開でもないので、別にベッドシーンが要るか要らないかで言ったら要らないな…となってしまうのが残念。

たとえばこれ、フィンが必死になってヒロインを助けて、何なら誰かが犠牲になったりして、それでも姉のトラウマを払拭できるくらいのヒーロー性を手に入れて、その後で実はヒロインは寄生されてました~ってネタバラシ!とかだと、また違った感情が生まれたと思う。

この怪物の方が手強かったか~というパターン。ホラー映画ではままある展開だけど、カタルシスの後にこれが来ると、なかなか衝撃も強い。

 

ただ本作では、終盤捕まったヒロインは終始家のリビングに放っておかれたので、そのうちに寄生されたのかもなとか、そんな風にも考えられてしまうのだ。

それに、全て怪物の計画のうちだった…にしては仲間を何人も焼き尽くされているわけだし、ここまで手の込んだ計画を立てる理由がない。

 

想像の余地が膨らむ終わり方だっただけに、いろいろと粗が目立ってしまうのが難点である。

 

 

・随所に見られる不気味な演出

ここまで結構貶してしまったのだけど、全部が全部悪い映画というわけではないので、そういう意味も込めて良かった点を挙げていこうと思う。

 

〇フィンの戸惑い

冒頭の血塗れの姉、妹の豹変、そしてガラス越しの妹が怪物に襲われる幻覚(?)、カップを超能力のように引き寄せる妹…などなど。

そうした「何これ…」と思わせるタイプの演出が、すごくよかった。

盛り上げ上手というか、違和感がどんどん増長していく感覚と、観ているこっちが感じる不気味さがフィンの戸惑いとリンクしていく感覚。

部分点を着実に取りに来るようにして、細かいところでしっかりと違和感を出すのが非常にうまかったなあと思う。

 

〇ホラー演出

「怖い!」と叫び出してしまうような演出こそなかったものの、演技面においての不気味さは結構強かった。

まずは序盤のパンツ一丁ババア。『ミッドサマー』にも裸のババアが出てきたし、裸のババアはもう「髪の長い白服の女性」と同じくらい、ホラー映画に欠かせない重要アイテムとなりかけているのかもしれない。

面白くなりすぎない具合というか、あの厳かな感じがすごく不気味でよかった。

 

後は寄生虫に気付き、屋上から飛び降り自殺を図る友人。他にも、拘束されたフィンを笑顔で迎え入れる両親たち。これは役者さん達の演技力が大いに強かった印象。若者達は支配される恐怖をしっかりと演じてくれていて、逆に寄生済みの大人達は着実に恐怖を与えてくれる。

 

・最後に

ホラー映画成分はたくさん入っているんだけど、どれも薄味でパンチに欠ける…という映画だった。一番アレだったのは、特筆すべき点がないこと。この映画のどのシーンが一番よかったかと訊かれても、私はきっと「パンツ一丁のババア」と答えてしまうと思う。

 

話自体は結構しっかりとしていて、序盤から伏線も散りばめられている。学内の講義で「タイワンアリタケ」というアリに寄生する菌類の話をしてたりとか。いろいろ「ちゃんとしている」映画だとも思う。

 

でもその「ちゃんとしている」が、「遊びの幅がない」に繋がってしまっているのが非常に残念。なんというか…ちょっと真面目すぎたのかもしれない。

 

 

 

映画『決戦は日曜日』窪田正孝の演技に圧倒されるゆるゆる骨太コメディ<ネタバレあり>

選挙を題材にしたコメディと聞くと少々難しい印象を受けるが、この映画『決戦は日曜日』はそんな先入観を覆す圧倒的なゆるゆるコメディ映画。

 

倒れた父親の代理として候補者に祀り上げられた娘・宮沢りえと、そのじゃじゃ馬娘を補佐する秘書の窪田正孝の名演技が光る良作だった。

 

決戦は日曜日

 

 

・BGMなしで穏やかに進む物語

この映画の何よりの特徴は、その「ゆるさ」にあると思う。選挙や政治と聞いて思わず身構えてしまうような人たちでも、すんなりと理解できるような作りになっているのだ。

好感が持てるのは、いわゆる「ドタバタ劇」とは少し異なること。ハチャメチャなことが次々と起こり大爆笑を巻き起こす…というような派手なコメディではなく、あくまで役者の醸し出す空気感と、有美(宮沢りえ)の無茶苦茶な行動に呆れる一同という流れで、随所に配置される滑稽なシーン。

 

喋れば喋るほど面白くなってしまい明らかに議員に向いてないどころか人間性にすら問題のある有美と、仕事・生活・家族のために彼女をどうにか当選させなくてはならなくなってしまった谷村の凸凹コンビ。

「結婚しているのに出産しないのは怠慢」などの猿でも理解できるレベルのヤバい人材を、コントロールしていかなくてはならない谷村の苦悩が観ているこちらにも強く突き刺さる。

 

とはいえ、有美の純粋さはどこか私たちの胸に響くことでもあり、現状維持と悪習によって思考停止に陥っている脳みそを、ふんだんにかき回してくれる。もちろんそれはマスコミなども大いに騒がせることとなり、谷村達の心までもかき乱すことになってしまうのだが…。

 

一見滅茶苦茶に見えるキャラクターがある一点において真理を突くという展開は、ある種お決まりでもある。学園もののドラマなんかを連想すると分かりやすいかもしれない。型破りな教師がやってきて、無気力であったり親や友人との間に確執を持っていたりする生徒たちの心を、突拍子もないやり方で開かせていく。

 

本作の有美にも、そんなキャラクター性が付与されている。ただ決定的なのは、彼女には野望がない点。父親の言いなりで候補者にさせられ、仕方がないからやるしかないと腹を括っただけなのだ。しかも、その決意すらも簡単に投げ出してしまい、辞めたい等と言い出す始末。徹底的なお嬢様気質によってワガママは次々と加速し、暴走列車のように周囲を巻き込んでいってしまう。

 

そんな彼女を止めるのが、窪田正孝演じる谷村。

生活のためと割り切りながらも、どこか自分の仕事に違和感を覚えているという少し陰のある役どころ。この谷村のキャラクター造形が非常に良くできていて、窪田正孝の厭世的な演技により、更に魅力的に描かれている。

 

谷村はおそらく、相当に頭が良いのだと思う。なんというか、必要最低限の努力しかしないタイプ。テストでも満点を取りに行くというよりかは、合格最低点分の勉強しかしないような。

だからこそ、ちょっとタガが外れることもあり、必要だと思った時には容赦なく相手に現実を突きつける。辞めたいと訴えた有美に対しての、非常階段での言いくるめ方は正にそれだった。

 

ただそれは、政界という歪で邪な世界に染まっていってしまった証左でもあると思う。最初の頃には違和感を抱いていただろう。正義感に溢れていたかもしれない。でもそういった熱い思いは、周囲に染まっていくうちに彼の中ですっかり冷え込んでしまったのだ。

 

しかしそんな彼の心に熱をよみがえらせたのが、有美の行動。政治家の見苦しい言い訳スタンス一つ一つに異を唱える彼女の言葉は、あくまで利己的なものであり、決して世界を変えていこうという正義感から来るものではない。

それを分かっていながらも、有美の言葉は谷村にとってある種の大きな救いだったのではないだろうか。自分がいつの間にかしまい込んでしまっていた気持ちを、彼女の言動が偶然にも解き放ってくれたのだ。

 

そして谷村は、有美と結託してどうにか当選しないようにネガキャンを進めていく。薬物をやっていた等と書いたデマブログを拡散させたり、他の候補者の演説を妨害したり。そのやりたい放題から溢れ出る無邪気さは、我々鑑賞者が谷村の心の内に触れる重要な段階でもあった。

 

有美に関するスキャンダルが北朝鮮のミサイル発射により上書きされそうになった際、大喜びする議員一同。谷村はそれを盗撮し、有美らのイメージを落とすためにネットに流出させる。しかし、ミサイルの発射は取り止めとなり、動画の投稿のタイミングが悪かったのか、その動画は結局「北朝鮮のミサイル打ち上げ中止を馬鹿みたいに喜ぶ」ものとして拡散されてしまい、彼女らのイメージを大きく底上げしてしまった。

 

私はこのシーンが一番面白かった。

ミサイル発射中止で大盛り上がりという点だけでも十分面白いのに、それを加工した動画などが実際にありそうな秀逸な出来なのだ。こういう細かい作り込みって非常に大切というか。政治に触れる機会の少ない自分でも、こうしたネットの悪ふざけがうまく描写されることで、一気に身近に感じることができる。

色々な意味でとても重要で面白いシーンだったと思う。

 

イメージを下げるための行動はどうしてかコアなファンを生むこととなり、結局有美は当選してしまう。「当選しちゃったじゃないのよ!」と不満をぶつける有美に、谷村は「やるしかないでしょう」と言葉を返す。

現状に文句を言っていても始まらない。それよりも現状をどう理想へと近づけていくかが重要なのではないか、という意味での「やるしかない」。こういう言葉をすぐに返せる点からも、谷村の頭の回転の早さがうかがえる。

 

これは日々の生活にも言えることだが、作品の題材と照らし合わせるに、何より政治に対して言えることである。

理解不能な政策に対し、ただ声を荒げて「嫌だ嫌だ」では物事は一向に進まない。しかし行動に移すことで、誰かに自分の意見を知ってもらえて、そこから何かが生まれたり変わったりするかもしれないのだ。

 

政治への違和感に対し、ただ泣き言で対抗するだけだった有美と、どうせ変わらないだろうと諦観していた谷村。

2人が結託した先で待っていた結果は、決して望んでいたものではなかったかもしれない。しかし、ここから先自分たちの行動で何かを変えられる、抱える違和感を払拭していけるだろうという希望に満ちたエンディングは、素晴らしいものだった。

 

音楽すらほとんど流れず、どこかゆるい雰囲気に、退屈さすら感じてしまうかもしれない。しかし、役者陣の演技を思う存分堪能でき、テーマ性もはっきりしている。昨今の忙しない映画やドラマに疲れた人にこそ、肩の力を抜いて楽しんでもらいたい作品だった。

 

 

 

 

 

『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』観ましたし素晴らしかったし泣きました<ネタバレあり>

生きててよかった…。

2022年初めて劇場で鑑賞した映画『スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム』は心底そう思わせてくれる素晴らしい映画だった。

期待値を常に上回ってくるMCU作品だが、ここまで興奮したのは『エンドゲーム』以来かもしれない。なんなら『エンドゲーム』の10年間という重みすらも越えてくるレベルのとんでもない作品が世に生まれてしまった。

 

かく言う私は、アメコミ自体は邦訳版を多少購入している程度なので、そこまでアメコミの知識はない。それなりにMCUやこれまでのMARVEL映画で蓄えた知識だけで、毎回映画鑑賞に臨んでいる。きっとそういう方は多いと思う。

 

原作ノータッチの人間は「にわか」と揶揄されることもあるが、そんな「にわか」の感情すらも大いに掻き立ててしまうのが今回の『ノー・ウェイ・ホーム』。MCU版スパイダーマン3部作の完結編でもあり、マルチバースという概念をMCUが映画にて本格的に導入してきた意欲作でもあり、そして何より全スパイダーマンファンが涙する衝撃の作品でもあった。

 

スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム (字幕版)

 

※ここからの内容は映画本編やその他のスパイダーマン映画のネタバレを含みます。鑑賞前の方は十分にご注意ください。

 

 

・驚きと興奮の連続

『ノー・ウェイ・ホーム』の予告が公開された時、既に全人類は湧いていた。

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ドクター・オクトパス、グリーン・ゴブリン。かつてサム・ライミ監督による3部作に登場し、トビー・マグワイア演じるピーター・パーカーを苦しめた強敵たちの登場。それは単にノスタルジーを刺激するだけでなく、遂にMCUと過去のスパイダーマン作品が繋がり、インフィニティ・ストーンの物語に幕を閉じたMCUが、マルチバース<多元宇宙>という壮大な物語へと突入していくという衝撃的な意志表示にもなっていた。

 

MCUは単独作品をいくつか公開後に集合映画の『アベンジャーズ』を公開という流れが続いている。そのため、各単独作品は知らないが、なんとなく『アベンジャーズ』だけ鑑賞しているという方もそう少なくはない。

実は『スパイダーマン』も同様で、『スパイダーマン』3作のみ、もしくは『アベンジャーズ』と『スパイダーマン』の計7作だけ観ているという方もいる。

 

それは単純にライミ版3作や、マーク・ウェブ監督による『アメイジングスパイダーマン』2作公開の影響で、コミックに親しみのない方々にとっても20年近く愛されるキャラクターであるからだろう。

「親愛なる隣人」と呼ばれるスパイダーマンことピーター・パーカーは、現実世界でもやはり『アベンジャーズ』メンバーの誰よりも知名度が高いような気がする。特に日本に住んでいると、アイアンマンやキャップは知らずともスパイダーマンは分かるという人も多いのだ。

 

そんな中で公開されたこの『スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム』は、言わば「スパイダーマンアベンジャーズ」。

分かる方に言うのであれば「実写版スパイダーバース」。

スパイダーマンの正体を知る存在が、様々な世界からあふれ出し、ライミ版のスパイダーマンことトビー・マグワイア、ウェブ版のスパイダーマンことアンドリュー・ガーフィールド、そして主役であるMCUのスパイダーマントム・ホランドの、3人のスパイダーマンが立ち向かうというファン歓喜の集大成的作品だった。

 

私が映画を観て最初に驚いたのは、デアデビルことマット・マードックの登場。

原作コミックではスパイダーマンデアデビルはかなり仲が良く、『デアデビル』自体は実は6年以上前にNetflxでドラマ版が作られている。

ジェシカ・ジョーンズ』や『ルーク・ケイジ』、『アイアン・フィスト』などもNetflix版のドラマが制作され、彼らは『ディフェンダーズ』という作品で合流。言わば『アベンジャーズ』のようなことを配信ドラマで行っていた。

しかし、勢いづいたMCU、更にDisney+の登場などもあってか、いつの間にかNetflixディフェンダーズシリーズは打ち切り。ドラマ版それぞれは『アベンジャーズ』後の世界を描いていたものの、彼らの活躍がその後MCUにて拾われることはなかった…。

 

いや、なかったはずだった!

しかし今回の映画で、ミステリオ殺害の容疑をかけられたピーターを救った弁護士こそ、あのマット・マードック

やはり知名度は低かったか劇場内でのどよめきは少なかったものの、窓から投げ入れられた石を後ろ向き(どころかそもそも彼は視力がない)でキャッチし、彼を知らないファンにとっても意味深なキャラクターなのだと分かる活躍を見せてくれた。

 

彼のMCUへの登場はファンの間でも噂されており、「いつかできたらいいね」というようなニュースがつい先日報道されたばかり。

今考えると本当に白々しい…。しかし彼の登場というのは、あくまで『ノー・ウェイ・ホーム』のほんの導入に過ぎなかったのである。

 

人々の記憶を消してもらうため、ドクター・ストレンジに嘆願するピーター。しかしピーターの邪魔もあり(ストレンジも十分悪いけど)、魔術は失敗。その結果スパイダーマンの正体を知る者達が別の世界からやって来てしまうという悲劇を招いた。

 

ここまでは予告でも明かされていた段階。

面白いのは、「過去にスパイダーマンが戦ったヴィランが勢揃いして大暴れ!」という流れにいくのではなく、「僕のせいで巻き込まれた彼らを助けたい」というピーターの優しさが物語を動かしていく点。

登場した5体のヴィランは皆、スパイダーマンとの戦いの中で命を落とす直前までの記憶しか持ち合わせておらず、ストレンジが世界を元に戻せばそのまま死ぬことになるのは確定していた。

 

それを知ったピーターは、「そんなの可哀想だ!」とストレンジに反逆。一人一人を治療していくため、彼らを解放する。

しかし協力的に思えたグリーン・ゴブリンが本性を現し、ピーターは大切な存在を失ってしまう。人殺しのレッテルを貼られ続け、多くを奪われた彼の元に駆けつけたのが、別世界のピーター・パーカー2人だった。

 

トビー・マグワイアアンドリュー・ガーフィールドの登場も、以前より噂されていた。噂というか、ファンの期待の域を出ない報道もあったが、どれも「そうなるといいね」程度のコメントに落ち着いており、実現はまだまだ先かと思われていた。

本当に白々しい…。MCUは既に彼らを登場させていたのだ!

 

過去のヴィランの登場、Netflix版との接続、そしてピーター・パーカー3人勢揃いという素晴らしい題材を、敢えてサプライズとして隠し続けていた辺り、MCUのこの映画への本気度が伺えると思う。

しかし何より素晴らしいのは、ヴィランやピーター達の登場が、単なるゲスト出演に留まらない点だった。

 

 

・救済の物語

映画業界の事情に多少詳しい者なら、スパイダーマン映画の紆余曲折は聞いたことがあるだろう。

2000年代前半、『X-MEN』と共にアメコミ映画という一ジャンルを映画界に築き上げたサム・ライミ版第1作目。その後2,3と続いていき、4の構想もあったものの、ライミ版は結局3部作という形に落ち着いた。大傑作と言われた2に続いて公開された3は、登場ヴィランが多く、また、ピーターとMJの関係性もご都合主義的な部分が目立ち、どこか取っ散らかっているような印象を受けた。

 

その後、『ダークナイト』や『アイアンマン』をはじめとするMCUの拡大に伴い、スパイダーマンの権利を保有していたSONYも新たなるスパイダーマン映画誕生に向けて動き出す。

そうして生まれたのが、アンドリュー・ガーフィールドを主演に据えた『アメイジングスパイダーマン』である。トビー・マグワイアとは違い、高身長な正統派イケメンによるスパイダーマン。ライミ版3作が神格化されすぎたこともあり、当時は受け入れられずにいたファンも多かったようだが、10年近く経過した今となっては、しっかり再評価されているように感じる。

 

アメイジングスパイダーマン2』は、ピーターの恋人であるグウェンの死、そして彼女の生前のスピーチを受けてどん底から這い上がり立ち直り、再びスパイダーマンとして戦う決意を決めるピーターのシーンで終わる。

ヴィランの動きから考えるに続編を作る気は満々で、何なら『シニスター・シックス』なるヴィラン軍団の映画すら視野に入れていたSONY。

しかし、同じ頃にMCUを盛り上げようと画策したディズニーが、スパイダーマンの映画化権に関してSONYと和解。

 

これにより絶対に不可能と思われていたスパイダーマンのMCU入りが果たされ、同時に『アメイジングスパイダーマン』シリーズは実質上の打ち切りとなってしまう。

アメイジングスパイダーマン2』で号泣した人間としては、この打ち切りのショックはなかなかに大きく、しばらくトム・ホランド演じるスパイダーマンを受け入れることすらできなかった。

 

スパイダーマン ホームカミング』の陽性のノリにどうしてもついていけず、MCUの衝撃的な展開に歓喜しつつも、心のどこかではアンドリュー演じるピーターの続きが観たいと、そんな気持ちを抱えてしまう二律背反。

 

当時高校生だった時、『アメイジングスパイダーマン2』を観て、ハリーが抱える孤独、エレクトロが感じた失望、そして何よりどん底から立ち上がるピーターの姿に勇気をもらえたからこそ、あの続きをMCUに奪われたことに納得がいかなかった。

 

だからこそ、この映画は自分にとって「救済」だったのである。

スパイダーマン3』で親友を失ったピーターと、『アメイジングスパイダーマン2』で恋人を失ったピーター。彼らの登場、そしてセリフや行動の一つ一つは、それぞれのスパイダーマン映画を愛するファンにとって、救済となったのだ。

 

メイおばさんを亡くし、失意に暮れる彼を支えるMJとネッド。そしてそこに合流する2人のピーター。共に大切な人を亡くした彼らの言葉は、MCUのピーターにとっても非常に重いものだった。

 

そこからの治療薬開発、怒涛のバトル。

この流れに感動しないものはいないはずだ。ライミ版からの20年という時の重みが、観ている人間を「生きててよかった」と思わせてくれる。

 

一つ一つ語っていてはキリがないので、敢えて二つだけ。

まずはこの映画で自分が最も感動したシーン。

それはやはり、ビルから落下したMJを、アンドリュー・ガーフィールド演じるピーター・パーカーが助けるシーン。

ヴィランの妨害により、トム・ホランドは間に合わなかったものの、すかさずそこに飛び込む彼の姿。そして抱きかかえた後に一瞬表情が涙ぐむ。

大切なグウェンを救えなかった彼が、今回はMJを見事に救うことができたのだ。

多分自分は、この映画のこのシーンを一生忘れないだろう。

あのシーンで覚えた感動と、一生向き合うことになると思う。

大好きなピーター・パーカーの心がようやく救われたシーンを、これからも胸に刻み付けることになるだろう。

 

そして、ピーターとグリーン・ゴブリンの最終決戦。メイおばさんを殺されたピーターの怒りは激しく、それはこれまでウェブやスーツをふんだんに用いて戦ったピーターが、敢えて肉弾戦でゴブリンに向き合っている演出からも、よく伝わってくる。

 

殺意にまで発展した彼の怒りを止めたのは、トビー・マグワイア演じるピーターだった。

思えばオズボーンの死は、ライミ版でピーターが常に抱え続けたトラウマでもある。オズボーンの死、実際には彼は攻撃を避けようとしてジャンプしたに過ぎないのだが、それでも親友であるハリーとの関係が大きく変わってしまう出来事だったのだ。

 

2でも3でもその後悔は色濃く描かれており、3でハリーが一時的に記憶を失った時、ピーターはどこかそれを喜んでいたのかもしれない。

そんな相手を殺してしまうことの重みを知る彼が、現代のピーターを止める。

これは言わば彼自身を救済することでもあり、非常に意味深なシーンでもあったと思う。

 

 

・大いなる力には、大いなる責任が伴う

スパイダーマン ホームカミング』公開時、ファンの間では「またベンおじさん死ぬのか」と、スパイダーマンの権利を巡る3度目のリブートを揶揄する声もあった。素直にアメイジングスパイダーマン続投でもいいだろうという意見もあり、自分もそう思っていた。

 

しかし結果的に『アメイジングスパイダーマン』とは異なる方向に舵を取り、アイアンマンを慕う陽性のスパイダーマンという新たなイメージを確立させた功績は大きい。ネッドやMJと共に脅威に立ち向かうその姿は、戦いの疲れの中で青春を共に過ごす仲間の存在をも強調していた。

 

ヴァルチャーとの戦いにおいて彼が人の死につい深く考えることはあったものの、それは過去2人のピーターに比べると明らかに薄いもの。

とはいえ、MCUというバリエーションの中では、それは些細な問題に過ぎなかった。

 

だが今作は、ようやくピーターが自分の力、そして責任と向き合うフェーズがやってくる。

正体が世界中にバレ、大切な人たちが危険に晒され、自分が原因で育ての親であるメイおばさんを失ってしまう。

ベンおじさんが存在するかすら怪しかったMCU版スパイダーマンだったが、なんと3作目にして、ライミ版やアメスパが1作目で取り扱った「大いなる力には、大いなる責任が伴う」をテーマとしたのだ。

 

完結編でありながら、究極の原点回帰とも呼べる『ノー・ウェイ・ホーム』。彼を支えるのは親友2人だけではなく、多くの戦いと喪失を経験した2人のピーター。

過去のキャラクターが登場して主人公を導いていく最高のパターンに加え、その2人のピーターまでもが、戦いの中で物語上の救済を受ける。

 

しかしそこはMCU。『エンドゲーム』でもそうだったように、決して話の軸を暗い方向に持っていかず、ピーター3人の自己紹介的な軽快な会話でテンポよく話が進んでいく。

その一つ一つは私たちファンが観てきた彼らの戦いの記録であり、喪失の記憶なのだ。もしまだ過去のスパイダーマンを観ていない方がいるのなら、今からでも観てほしい。それは『ノー・ウェイ・ホーム』の感動を、何倍にも押し上げるものであるはずだ。

 

 

・ノー・ウェイ・ホームの意味

ノー・ウェイ・ホームというサブタイトル。過去2作の「ホーム」とつくサブタイトルを受けたものの、「帰れない」という意味深なタイトルはどこか不穏な物語を連想させていた。

 

予告を観た限りだと、勝手に集合させられた故に行き場を失くしたヴィラン達を帰してあげようという意味なのかなと思っていたのだが…。

もちろん、それも含まれているだろうが、この「ノー・ウェイ・ホーム」には様々な意味が仕掛けられているように思う。

 

正体がバレ、これまでの日常に突如別れを告げることとなったピーター。

MCUの世界に参戦させられ、しかも戻れば死ぬ運命が決定づけられているヴィラン

心の拠り所であったメイおばさんを失った心境。

そして何より、自らの記憶を全人類から消し去り故郷を失くすという意味での「ノー・ウェイ・ホーム」。

 

ピーターが自分の記憶を全人類から消し去ったことには、映画化権のことも大きく影響しているのだろう。

とはいえ、新たに3部作を作る予定もあるようなので、その辺りはまた別の物語として期待したい。

 

別れの直前、自分のことを話して絶対に思い出してもらうからと約束するピーターとMJとネッド。

しかし、新たな世界でMJの頭の傷を確認し、自分の生きた証は確かにそこに存在していたことに気づく。メイおばさんを失った喪失感は、彼の心に孤独になる決意をもたらしたのだ。

子どもっぽいと揶揄されていた彼が、表面的な絆だけでなく自身の残した功績、そして力の意味を悟る…。これほどまでに美しい終わり方をしたMCU版スパイダーマンに今はとにかく感謝を送りたい。

 

言いたいことは尽きないが、どれだけ時間と言葉を費やしても足らないくらいの感動をくれた『ノー・ウェイ・ホーム』。

MCUの次回作は今回も登場したドクター・ストレンジの2作目ということで期待値も大きい。

ヴェノムも動き出し、SONY単独でのスパイダーマンの動きにも目が離せない。

にしてもピーターの正体を知っている者だけがやってきたはずなのに、何故ヴェノム達が巻き込まれたのか…。